[大宮宿〜浦和宿][〜蕨宿][〜板橋宿][〜日本橋]


○ 「中山道No21」見聞録(大宮宿〜日本橋)・(距離 29.2km(今回)/ 533.0km(累計)/ 0km(残距離)

前回まで
今回


21−1.(04)大宮宿〜(03)浦和宿・(5.0km) 2012.06.08 9:10〜11:00 晴れ時々曇り


中山道全行程.Map
「大宮宿〜浦和宿・行程MAP」

地図の左下の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(夢街道HPより)

いよいよ「中山道」紀行も最終行程となった。
4年前(2008年4月)に京都・三条大橋を出発し、21回・29日間での日本橋到達となる。 前半は「青春18きっぷ」活用での日帰り歩行と交通の便が悪い所は1泊での歩行で距離を稼いだ。諏訪湖付近までは日帰りで歩行可能で あったが、長野県に入ると日帰り歩行は無理となり、夜行バスを活用しての2日間歩行で、難所の「和田峠」越え、紅葉の「軽井沢宿・ 碓氷峠」を楽しみ、4月に「大宮宿」まで到達することが出来た。

京都タワー

「日本橋」到達時には、神奈川県に住む長男家族が出迎えるとの嬉しい申し出もあり、約30kmと無理すれば1日で進める距離だが、 出迎えの時間も考え、2日間の行程とした。孫達の運動会等の日程を調整した結果、梅雨入りの時期で天候が心配だが、6/8-9に実施する ことになった。
息子の希望として、最後は孫達と一緒にゴールする所を出迎えたいとのことで、ゴールの約4km手前である「東大・赤門」で孫達と合流して、 最後の行程を孫達にも経験させることとなった。

大宮駅

6/7、午前中に妻を新幹線で長男宅に送り出し、京都駅23時発の大宮行深夜バスに乗るべく、少して早目に出発する。
毎度のこと、京都駅近くの居酒屋で少し睡眠薬を飲み、バスの停留所に向かう。今回はJRバスで烏丸口停留所の前には京都タワーが輝いている。 夜の京都駅訪問は久し振りなので、タワーのライトアップは美しい。
夜行バスはほぼ満員で指定席を倒して直ぐに眠ってしまう。中央道を通り、談合坂SAでトイレ休憩をし、明るくなった行程をウトウトとして進む。 しかし、高速を降りてから立川・東大和・所沢を経由するので時間がかかる。途中、渋滞もあり、窓から外を眺めたりと大宮駅到着予定8時が、 8時45分と大幅に遅れる。
天候を心配したが、青空も見え、暑さ対策の方が大切だと心を引き締め、駅前のうどん店に入って朝食とする。
9時10分、大宮駅を出発し、「大宮宿」に向かうが、前回紀行したので、「氷川神社」の参道を通って、前回の終了地点に向かうことにする。 前回歩いた高島屋の前を通り、参道に進み見事な「欅(ケヤキ)並木」の参道の陰を楽しみながら進む。気持ちの良い参道だ。 「氷川神社・一の鳥居」に到達する。目の前には、さいたま新都心の近代的なビル群が立ち並び、参道とは 時代の違いを感じながら、ビル群に向かって出発する。(9:30)

氷川神社参道

氷川神社・一の鳥居

近代的なビル群


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

JRさいたま新都心駅を過ぎた国道の歩道に祠が祀られている。祠の裏側には「高台橋跡」の説明があり、正面には「火の玉不動と お女郎地蔵」が祀られている。

火の玉不動とお女郎地蔵

江戸時代、大宮宿の旅籠・柳屋に千鳥と都鳥という姉妹が旅人の相手をしていた。 宿の材木屋の若旦那と千鳥が恋仲となり、末は夫婦にと堅い約束。しかし、神道徳次郎という大盗賊が、 何が何でも千鳥を身請けするとせまり、ついに宿に火をつけると凄む始末。 これを知った千鳥は思い余って高台橋から身を 投げてしまったのだとか。 哀れに思った近くの人が女郎地蔵を建立したのだと。
その頃、高台橋付近で火の玉が見られたが、人々は高台橋から身投げした遊女千鳥の霊魂だとか、傍らの不動明王の悪戯だとも 噂しあった。 ある夜、一人の男が松の陰に潜んでいると、谷間から火の玉が。男が火の玉に切りつけると「ギャー」と言う声がして そこには物凄い形相の男が。 その男は 「俺は不動明王だ。お前に剣を切り落とされた」 と言って消えてしまった。 この話を聞いた村人が翌日見にゆくと、怖い顔をした不動明王は剣を持っていなかったのだとか。以来、火の玉不動 と呼んでいると。 (北袋お地蔵祭り実行委員会HPより)

陽が上り、暑くなり始めた国道を進むと立派な「欅並木」が道の両側に立ち並び、陽を遮り涼しく感じる。参道と云い、この並木も 良く残っていたものだ。
並木道がなくなり、陽射しがきつい国道はJR与野駅を右に見て、少し進んだ道路脇の植え込みの中に「一本杉」と刻まれた石碑が立つ。 日本最後の仇討が行われた場所だそうだが、「熊野古道」でも同じ主旨の石碑があったのを思い出した。 少し進むと「庚申塔」が祀られている。「馬頭観音」や「庚申塔」が祀られていると旧街道だと確認できるのは旅慣れたためか。

欅並木

一本杉の石碑

庚申塔


淡々と国道を進むと「廓信寺」が建ち、門前に「サツマイモの女王・紅赤の発祥地」の案内板が掲げられている。「紅赤」と云う品種は知らないが、 家庭菜園で植えたのは「ベニアズマ」と後継品種なのだと知る。サツマイモ=薩摩と考えていたが、埼玉に改良のルーツがあったとは。
JR北浦和駅を横目で見て、国道を進むとJRの高架橋を越えて「浦和宿」に向かって行く。
左に「成就院」を見て参道を入ると紫陽花が見事に咲いている。梅雨時になったのだと。すぐ傍に「慈恵稲荷」の鳥居と「ニ・七市場跡標柱」 と「御免市場之杭」が立っている。戦国時代にこの地で2と7の日に市が開かれ、この市場は昭和初期まで続いたそうだ。 

廓信寺 説明

成就院

慈恵稲荷とニ・七市場跡標柱


「浦和宿」の中心街を進むが、昔の面影はなく、大都市の通りだ。少し進んだ道脇に「サツマイモを売る女性」の銅像が立てられている。 ここからの脇道を「市場通り」と云われていたようだ。
少し先の小道を左に入ると、「仲町公園」という小さな公園があり、ここが「浦和宿本陣跡」で、本陣跡説明板と「明治天皇行在所跡」碑 が建てられている。本陣は少し奥まった所にあったようだ。
公園の木陰で一息入れる。(10:40-10:45)

現在の浦和宿

サツマイモを売る女性

浦和宿本陣跡 説明


旧街道から脇道に入り、「玉蔵院」に向かう途中、若い女性がホテルの前にたくさん集まっている。サッカーのユニフォームを着て、誰かを待っている。 今日はサッカーW-Cup予選が大宮で行われるので、選手が宿泊しているのかとしばらく見るが、変化がないので進むことにする。
「玉蔵院」を探しながら進み、立派な「地蔵堂」「山門」を見学して、旧街道に戻る。旧街道には「中山道・浦和宿」の石碑が立ち、 宿場の中心地であったことを示している。少し進むと旧家が間隔を置いて2軒残っており、昔の雰囲気が残っているのは嬉しい。

玉蔵院・山門

中山道・浦和宿の石碑 石碑A

浦和宿の旧家 旧家A



「大宮宿〜浦和宿」の「紀行スライドショー」

浦和駅周辺の「浦和宿」の賑やかな地点を過ぎ、少し落ち着いた国道を「蕨宿」に向かうが、暑くなって来た。


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