「串本温泉湯治の旅」


[一日目][二日目][三日目]




○ [第2日]、潮岬・熊野古道ドライブ(2010/12.15)

朝風呂が5時から開くとのことなので、早速早朝の温泉を楽しむ。
まだ真っ暗で、星も淡く光っているが、薄曇りの空模様だ。今朝は「しし座流星群」の流れ星が見られるかも知れない ので、空を見上げているが、残念ながら流れ星は見られなかった。
昨日に比べても腰の調子は良好で、急な動きでなければ、普通に歩けるようになったのは、温泉の効能だろう。今日の 天気は昨日よりも晴天で、暖かいとの予報なので、当初の計画の中、「青春18きっぷ」での紀行は止めて、前回同様、 ドライブで「熊野古道」を巡ることにする。
部屋に戻り一息入れていると、正面の大島から日の出が見られる。前回は6月だったので、「橋杭岩」の海の上に昇って きた朝日が、大島の上に回っているのだ。半年の差はこんなに大きいのだと改めて認識する。
フロントで、9時半に車を廻してもらうことを依頼して、7時半頃、朝食に向かう。
朝食はバイキング形式で、和歌山特産の梅粥や海の幸をしっかりといただく。地産の干物を目の前であぶってくれるのは美味しい。 日が昇り、海も輝き、好天なのは嬉しい。
大島からの日の出
朝焼けの橋杭岩
朝食

画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

潮岬灯台 説明
9時半にレンタカーが届けられる。
前回と同じトヨタ・ヴィッツだ。前回、この車種に乗り、快適だったので、買い替え時の参考にして、 ヴィッツ購入に至った次第だとレンタカー屋さんに話し、感謝される。
まず、前回、前を通るだけで、行けなかった「潮岬灯台」に向かう。
明治6年の初点灯以来、100余年もの間、海上交通の要所として沖行く船を照らし続ける白亜の灯台。68段のらせん階段を上り台上に 出れば、眼下には太平洋の大海原が広がります。
また灯台下には資料館も併設されています。(高さ19.55m、光度130万カンデラ、光達距離19.0海里)(串本町HPより)

本州最南端の「潮岬灯台」は青空・青い海・白波に 映えて白く輝いている。
風が強く、帽子が飛ばされないよう注意しながら見上げた後、日本最古の洋式木造灯台の石のらせん 階段を上って行く。
先日、志摩の「大王埼灯台」に上り、太平洋を望んだと同じような気持ちで大海原を眺める。水平線が丸く感じられるのは 地球が丸いのだと実感できる。風が強く、帽子を脱いでぐるっと展望台を一周回りし、海・青空・白波・岩・船・緑の大地等々、 景観を堪能する。本州最南端の灯台を満喫する。
昨日の天候だと、こんなに鮮やかな景観が望まれなかったことを考えるとラッキーだった。
下に降りて展示館を見学する。歴史資料やライト・旗等々、貴重なものが展示されており、ゆっくりと見学する。
潮岬灯台からの眺め
輝く海
灯台の入口

潮岬から「熊野古道・大辺路」のルートである国道42号線を那智に向かう。この古道を歩いてから5年余り経ったが、所々の 道角には記憶があり、妻に当時の紀行の話をしながら車を進める。
「那智大社」「那智の滝」は以前に観光バスで訪れたことがあるが、「大門坂」は訪れていないので、「熊野古道」の中でも 有名な史跡でもあるので、案内することにする。
那智駅前に「道の駅」ができているので、立ち寄り一息入れる。この場所は何度か温泉入浴に立ち寄った所が、「道の駅」に なっていたのに驚き、懐かしく思う。自販機でビールを買い、浜辺に出て乾杯したことを思い出す。
「道の駅」に車を置き、近くの「浜の宮王子社」でもある「熊野三所大社」に参拝する。「中辺路」紀行の終盤で、この王子跡から 「那智大社」に向かった地点だ。その横に立つ「伊勢路」と「大辺路」 の「振分け石」を確認する。「熊野古道」の追分け・振分けの道角に立つ分岐点の道標を見て、次の目標を設定してきたことが 懐かしく思われる。
那智駅前・道の駅
浜の宮王子社 説明
振分け石

「振分け石」の奥に建つ「補陀洛山寺(ふだらくさんじ)」に参拝する。横の建物には補陀洛渡航信仰の小船も飾ってある。 当時の信仰とは云え、よくやったものだ。
補陀洛山寺
9世紀半ば過ぎから18世紀初頭まで、小さい船に閉じ篭もり30日分の油と食糧をたずさえて、南方海上にあると想像された補陀洛世界の 観音浄土を目指すという補陀洛渡海(ふだらくとかい)の出発点。
補陀洛渡航信仰の小船
落葉拾い
日本でいくつかある出帆基地のなかでも熊野那智の海岸は補陀洛渡海の最大の拠点でした。その海岸線にたたずむ補陀洛山寺 (ふだらくさんじ)は、補陀洛渡海の歴史を寂として守り続けている寺院です。(日本風景街道・熊野HPより)

以前に参拝した時もこんな小さな船に乗って、飢え死にすること覚悟で、極楽浄土を目指した方の気持ちが理解できないのは、煩悩が 多いためだろうかと思ったが、今も変わっていないのは・・・。
駐車場に戻る途中、大きな銀杏の木の黄色い落葉を集めて燃やしている地元の方に出会う。樹齢何年もありそうな銀杏の落葉は地面を 黄色く染めている。秋の風情だ。
妻が「道の駅」で千両の枝を買おうと云うことなので、戻ってかさばるが、千両の枝を買い、車に乗せる。大阪より、随分安いとのこと だが、持ち帰るのが大変だ。
「大門坂」に向かう。
「那智大社」までの「熊野古道」は気持ちの良い杉木立のの道を上り、「大門坂」の苔むした石段を上って参拝するのを思い出しながら 車を進める。以前は工事中だった高速道路(無料だが)の橋桁の下を抜けて、車も少ない道を上ると「大門坂駐車場」に到着する。
大門坂の石段
古来より、多くの参詣者たちを受け入れてきた熊野古道。大門坂は、その面影をもっとも色濃く今に残している場所です。 全長約500m、高低差約100mの苔むした石畳道と樹齢800年を超す老杉等に囲まれた古道では、夫婦杉、古の関所跡や霊場への入り口と いわれた「振ヶ瀬橋(ふりがせばし)」などがつぎつぎと姿をみせます。(日本風景街道・熊野HPより)
大門坂



















本来なら、「大門坂」の石段を踏みしめながら上り、「那智大社」に参拝し、「那智の滝」を眺めて、バスで「大門坂駐車場」まで戻り、 次の行程に進むのが良いと友人たちに紹介している。
しかし、今回は腰の調子が悪いのと「那智大社」には以前に参拝したので、「大門坂」の雰囲気を味わって、途中から戻ることにしていた。
平日なので散策者も少なく、懐かしい「大門坂」の入口に向かう。
多富気王子跡
夫婦杉(前回紀行時)
静かな雰囲気の中、赤い「振ヶ瀬橋」を渡り、平安衣装のレンタルもしている茶店を通り、樹齢800年の「夫婦杉」を見上げる。 写真を写すもピンボケなので前回の写真を載せる。見事なものだ。
「大門坂」の石段を上る。この階段が267段、約600m続くのだ。前回歩いた時は、雨上がりで、上るのは良いが、 下る方は苔で滑るのを防ぐために、手袋を靴の下に結んでおられた。当時は苔も多かったのだ。
少し上った所に、「熊野古道・中辺路」を歩いた時訪れていた「九十九王子跡」の最後の「王子跡」である「多富気王子(たふけおうじ)跡」の 碑が建っている。これが最後の「王子跡」で、小生のカウントでは101番目の王子跡だった。ここまで到達したことを喜んだことを鮮明に 記憶している。
その時の「見聞録」を読み返すと、「大門坂」を上り、 「那智大社」に到達し、「紀伊路・中辺路」を完全歩行踏破した喜びを思い出させてくれる。

「大門坂」の雰囲気を味わって、駐車場に戻る。
七里御浜
前回に「速玉大社」を参拝していたので、一気に「熊野古道・伊勢路」に向かうべく 無料の高速道路を通って、新宮の街や「速玉大社」を横目に見て、熊野川を渡り、三重県に入る。 妻も三重県は津や伊勢志摩辺りしか知らず、和歌山県から三重県に進む機会はなかったので、新鮮な気持ちで穏やかな熊野川を見ている。
国道42号線を進み、「七里御浜」沿いの「紀宝町・道の駅」で昼食にする。名物と記されている「しらす丼」を注文する。この地域にも「しらす丼」が あるのは知らなかった。美味しい丼をいただき、周辺を散策する。
「道の駅」の一角に「海亀の館」があり、水槽ではたくさんの 海亀が泳いでいる。中には甲羅に藻が生えている海亀もいる。係員の話では、この「七里御浜」でも海亀の産卵があったと。
松林の防風林を抜けて「七里御浜」に出ると真っ青な海と水平線、白波が美しく広がる。
「熊野古道・伊勢路」の「松本峠」から見た景観は忘れられない。
しばらく、静かな太平洋の波の音を楽しみ、丸い石を拾ったりと童心に帰る。「七里御浜」は石ころの浜なので、海水浴には向かないが この20数kmにも及ぶ浜は見事だ。こんな浜にも海亀が卵を産むのには驚く。
車に戻る途中の松林の中に、松にからまる紅葉した蔓を見つけた。ここはまだ秋の趣きが残っているのだ。
紀宝町・道の駅 しらす丼
海亀の館
紅葉した蔓

再び、R42を熊野市方向に進む。松林沿いの国道から、時々青い海が望まれる。
花の窟神社
「花の窟(いわや)神社」の駐車場に車を停め、参拝する。
花窟神社(花の窟神社)は日本書紀にも記されている日本最古の神社といわれており、古来からの聖地として今に続く信仰はあつく、 全国から多くの参拝者がお越しになります。
花の窟では年2回、例大祭を行います。神々に舞を奉納し、日本一長いともいわれております約170mの大綱を岩窟上45m程の高さの御神体 から境内南隅の松の御神木にわたします。この「御綱掛け神事」は、太古の昔から行われており「三重県無形文化指定」されています。 (花窟神社HPより)

ご神体の大きな岩に参拝する。3度目の参拝だが、今までは「大綱」は見られなかったが、今回初めて岩から掛けられた「大綱」を 見ることが出来た。きっと雨風で、年2回の綱掛けの間に切れてしまうのだろう。
ご神体が余りにも大き過ぎて戸惑うが、日本最古の神社に静かに頭を下げる。
ハイキング姿の方も参拝に来ておられる。「熊野古道」散策の途中かと親しみを込めて挨拶する。
花の窟神社 説明
獅岩
近くの「獅(しし)岩」に向かう。
太平洋に面した駐車場に停めて、「獅岩」を眺める。自然の威力がこのような姿に創造してくれるのだ。大きく口を開けた獅の姿は 夕日に映えている。
もう少し東に向かい「松本峠」まで行きたいが、ホテルに戻る時間を考えると 「熊野古道・伊勢路」巡りもここまでにする。
懐かしい史跡をゆっくりと訪れ、昔歩いた紀行の思い出を妻に話す、良い機会となった。
西日に向かって帰路に付く。途中、「道の駅・パーク七里御浜」に立ち寄る。 ここは「伊勢路・本宮道」を歩く時、三重県の山間部に 進むためにバスを待った場所だ。バスで行った民宿で、ビールがなく、休肝日になった苦い思い出の地でもある。
再び、R42を西に向かう。夕日を真正面に浴び、眩しい運転だが、元来た道をスイスイと。
ハイキング姿の方も参拝に来ておられる。「熊野古道」散策の途中かと親しみを込めて挨拶する。
橋杭岩
往路の時通過した「橋杭岩」で車を停める。
この夕暮れの時間になると観光客も誰も居ず、静かな「橋杭岩」を眺める。干潮で周辺の砂浜からニョッキリと岩が突き出す姿はまた珍しい。 前回は岩の傍まで歩いて行ったが、薄暗くなって来たので、諦めてレンタカー店に戻る。
ガソリン代を支払い、ホテルまで送ってもらって今日の「潮岬・熊野古道」巡りドライブを終える。
夕食までの間に温泉で疲れを取る。腰の調子も特に悪くなっていなくて、ゆっくりと温泉に浸かり足腰を伸ばし、リフレッシュする。
夕食は宴会場で「串本会席」で魚介類・肉等々ビールと芋焼酎で美味しくいただく。昨夜と今夜は献立も違い 豪華な食事は旅行値段からしてお得な品だ。(写真撮るのはパス)。
美味しい夕食を終え、一息入れてからもう一度温泉にザブンと。夜になって冷えて来たので、露天風呂に入ると少し寒く、温泉に浸かって 足腰を伸ばし、頭だけは寒風でひんやりと。
風呂上がりに湿布薬を貼り、ケアをしておく。温泉療法はむ腰には良かったようだ。ゆっくりと休む。

「潮岬・熊野古道ドライブ」の「スライドショー」





    
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送