「行程MAP」 ○ 第3日目 (7/18) 昨夜は初めてオンドルで寝た。柔らかいベッドより硬いベットの方が好きなので、フローリングの上に敷かれた薄い布団でも 問題なく熟睡出来、いつもの様に5時頃に目覚める。 明るくなっているので、高台のホテルから下に降りて散策する。外はやはり蒸し暑い。 青々とした田圃の傍も余り涼しくない。ブラブラと歩いていると畑に赤くなったトウガラシがたくさん植わっている。 キムチや香辛料の素は各家庭で作っているのだ。 韓国の家は屋根に特徴がある。梁の両側が上に反り返っている風情は日本と違った趣きだ。 7時30分からの朝食はホテルでのアメリカンスタイルで今回の旅行で唯一のホテル食だ。久し振りのコーヒーやパン食を楽しむ。コーヒーを 飲む場所や時間がなかったので美味しくいただく。 今日の行程のスタートは近くの「王仁博士遺跡址」で、9時開場なのでゆっくりと8時40分に出発する。 バスの座席は自主的に前後に変わることになっている。旅慣れた方達なので、スムースに移動して楽しく過ごすことが出来る。 見事な長い桜並木の道を進むと広々とした「王仁博士遺跡址」の正門前に到着する。 広場の横には、日本に伝えた「千人千字文」が刻まれた石碑が飾られている。 王仁は日本の応神天皇の招請を受けて<論語>10巻と<千字文>1巻を持って日本に渡った。学問において認められた彼は 聖徳太子の師となり、共に日本に行った技術者達を通して様々な技術を伝えた。 王仁博士遺跡址は日本の観光客の足が絶えない遺跡址で、王仁石像に至る登山路からは西海岸最高の夕焼けを観賞することができる。 遺跡址の正門である百済門を入ると左側に日本から献呈された王仁ジョンファ碑があり、向かい側には展示館がある。 門をさらに一つ入ると中に王仁博士の霊廟がある。この遺跡址は在韓日本大使など社会的著名人らが参席する中、 1987年に竣工式が行われた。(全羅南道観光HPより) 9時に日本人のガイドが来られ、王仁博士の生い立ちから日本への渡来、そして大阪府枚方市で亡くなり、墓地がある ことを説明される。 妻の実家が枚方にあったので、子供達が幼い頃、義父に連れられて「王仁公園」で遊んだ思い出がある。その王仁博士の 生誕の地を訪れたことは感慨深いものだ。 資料館の説明を受ける。ハングルが主だが、所々に日本語の説明もあり、当時の歴史や漢字伝来の話を聞き、この地が日本文学・ 文字のルーツなのだと実感する。 「古事記」や「日本書紀」の古文書も展示されており、奈良・明日香村の「飛鳥寺」の設営にも大きな影響を及ぼしていた そうだ。 一番驚いたのは、王仁博士が古今和歌集に「なにはづに さくやこの花 ふゆごもり いまははるべと さくやこのはな 」と 詠まれことを知った。大阪を「さくやこの花」と名付けた方が王仁博士だったとは。今回の旅行の大きな収穫だ。 冷房の利いた資料館で、添乗員とは違う本物の日本人ガイドの説明を聞き、歴史を復習すると共に心和む。 広い庭園に向かう。石畳の道の向こうに王仁博士の像が見え、左側に白い石に彫られたレリーフで生い立ちからの歴史が飾られている。 日本渡航の図も描かれ、日本語の説明もある。 この方が日本に漢字を伝えた方だと尊敬の眼差しで見上げる。聖徳太子の先生にもなった方なのだ。漢字の伝来がなければ、 かな文字、カタカナも生まれず、日本文学も育たなかったと思うと偉大な人の生誕地を訪れたことは感激だ。 広い境内(?)には韓国風の建物が建ち、日本の鳥居の様な木の門から「王仁廟」に向かう。 立派な「百済門」をくぐって「王仁廟」で礼拝する。 正面に王仁博士の画が祀られ、静かに参拝者を見守っているようだ。静かな廟でしばし一息入れる。 昨日の「普州城」もこの「王仁博士遺跡址」もきれいに保存され、史跡に対しての心使いが感じられる。儒教の教えが このような史跡にも影響しているのだろうかと思う程だ。 「王仁廟」から外に出て、小高い丘に登って行くと王仁博士が飲んだ井戸である「聖泉」に到着する。暑さで汗が流れる ので、龍の口から流れる水で口をすすぎ、タオルを濡らして汗を拭う。 この水を飲み、体を洗うと聖人を生むと云う伝説があるそうだ。 結婚して韓国で住んで居られる日本人ガイドの丁寧な説明を受け、日本のルーツ的な史跡を見学出来たことは有意義だった。 やはり、韓国の湖南地方は日本に近いだけあって、日本との関係が深いことが再認識出来た。 10時30分、日本人ガイドとお別れして、次の行程に向かう。ここからは北に向かって田園地帯や高速道路を使って進むことになる。 高速道路も3車線で立派なものだ。 途中、トイレ休憩でドライブインで休憩する。日本と同じ様に売店や食事処がある。全くハングルオンリーなので、物を見ないと何を売っている のか分からない。 昨日から気になっていたが、車窓から教会をよく見る。韓国のクリスチャンは多いそうで、教会の塔が高くそびえている光景が 田舎町でも多いのに驚く。 添乗員が馬の耳の形をした「馬耳山」がきれいに見える所でバスを停車させて写真撮影をする。なるほど、馬の耳に似ている山だ。 13時40分、「馬耳山」近くの看板が派手なレストランに到着し、遅めの昼食となる。昼食は冷麺とチヂミで日本でも良く食べるものだ。 写真撮影も忘れて、冷たい冷麺を鋏で切ってもらって食べる。歯応えも良く美味しい。チヂミももっちりと空腹のお腹に吸い込まれる。 今回は後程、散策があるとのことでビールはひかえる。 食後、バスに乗って「馬耳山」を廻る様な道を駐車場に進む。 方向によって山の形が変わり、馬の耳に見えなくなったりと。 見事な桜並木を抜けて駐車場で下車して、「馬耳山」の麓にある「塔寺」に向かって歩き始める。 全羅北道鎭安郡にある馬耳山は、馬の耳に似た形から付けられた名前である。 東側の峰(667mは父山、西側の峰(673m)は母山と言う。山の姿と山を形成している岩石が奇異なもので多くの人が訪れる。 この山は北側と南側から登る道があるが、両峰の間を越えるこの山には銀水寺があり、神秘的な80個ほどの石塔がある塔寺と 歴史の古い金塘寺がある。(韓国観光協会HP他より) 体力に自信がないと云われる方を励まして全員で山に進む。 木立の茂る道は日陰にはなるが、やはり暑い。道沿いに飲み物や焼肉の店が並び、韓国の観光地のようだ。大きな地図で 目的地を確認して、暑さが増して来る時間にゆっくりと進む。 途中のきらびやかなお寺には大きな太鼓や蓮の花を型取ったボンボリが飾られている。 大きな池があり、水面に「馬耳山」が映り、白鳥型のボートが浮かんでいるが、誰も乗っていない。池から涼しい風が吹き、 しばし涼を楽しむ。静かな光景を眺めて一息入れる。 道脇に可愛いポストと焼却炉らしき物がある。ポストは赤い。 これが「塔寺」だ。李甲童が10余年間をかけて120基の石塔を 作ったが、今は80基が残っていると。 地震がないとは云え、セメントで接着もさせずにこの石の塔を積み上げたのには驚く。石組の塔の間を登って行くと、 大きな石・小さな石を上手く組み合わせて積まれているのが良く分かる。改めて凄いと感じる。 上まで登り、下を見ると横の岩壁と石組の塔の間から、下の売店が小さく見える。随分上まで登ったものだ。 石組の塔だけを写すとトルコのカッパドキアの奇岩のようだ。 一瞬、動く気配を感じて何かと探すと小さなリスが石組の中を走り回っている。 カメラをズームにして写そうと努力するが、走り回るのでピンボケばかり。やっと可愛いリスをパチリ。数匹のリスがこの石組で住んでいるようだ。 珍しい石積みの塔を堪能して、元の道を駐車場に戻る。大阪に比べると蒸し暑くはないが、やはり歩いていると暑い。 駐車場の売店で缶ビール(4000W)を求めて一息入れる。 散策でくたびれた方も居られたが、全員元気に完歩された。和気あいあいのバスは今夜の宿泊地儒城に向かう。 W-CUPが行われた競技場を車窓から見て、夕食会場に進む。今夜の食事は「サムギョプサル(豚バラ焼肉)」を食べる。 いつもの様に小皿に盛られたキムチや野菜と共に豚バラ肉の焼肉を賞味する。上手く考えているのは、鉄板を少し傾け、傾いた 下側の鉄板に小さな穴が開いていて、豚の脂がそこから落ちる仕組みになっている。下のコップに結構脂が溜まるのには 驚く。 ビール(5000W)で美味しくいただく。ニンニクもたくさんあり、野菜もお代りOKと栄養バランスは最高の夕食だった。 楽しく美味しい夕食を終え、今夜の「儒城観光ホテル」に向かう。 今夜のホテルは温泉があり、韓国では湯の花が一番多いとのことだ。チェックインして、温泉に入る前にタウンウォッチングに 出掛ける。週末の金曜日で学生が多い町なので人通りは多い。 バス停にはたくさんの人が待ち、ショッピングする人も多い賑やかな街をブラブラと楽しむ。街角の道で果物を売る光景は 新しい街と古い街が同居している面白い現象だ。 寿司屋もあり、店の入り口で海苔巻を巻いている珍しい光景に遭遇する。面白い街だ。 ホテルに戻り、温泉に行く。添乗員に水着が要るのか聞いたが、いらないとバカにされる。韓国の温泉は素っ裸でもOKなのだ。 きれいな脱衣場で裸になり、温泉に向かう。露天風呂もある本格的なものだが、温泉の臭いもせず、湯の花は全く見られない。 大きな銭湯だ。 韓国の温泉のイメージは温泉王国・日本とは全然違うことを認識する。しかし、久し振りに湯船に浸かり気持ち良い。 今日もぐっすりと眠る。 (工事中)
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