○ 「中山道No8」見聞録(伏見宿〜大井宿)・(距離 35.3km/ 188.9km/ 345.1km) 8−3.(48)細久手宿〜(47)大湫宿・(5.9km) 2009.04.03 7:15〜9:30 晴れ
早く眠ったので、朝3時頃に目覚めた。古式な建屋の廻り廊下から吹き抜けの階段を降り、座敷を通ってトイレに行く。 それだけでも、古い旅籠の趣きを感じる。 昨日の寄せ書きを読み返す。「中山道」紀行の方の熱い想いが綴られており、皆さん、この「大黒屋」さんに泊まることを 楽しみにしておられたのが良く分かる。女将さんのお話し、若女将のお料理への感謝の言葉も多い。 2冊の寄せ書きがあったが、それ以前も保存されているのだろう。やはり、由緒あり、歴史ある宿泊所にはこれからも 機会があれば泊まるべきだと思う。 5時半頃、明るくなったので、早朝の「細久手宿」を味わうべく外出する。青空で天気も良く、空気が冷たく気持ち良い。 今日も天気は申し分なさそうだ。 昨日歩いた宿場の中をブラブラと散策する。誰も歩いていない「細久手宿」の街並みを独り占めする。大火の影響で古い 建物は「大黒屋」さん以外残っていないが、少し曲がりくねった道が旧街道の雰囲気を感じさせる。 うぐいすの鳴き声聞こえ、静かな街並みを楽しんで宿に戻る。
同宿の男性と出会い話すと、車で「馬篭宿」まで行かれると。またお会いしたらよろしくと挨拶して先に出発する。 おにぎりの弁当をもらって出発しようとすると、名物の女将が見送りに出て来られた。85才には見えない若々しさで ご自身が書かれた「細久手宿」のエッセイや歴史のペーパーをいただく。寄せ書き帳に皆さんが絶賛されているのが、良く分かる。 若女将に任せて、今は朝のご挨拶だけにしていると云われていたが、きっとたくさんの方が来られた時は、色々と お話されるのだろう。それが、お元気の源と思った次第だ。 玄関の隣がギャラリーになっており、朝日に輝いて雛人形が飾られている。今日は旧の雛祭りだと説明を受け、しばらく眺める。 雛段の下には大正時代の土製の雛人形も飾られ、年代を感じる。女将・若女将・ご主人に見送られて出発する。(7:20) 朝日を正面から受けて、次の「大湫(おおくて)宿」に向かう。難しくて読めなかったが、浮世絵や道標には「大久手」とも 書かれている。「細久手」に並んで「大久手」と続くのだ。「久手」「湫」で調べると低い湿地・沼沢地とある。 この辺りは山間の湿地帯だったのだろうかと。 昨夜のご馳走にも出ていた土筆(つくし)が草むらに生えている。まだこの辺りは寒いのだ。
宿場を出た所に、大きな「大湫宿への道標」が立ち、 狭い舗装道路を進む。 まだ空気がひんやりとしていて気持ち良い。舗装道路の道沿いは灌木が生え、舗装を除けば旧街道の趣きがある。 少し進んだ所の道端に「見晴台の馬頭様」の標識があり、道の上に馬頭観音が祀られている。 これからの道中もこの標識が 設置され、分かり易くなっているのは有難い。 淡々と進むと前方の両側にこんもりと塚がある。これが「奥之田一里塚」だ。 左右の塚を一緒に写そうとするが、なかなか難しい。今日初めての一里塚だ。 「大井宿」までの間に後4つの一里塚と出会うのだ。
一里塚跡の碑だけ、塚が1つだけ、塚があるが木が植わっていない一里塚が多い中で、昔のまま残っているのは嬉しい。 元のままの位置だったら凄いし、県道の両側に堂々と一里塚が残ってるのは史跡を大切にする行政の姿勢はなかなかのものだ。 「女男松の石碑」の標識を越えて進んでいると、後ろから来た車が停まり、「乗りますか?」と。 同宿の男性の車で、親切に 声をかけていただいたが、歩くのでと丁重にお断りして別れる。
池畔の桜も蕾が膨らみ、少し咲き始めている。 やはり、この辺りは寒いので1週間は遅れている。 池の真ん中の島には「弁財天」が祀られ、橋を渡って道中の無事を願って参拝する。水面には周りの木々が映り、蓮が季節を 待っている静かな光景を楽しみながら一息入れる。(7:50) 静かな旧街道を東に向かう。鶯の鳴き声が段々と上手くなって行くのを感じながら進むと「焼坂の馬頭様」が祀られている。 この辺りで馬車や乗馬用の馬が倒れたことが多かったのであろうと。 養鶏場の道角に「天神辻の地蔵様」が祀られ、少し進むと「一つ茶屋跡」碑が立っているが、痕跡は残っていないようだ。 旧街道に沿って立派な建物が立っている。「国際犬訓練所」と記され、車で大きな犬を連れて来られている方がいた。こんな 山の中に・・・と思った次第だ。 北野バス停に「細久手近道」の道標が立っている。昨夜の「大黒屋」さんの寄書き帳に、東から来られる方が、この道標で間違った方の 話が多かった。東からは曲がらず、左の道を直進すれば良いのだ。 少し進むと「北野坂の廻国塔」碑が立ち、横に人が歩いた跡があるので、少し上ると「廻国塔」が祀られている。 この塔は安政6年(1777年)の創建で、法華経を六十六部写経して、全国六十六州にそれぞれ奉納した行者の記念塔とかで、 今回初めて見聞きしたものだ。
少し進むと道が分かれ、県道から地道の旧街道に進む。気持ち良い道だったが、やはり地道の方が嬉しい。 今日初めての地道を楽しみながら歩を進める。先程の県道が迂回しているのを渡って進むと石畳の「琵琶峠」を 上ることになる。 琵琶峠を中心とする1,028mは往時の面影を残す道標・石仏・一里塚も現存し、昭和45年には500m余に亘る石畳も確認され、 当時の峠開さく時のノミ跡を有する岩や、土止め工事、側溝工事の跡なども認められました。 琵琶峠はこのほか打出浜記・壬戌紀行・木曽路名所図会などにも名所・難所として詳しく述べられており、この付近一帯に 露出する大小の巨岩をあしらって木曽街道六十九次や名所図会にもこの峠付近が画かれたり詠まれたりしています。 (瑞浪市観光案内HPより)
大きくゴツゴツとした石畳の峠道を上る。なかなか見事な石畳で「熊野古道・伊勢路」の「馬越峠」の石畳を思い出す。
上っていると石畳を挟んで「八重沢の一里塚」の丸い塚が盛り上がっている。石畳を挟んでの一里塚はなかなかの眺めだが、 残念ながら木が枯れたのか丸坊主だ。 大湫町と日吉町の境、琵琶坂峠の西側にあり、南塚は大湫町地内で径10.3m、高さ5m、北塚は日吉町地内で径9.4m、高さ4m、 両塚の間隔は10mで南塚は権現山と同様に自然の地形を一部利用して構築されています。 (瑞浪市観光案内HPより) 誰もいない静かな雰囲気を味わい、石畳と一里塚の見事な史跡を眺めながら一息入れる。(8:30) 石畳を上って行くと大きい木の葉が落ちている。勾配のある石畳を上り切ると「琵琶峠」の 頂上には「馬頭観音様」が祀られ、横には「皇女和宮歌碑」が迎えてくれる。和宮もこの石畳を上って進んだのだろうが、 石畳では馬車も通れないだろうから大変だったろうと。 ここからは下り坂となる。途中に見晴らし台への案内があるが、今回はパスして苔の生えた石畳を滑らないように用心しながら 下って行く。本当に見事な石畳だ。 「琵琶峠・東の登り口」に降り、約1kmの峠越えを終え、県道を進む。
「細久手宿〜大湫宿@」の「紀行スライドショー」
大湫病院の横を通り進むと「二つ岩」の碑が立ち、大きな母衣岩(ほろいわ)と烏帽子岩(えぼしいわ)が現れる。 山の上にも大きな岩が顔を出す、岩の多い地域だ。 県道から別れて旧街道に少し迂回し、もう一度合流する間には小さな池があり、東屋もある休憩所にもなっている。 そこには浮世絵の「大久手宿」の絵と「大湫宿」の説明が掲げられている。 もう直ぐ、「大湫宿」に入るので休憩しないで進むと、 近くに「大洞の馬頭様」が祀られ、県道と合流した所に「小坂の馬頭様」が二体並んで祀られている。 本当にこの辺りの街道には「馬頭観音」がたくさん祀られているのに驚く。 道に埋まった小さな橋の欄干が見える。「紅葉洞の石橋」の碑が立ち、当時の石橋が残っているのだ。多分、道幅は もっと狭かったのだろうが、昔の姿で残っているのは嬉しい。
いよいよ「大湫宿」に入る。宿場に迎えるように木製の「常夜灯」と「高札場」が建っている。宿場の風情が残り、 期待出来るお出迎えだ。10枚の高札が掲げられており、立派なものだ。 「大湫宿」の石碑が西の入口を示し、宿場独特のうねった狭い道が続いている。
「大湫観音堂」の石段の横を進むと前方に高い杉の木が立ち、近付くと「神明神社」の鳥居が立っている。
神明神社の社殿の前にそびえる御神木で、樹令1,200年余と推定され、目通りの周11m、樹高60m、コブを付け太い枝を張り広げている 姿はまさに樹木の王者といった感じです。 神明神社は旧中山道の大湫宿の産土神社で、この神明神社の大杉については、太田南畝の旅日記「壬戌紀行」の中に 「駅の中なる左の方に大きなる杉の木あり、木の元に神明の宮たつ」と記されています。 この大杉の根元に「神明の清水」が湧いていて、江戸時代の宿場当時には宿中や旅人の貴重な飲料水として、 大杉と共に親しまれたものです。この清水は今も湧き続けており、宿の面影を残す大湫の町に欠かせない一角になっています。 (瑞浪市観光案内HPより) そばに近寄るとその幹の太さに驚く。「神明の清水」は旅人のオアシスになっていたのだろう。 旧街道の道を進むと古い建屋が連なる「大湫宿の街並み」に入る。木製の屋号が入った「常夜灯」が立ち、軒先には店の名前が書かれた 看板が吊らされており、宿場の雰囲気を満喫できる。 街道から石段が続く門の奥には「大湫宿・脇本陣」が建っている。当時の建屋かどうか分からないが、今も子孫が住んで居られるのは 凄いことだ。 少し進んだ角には「防火用のバケツ」が重ねて置いてあるのは、時代劇で見る風景だ。「常夜灯」と云い、旧街道の風情を残す心意気が 感じられるのは嬉しい。宿場の姿勢がよく反映しているのだろう。
小学校があり、その前の広場に三体の像が立っている。ここが「大湫宿・本陣跡」だそうで、皇女和宮もここで泊まったそうだ。 三体の像はそこに泊まった姫君の像の様だ。 この辺りの街並みも雰囲気一杯で、火災にあっていない宿場の良さが残されている。すぐ横に「大湫公民館・観光案内所」が建ち、 訪れて見学する。高札や史料が展示され、「大湫宿」が良く理解出来る案内所になっている。 古い街並みを楽しみながら、「寺坂」を上って「宗昌禅寺」に向かう。この境内から「大湫宿」の全景が展望出来る。今歩いた 宿場を眺めながら一息付く。(9:30)
「細久手宿〜大湫宿A」の「紀行スライドショー」 「細久手宿」の「大黒屋」さんを出発して、約2時間で「大湫宿」に到達した。 途中は自然豊かで、石畳を楽しみ、一里塚で 休憩し、気持ち良い歩行が出来た。「大湫宿」は昔の風情が残り、山合いの宿場町の雰囲気を満喫出来た。 「美濃路」も後半になり、想像していた「中山道」の姿になって来たことは嬉しい。次はもっと期待出来るだろうと。
|