「行程MAP」 ○ 「出発」 (2008/7/16) 「エジプト旅行」の余韻はなかなか消えず、次に行こうとする候補地も決められない状態だった。 それに加えて、原油価格高騰の影響で、海外渡航の燃油代も滅茶苦茶な値上げで、ヨーロッパ往復では5万円以上にも なるとのことで、なかなか行けない。 昨年のこの時期は「台北旅行」を楽しんだ。近場でまだ行ったことがない韓国ツァーを検討していると、格安のモニター ツァーがあったので、申し込むと満杯でキャンセル待ちとなっていた。 どうなるかと待っていると阪急トラピックスから、追加日程を設けるとの電話があり、早速申し込む。近場の旅行への 関心が高まったのであろうか、追加日程の第一希望はダメで第二希望の日程で参加することになる。 韓国はまだ行ったことがない。現役時代、お得意さんが韓国にあったが、行く機会がなく未経験のまま、今日に至った。 昨年の台北と同じ様に自由行動主体のツァーも検討したが、今回のはモニターツアーで価格も割安で、南部観光からソウルに進む 行程で、船や鉄道にも乗る楽しい企画もあり、南北朝鮮の国境まで行くのには興味がある。 しかし、出発の直前に韓国の観光客が金剛山で北朝鮮兵士に銃撃され、死亡する事件が発生し、両国間は緊迫した関係に なっているので、予断は許されない状況で少し不安だ。 又、竹島の教科書記述問題で韓国では国旗をを焼く等の抗議運動が始まったとのニュースもあり、初めての訪韓に水を差す 出来事が頻発しているのは残念だ。 いつもの様に、前々日にスーツケース1個を空港まで送っておく。 台風が台湾を襲って進む予報があるので予断を許さないが、大丈夫だろうと楽観的に考えることにする。 家に居ても暑いので、少し早めに出発して、9時40分に関空に到着する。 スーツケースを受け取り、「韓国湖南旅情モニターツァー」の受付に行くと集合時間前だが、受付はOKで早速搭乗手続きをする。 今回の旅行は添乗員は付かず 釜山空港で現地添乗員が待っているスタイルだ。参加人員の確認を忘れたので、何人のツァーになるのか楽しみだ。 両替は現地の方が有利との情報で、手数料割引のプリントを印刷していたので、直ぐに出国手続きをしラウンジでくつろぐ。 ユーロは170円以上となっているので、ヨーロッパ旅行は大変だと再認識する。 搭乗を待っている時にテレビで近畿地方が梅雨明けの宣言を聞き、家庭菜園の水不足を心配しながら搭乗する。 昔、大韓航空に乗るとキムチの臭いがすると聞いたことがあるが、全くそのようなことはないのが分かった。 韓国とは時差がないので、時計を直す必要はない。考えれば時差のない海外は初めてだ。 釜山までは1時間20分程で到着するので、安定飛行に移ると機内食となる。 飛行時間が短いので昼食はサンドウィッチ一種類だけだ。韓国ビールを注文して乾杯!! ビールは少し薄く感じるが美味しい。お腹が空いていたので、サンドウィッチをペロリと平らげる。CAも食後のコーヒーサービスと忙しいのは 止むを得ない。直ぐに跡かたずけと大忙しだ。 淡路島から岡山・鳥取・隠岐島を通り、竹島の上空を過ぎて釜山に進む。釜山はPUSANと思っていたが、正確にはBUSANだ。 定刻通り、14時15分に釜山空港に到着する。暑いが大阪の暑さと比べると楽勝だ。 入国手続きも問題なく、スーツケースもOK。到着口で現地添乗員が待っているのでご挨拶。女性添乗員で、今回のツァー人数は12名と 少ないのはラッキーだ。 直ぐ、サイトで調べていた銀行に両替に行く。3万円が278760WONとなる。100円が9.3WONなので100円=1000WONと考えれば良い。 手数料割引券をプリントアウトしていたので、1200WONを別にもらう。小額だが、サイトで調べたご褒美だ。 全員揃ったので、バスに移動する。 ○ 第1日目 (7/16) 小型バスに乗車してスタートする。5組の夫婦と女性の2人連れの12名なので一人2席を占有出来るのは嬉しい。 現地添乗員は45才のチョンさんさんで若く見え、日本語はペラペラとはいかないが、楽しげな人だ。今回のツァーは 今年夏に初めて設定されたコースで前回は38名だったと。今回は12名なのは本当にラッキーだ。
小型バスは初めの見学地「普州城」に向かって進む。 これも昔に聞いたことがあるが、韓国の山はハゲ山ばかりだ・・・と。しかし、これも誤解で全く日本の風景と変わらない。 田園風景が続き、家の屋根の形が変わっているのと表示文字がハングルである以外は日本の地方をドライブしていると 錯覚する位だ。 豊臣秀吉が朝鮮を攻めた地である「普州城」に到着する。 歴史で学んだ「文禄・慶長の役」の戦闘地の一つだったとは知らず、訪れたのだ。 晋州城は三国時代からあった城で、もとは土城でしたが、高麗時代の末期に外敵の侵略が続き、石を積み上げて築きなおしました。 1592年10月の初め、2万人以上の豊臣秀吉軍が攻めてきました。これを迎え撃ったのは晋州を任されていた武将、金時敏(キム・シミン)と 彼が率いるたった3千8百人の兵士でした。晋州城を背景に6日間にわたって続いた戦いで韓国軍は勝利を収めます。 しかし、1年後の2度目の戦いでは7万人の兵士が戦死し、国を守るために大勢の人が命を捧げたのです。(KBS・観光HPより) 立派な城門をくぐって中に入ると緑の芝生が広がっている。城と云うより公園の雰囲気だ。芝生広場の周りには韓国らしい柵が 張られて日本とは違った味わいだ。 中央には武将・金時敏の像が堂々と立っている。添乗員から説明を受けるが、詳しいことは理解出来ない。立場が反対なので、 説明する方も受ける方もなかなか難しい。 川に向かう城壁には大砲が備え付けられ、当時の緊迫した雰囲気が感じられる。 「普州城」の城壁の中を巡る。横を流れる南川の岸壁の上に優雅な楼閣が建っている。「矗石楼(チョクソクル)」は戦時は司令塔となり、 平時は全国から集まった詩人や画家が集った晋州の文化の産小屋だったと。 楼閣の上に登ると川からの涼風が気持ち良い。平和な時はここで詩を詠み、絵を描いたのだと古人を偲ぶ。 しかし、楼閣から川面までの崖は深く、当時はもっと深かったと。そこに豊臣秀吉軍・武将と韓国・芸者の物語があるそうだ。 矗石楼の境内の片隅に小さな祠が見えます。この祠は「義妓祠(ウィギサ)」と呼ばれ、論介(ノンゲ)という晋州の有名な芸者を まつっている所です。 豊臣秀吉と2度目の対戦で晋州城は破れてしまいました。豊臣軍は矗石楼で勝利の宴を開き、晋州の芸者たちが呼ばれ、 論介もその一人でした。 敵軍の武将の頭を殺せば、敵はうろたえるに違いないと思った論介は、敵の武将を矗石楼の下に ある岩に誘い込みます。そして、10本の指に指輪をはめた手で、敵の武将をしっかり抱いたまま南江に身を投げて死んだのです。 その後、彼女の死は都にまで知れ渡り、死を恐れず、義を重んじた論介を称えるための祠、義妓祠が建てられました。 (KBS・観光HPより) ノンゲと云う言葉は何処かで聞いたことがあるが、思い出せない。 岸壁に近付くと川までの深さに驚く。ここから武将を道連れに祖国のため身を投げた美談が語り継がれている。 岸壁の上にも祠が祀られ、歴史を見つめている。 川面には当時の帆かけ船がのんびりと係留されているのは、平和の証しを示しているようで、岸壁からしばし 落着きと涼風を楽しむ。 韓国も大阪の蒸し暑さはないが暑い。汗を拭きながらの見学を終えてバスで宿泊地の光陽に向かう。 田園地帯や緑豊かな山々を眺めたり、ウトウトと居眠りをしたりしながら西に進む。 添乗員から韓国が世界一のものは・・・との質問があり、皆で考える。携帯電話・パソコンは分ったが、 後の1つが分らない。それはスターバックス(コーヒー店)が人口比一番だと。 車窓からの見える看板や道路標識は99%ハングル文字しか記述されていない。漢字は全く見ることが出来ないので 意味が分からない。 英語も少なく、書かれていても文字が小さく、バスのスピードでは読み切れない。エジプトでももう少し英語表示が 多かったので、何となく理解出来たが、隣国は全くお手上げ状態なのには驚いた。 今回の旅行はソウルの夕食以外は全て韓国料理の食事付きだ。ホテルでの食事ではなく、地元の人が行く食堂で 当地の名物料理を食べる仕組みになっている。 まず驚いたことに、10皿程の小皿にキムチを始め色々な野菜が盛られている。お代り自由とのことだ。 仲間の最年長の方は韓国通で、今夜の飲み物は自分が持つ・・・と云われ、有難くいただくことにする。 ビールで乾杯し、前菜としてキムチを食べる。そんなに辛くもないが美味しい。 ゴマの葉やチシャに肉を巻いてパクパクと。 美味しい!! 12名の少人数なので、仲間同士も打解けて楽しい夕食となる。ほとんどの方はリピーターで、このコースが珍しいので 参加したと。初めての訪韓は3人だけだった。 楽しい食事を終え、ホテルに向かう。 近くにコンビニもあるそうだが、水もサービスで付いているので必要なく、シャワーを浴びてぐっすりと眠る。 (工事中)
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