○ [第1日]、松山散策・道後温泉(2016.05.08) 暖冬とは云え、寒暖の差が激しかった冬も過ぎ、満開の桜を鑑賞し終えると早くも春の息吹が感じられる季節になったので、何処かに行こう・・・と 考えていた。 妻が以前からまだ行っていない宮島・錦帯橋の旅を望んでいたのに加え、奥道後温泉には行ったが、道後温泉には行っていないので、これらを網羅したJRの 「松山・広島割引きっぷ」を活用して、周遊旅行を実施しようと計画した。 この切符は、新幹線で広島まで行き、宮島・錦帯橋は普通列車利用して呉まで自由に行動でき、呉から松山まではスーパージェットで船旅を楽しみ、松山で 自由時間を過ごし、特急で岡山経由新幹線で帰阪するルートで、4日間14500円と安い割引切符だ。反対方向のルートも可能なので、いろいろと検討する。 見物先での自由時間を考慮し、新大阪→岡山→松山→松山散策・道後温泉宿泊→松山観光港→呉→宮島散策・宿泊→錦帯橋散策→原爆ドーム見学 →広島→新大阪の二泊三日の周遊旅行とした。 5/8(日)、何時ものように起床・朝食をして、8時過ぎに出発する。 天気予報では、今日は晴れ後曇り、明日以降は雨模様と少し心配だが、久し振りの国内自由旅行を楽しむことにする。 新大阪駅の在来線待合室付近の売店はまだ開店していない所もあるが、店も多く賑やかだ。 新幹線待合室付近も様変わりしていて、いろいろな食べ物屋が 朝食セットを並べている。新大阪から新幹線に乗るのは何年振りだろうかと話し合う程久し振りだ。 瀬戸大橋を渡るが、曇っていて景観が望めないのは残念だが、島々や港を眺めながら四国に上陸する。 丸亀城を眺め、横に長い愛媛県を進む。この路線は、「青春18きっぷ」で何度か通ったが、特急では初めてだ。 10年以上前、夜行快速「ムーンライト松山」で今治まで行き「しまなみ海道サイクリング」を 尾道までサイクリングした楽しくも苦しかった想い出を話しながら松山に向かう。 13時15分、松山駅に到着し、駅中の蕎麦屋で昼食とする。メニューを見ると「ジャコ天うどん」があるので注文する。宇和島名物のジャコ天が入っており、うどんも 讃岐に近いためか腰があり美味しい。この店の名物だそうだ。 駅前広場には、正岡子規の句碑「春や昔 十五万石の 城下かな」が立っている。明治28年、日清戦争に従軍することになり、 出発前に帰省した際に詠んだ句で、松山を象徴する句として有名だと。さすが、子規の町松山だ。 荷物を旅館に預けるため、道後温泉行の市街電車に乗る。「坊っちゃん列車」の時間と合わないので、普通の電車たが、街中を走る市電は懐かしい。 市電は空いていてゆっくりと座り、松山市内を廻って行く。松山城の外堀を縫うように進み、道後温泉駅に到着する。 「道後温泉本館」には、「青春18きっぷ」で 「九州〜四国巡り」を楽しんだ時に立ち寄り、朝風呂に入った想い出がある。格式のある風呂場は、雰囲気があり素晴らしかったと。 まずは旅館に荷物を預けようと市電を降り、商店街に向かう角に「からくり時計」が立っていて、近くには「足湯」も設置されている。賑やかな 商店街には、正岡子規・夏目漱石・秋山兄弟と松山を代表する偉人に関する菓子や土産物屋が連なっており、中国系の観光客が大声で話している 光景に遭遇する。 商店街の広場には、夏目漱石の「坊っちゃん」に出ている人物の人形が飾られ、順番に記念撮影をする観光客でいっぱいだ。いよいよ、 正面に「道後温泉本館」の格式ある建物が現われる。温泉場とは思えない見事な建築だ。観光客も多く、入浴する方も並んでおられる。 「道後温泉本館」の横を廻って、本日の宿泊旅館「葛城」に行き、荷物を預け市内観光に出掛ける。 市電乗場に戻り「松山城」に向かおうと。 坊っちゃんとマドンナの格好をした若いカップルも松山の町に溶け込んで乗っている。マッチ箱のような車内は10人が座れる。 車掌の説明によると、この列車は初期の列車を模して造られたもので、ほぼ実寸通りだと。昔は郊外に向けて走っており、デッキにも人が乗る満員列車だと。 当時は、蒸気機関車だったが、現代ではディーゼル列車に改良され、環境に考慮していると。車掌さんの話も面白く、市内観光案内もしてくれる。 初めは、「松山城」に行くために途中下車する予定だったが、「坊っちゃん列車」の雰囲気をもっと味わおうと終点の松山市駅まで進むことにする。 板張りの車内は、椅子も天井も全て木造りだ。椅子は硬く、天井は趣があり電灯が温かく灯っている。明治時代だ。 座席は10人座れるが、天井には、立っている人用に、手摺が設けられている。満員になったのだ。当時は、時速40km位で走っていたので、結構揺れただろうと 想像する。前の機関車の運転手も窓越しに見られるマッチ箱の列車を楽しむ。 「松山城」の濠を廻って、松山市駅に到着する。 「坊っちゃん列車」を降りると珍しい光景に出合い、しばらくその操作を眺める。松山市駅で「坊っちゃん列車」が方向転換するのだが、 その操作が、手動・人力操作なのだ。機関車を人力で押し、待避線に導き、反対車線に戻す所で、機関車が動力で持ち上げられ、人力で 機関車を回転させて、反対車線に押して行くのだ。昔は、動力で回す所も人力で回転させたのだろう。 次に、2両編成の客車を人力で待避線に。ポイントを切り替えて、反対車線に人力で押し、前に待っている機関車に連結する。約10分間の 珍しい光景に、観光客もカメラを構えている。 「坊っちゃん列車」の乗車券で、松山市駅前の高島屋百貨店の大観覧車に乗車出来るので、屋上に向かう。大観覧車に乗り、松山市街を ゆっくりと展望する。少し曇っているが、翠に囲まれた「松山城」が展望できる。緑豊かな松山だ。 松山の展望を堪能し、階下に降りると母の日に因んで、松山少年少女合唱団のコーラスに出会い、しばし楽しむ。 地方のデパートの様子を眺めながら地下の食料品売り場に行くと、松山名物のお土産がたくさん並んでいる。さすが、地方のデパートの 品揃えは違うのだと。 市電乗場に行くと、先程と違う1両編成の「坊っちゃん列車」が到着し、方向転換する所なので、眺めていると外国人の夫人が、何を するのかと日本語で尋ねられる。昔のように、人力で方向転換すると説明すると、その操作を興味深く観察している。珍しい光景に、 興味津々の様子だ。 当初の予定では「松山城」見物をする予定であったが、「坊っちゃん列車」や大観覧車の乗車等で時間が過ぎてしまったので、見物はパスして、 道後温泉駅に直行する。 先程より観光客も増え、当時の風情を残す駅舎周辺にも人が多い。広場の足湯にも観光客が足を浸けてくつろいでいるのは、温泉地ならではの光景だ。 その横に大きな句碑が立っている。句誌「ホトトギス」を明治30年に創刊した柳原極堂の「春風や ふね伊豫に寄りて 道後の湯」 と記されている。この町には、句碑が点在しているのだ。 旅館に戻るため、混雑した商店街を進むと道角に「四国八十八ケ寺巡礼」の道標が立っている。友人の中には、何度も巡礼をしている方もあり、この道標を 確認して、次の霊場に向かうのだろうと想像する。 商店街の左横に「椿の湯」が建っている。「道後温泉本館」の姉妹湯で、その昔、聖徳太子が行啓された時、椿が枝をさしかわすように生い茂って いる当時の温泉郷の見事な光景を、まるで天寿国にいるようであると称えられたことが起源だと。ここにも、たくさんの観光客が訪れている。 「道後温泉本館」の前も観光客が入浴待ちをしている。横には、観光用の人力車が客待ちで並んでいるのは、京都並みだ。「道後温泉本館」の横には、 「玉の石」が祀られている。この石に道後温泉の湯をかけて願いを込めると、「病気平癒」「縁結び」「商売繁盛」にご利益があると。温泉を柄杓で 汲み、「玉の石」にかけて健康を願う。 無色透明な湯は気持ち良く、 湯船で足腰を伸ばし、ゆっくりとくつろぐ。 夕食は、食事処で地元のお料理が並び、ビールで乾杯し、ご馳走を食べ、芋焼酎をしっかりといただく。美味しい!! 部屋食より、食事処での食事の方が、落ち着いて食べられるので嬉しい。 部屋に戻り、テレビを見た後、再び温泉に入り、ゆっくりと眠る。 久し振りの松山訪問は、「坊っちゃん列車」乗車がメインになったが、楽しいものだった。あの方向転換の操作は、なかなか見られるものではない 貴重な経験だった。「道後温泉本館」の入浴も計画していたが、旅館から外に出るのも面倒、以前に入浴したことがあるのでパスしたが、 観光客の多さには驚く。 明日は、瀬戸内海を渡って広島に向かう旅だが、雨模様なので心配だ。
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