[周防花岡〜湯野温泉][湯野温泉〜長沢温泉][長沢温泉〜嘉川]


○「山陽道No20」見聞録(周防花岡〜嘉川)・(距離 60.9km(今回)/ 562.9km(累計))

  3.長沢温泉〜JR嘉川駅・(13.5km) 2014.05.29. 6:45〜11:50 晴れ


西国・山陽道全行程.Map

「長沢温泉〜JR嘉川駅・行程MAP」

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見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(街道歩き旅.com HPより借用)

ぐっすり眠り、5時過ぎに目覚めると明るくなっている。窓を開ければ、小さな庭越しに長沢池が望まれる。

庭からの長沢池

今日の行程は短いので、ゆっくりスタートしようと話していたが、三人とも早起きなので、7時45分に出発することにする。朝食は9時から なので、近くのコンビニで朝食を調達し、長沢池畔で食べようと考えていた。
チェックアウトする時に、ご主人と話すと高速道路が出来る前は、 国道2号線を走る車が多く、泊まったり、食事をするドライバーや観光バスでの来客が多かったが、高速道路が開通してからは、車が 少なくなったと。高速道路開通の功罪が、観光業には大きく表れることを認識する。
国道2号線沿いのコンビニに立ち寄り、おにぎり・サンドウィッチと朝食を調達し、ホテルの前まで戻り、国道から左に入って、木立の道を進む。 朝の冷たい空気が気持ち良い。道沿いには、朝露に輝くアザミの花が可憐に咲いている。昨日も何度か見たが、朝日を浴びたアザミは 美しく、紀行の門出を祝ってくれているようだ。
山陽本線の踏切を渡り進むと、少し先に大きなため池があり、静かな水面に山々が映り、これも美しい。道なりに右の方に進んで行くと 、左に大きなお寺も建っている。のどかな旧街道だ。再び、山陽本線の踏切を渡ると左に「石地蔵」が祀られている。その先、 国道2号線に当たり、右正面には、大きな長沢池が広がっている。

木立の道

朝露に輝くアザミ

静かな池面 石地蔵


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

旧街道は左に折れて、国道を進むが、長沢池の北にある「大村益次郎の墓」を参拝するため、国道を横切り、真っ直ぐに進む。 交叉点の長沢池端に「赤川晩翠の詩碑」が立っているが、逆光で見えない。
長沢池に沿って進みながら、朝食場所を探す。少し先に、池の中に突き出した半島のような所があり、途中に石橋が架かっているのが見える。 下草は夜露で濡れているので、石橋に腰を掛けて、朝食とする。(7:20-7:40)
朝食後、半島の奥に進むと池に面して船着場のようなものがあり、そこから真っ直ぐに鳥居が立ち、参道を進むと「松嶋天女廟碑」が 祀られている。昔は、半島ではなく、島だったのだろうと想像する。なかなか神秘的な場所だ。

赤川晩翠の詩碑

弁天様への道

松嶋天女廟碑 鳥居


長沢池畔に戻り、北に進むと「大村益次郎の墓」の道標に従って、丘に上って行くと立派な「大村益次郎の墓」が祀られている。 鋳銭司の医家に生まれた大村益次郎は、洋学・医学を学び、戊辰の役の参謀として功績を残し、明治政府でも軍政改革を唱えた。しかし、 京都で襲撃を受け、大阪の病院で、没したと。「大村益次郎の墓」は、妻・琴子の墓と並んで祀られている。
元の道を戻っていると「東條就類頌功碑」が立っている。寛永19年(1642)に「長澤池築造」に功績があった方だと。長沢池は、400年以上 前に造られたとは驚きだ。また、長沢池の中には、小さな鳥居が水中から頭を出している。先程参拝した「松嶋天女廟碑」と関係して いるのだろうと想像しながら、国道に戻る。(8:05)

大村益次郎の墓

東條就類頌功碑

池の中の鳥居


国道2号線を西に向かうと、少し先に右に入る道が旧街道で、国道と並行に進む。

一回一力一心の碑

しばらくすると再び国道に合流し、左側の細い道に 入って進むと、JR四辻駅前に出る。駅前の歩道橋には「ここは、鋳銭司(すぜんじ)・銭貨のふるさと」と記されている。
町役場の横には「鋳銭司遺跡図」の案内板が立ち、鋳銭司とは日本古代国家の鋳銭所の名称で、この辺りで、平安時代から約180年の間、 貨幣造りが行われたと。歴史のある地名なのだと知る。
また横には「「一回一力一心」と刻まれた碑が立っている。読み方によれば「百万一心」とも読める碑で、役場の方が出て来られ、 説明受け
毛利元就が「国人が皆で力を合わせれば、何事も成し得る」という意味で云った云われ、吉田郡山城の工事を行う際、 人柱の替りに使用した石碑に刻まれた言葉と云われていると。戦国武将・毛利元就の逸話としては、三本の矢は知っていたが、 この話を聞き、情深き人だと感心する。
その先、右に「地蔵尊」が祀られているのを見て進むと、川があり、二股になっているが左の高橋橋を渡る。 静かな旧街道となり、青空を仰ぎ、少し暑くなって来たが、畑と家並みが連なっている旧街道は気持ち良い。

JR四辻駅前の歩道橋

地蔵尊

静かな旧街道


右に山陽自動車道を見ながら、道なりに進むと、右に「春日神社」の鳥居が立ち、その手前に「建石」か建っている。平板が立っているような 大きな石だが、案内板によると、昔からあり、文字も刻まれておらず、いつ何のために建てられたか、定かでないと。
少し進み、高速道路の高架下を抜けて進む。その先の「圓覺寺」は右に曲がり、左に曲がる枡形になっており、左に赤く塗られた祠の 「陶(すえ)上市の市恵比須」の祠が祀られている。昔から市の立つ所にはえびす様を祀る風習があったと。恵比須様が祀られているのは、 海に近かったのか、陶と云う地名は、陶氏に由来するのかと話しながら進む。
すぐ先、右の手「市自治会会館」の前に「地蔵立像」と「宝筐印塔」が祀られている。枡形や地蔵尊等、旧街道の雰囲気を残す静かな道だ。 がある。地蔵立像の方は享保六年(1721

春日神社の鳥居と建石 圓覺寺

陶上市の市恵比須の祠

地蔵立像と宝筐印塔


人通りが全くない旧街道を進み、川を渡る所に、火の見櫓の半鐘が掛っている。昔の雰囲気が残っている道だ。
川を渡ると右に「地蔵堂」と「下市の市恵比須」の祠が祀られている。先程の「上市の市恵比須」と市の両側に祀られているのだ。 右に「艫綱(ともづな)の森」という案内板がた立っている、案内板によると、「艫綱の森」と呼ばれる「寄船神社」は、 611年百済の皇子琳聖太子が上陸し、ここに祀られており、太子は焼き物造りを伝えたと。寄船と云う名前からしても、海に近かったの だろう。
その先、右に「日吉神社」の大きな鳥居が立ち、直ぐ左には「茅葺の古民家」が残っているのは嬉しい。

下市の市恵比須の祠 旧街道

日吉神社の鳥居 艫綱の森

茅葺の古民家


旧街道は、広い県道に合流し、しばらく県道歩きをした後、メモリアルおごおりの建つ角を、右に曲がって坂道を上って行く。細長い池があり、 その脇を進むと新幹線の高架があり、その下を抜ける。
高架下から椹野(ふしの)川の堤防に向かう右に新しい「一里塚」の石碑が立っている。碑には「従安芸郡小瀬川二十二里・ 従赤間関十四里」と記されている。下関まで56kmと射程距離に近付いたことを認識する。「一里塚」碑が、この辺りは復活しているのは 嬉しく思いながら、堤防に上り、広い椹野川を渡る。

池沿いの道

一里塚の石碑

広い椹野川


「山陽道・長沢温泉〜JR嘉川駅@」の「紀行スライドショー」

東津橋で椹野川を渡り、旧街道は直進するが、左に堤防の上を進むと土手の左に「藩米津出蔵(はんまいつだしくら)跡」の案内板が 立っている。案内板によると、ここ東津は山陽道の渡河地点に当たり、港としても賑わい、年貢米はここに集められ、大阪に運ばれたと。 蔵に並んで川口番所があったと。
旧街道に戻り、堤防を下って行く。人通りのない道を進むと左に「正福寺」の前を過ぎ、JR山口線の踏切を渡って進む。商店街が 続き、少しづづ賑やかになって来たので「小郡宿」が近そうだ。

藩米津出蔵跡

人通りのない旧街道

正福寺


四つ角を左に曲がって「小郡宿」に入って行くが、史跡は残ってい無いようで、淡々と進む。
旧街道には史跡は見当たらないが、歯医者さんの多いのには驚く。こんなに多くて、成り立つのかと話しながら、西に向かう。左の奥に JR新山口駅があるはずだが、特に標識もなく、無機質な宿場を進むと右側から国道9号線が曲がってくる角に「粟島神社」の鳥居が立っている。 あっと云う間に、「小郡宿」を通り抜けてしまったようだ。

小郡宿への角

小郡宿の旧街道

粟島神社


「小郡宿」の史跡で漏らした処もるので、最終回の紀行前に、単独で探索する。
2014.11.23、友人たちと待合せるまでに時間があったので、新山口駅から「山陽道」に戻り、美祢線の踏切から歩き始める。(8:10)
踏切からは、前回歩いた行程なので思い出してくる。右側に古い金物屋さんが建ち、その先の四辻の右手前には「東津道標」が立っている。 「左萩山口石見」「右京江戸」と記されている。萩への道なのだ。

金物屋

東津道標

道標の碑


四辻を左に曲がり西に進む。前回も史跡が見付からず、淡々と進んだことを思い出しながら、二階の漆喰模様が美しい旧家を眺め、その先の 交叉点の左角の駐車場は「三原屋本陣」だそうだが、何の標識もない。少し寂しい「小郡宿」だ。 そのまま西に進むが、特に史跡もなさそうなので、新山口駅に向かうべく旧街道を離れる。前回、昼食を食べた中華料理屋を確認し、 駅前の山頭火の「大きな徳利」のモニュメントを見て、紀行を終える。(8:40)

漆喰模様の旧家

三原屋本陣跡

山頭火の大きな徳利のモニュメント


広い国道9号線を注意して渡り、国道沿いに左に進むと県道335号線に当たる。県道を進み、山陽新幹線の高架下を抜け、少し行くと左斜めに向かう 細い道に入るのだが、その手前に「小さな祠」が祀られ、細い道の右には「地蔵堂」も祀られ、旧街道の趣を残している。
陽射しがきつくなった旧街道を進むと左の高台に「道路改修記念碑」が立っているのを確認して進む。立派な蔵が持つ家が建つ街並みを進むと 山陽本線・宇部線の長い踏切があり、丁度、電車がやって来た。新山口から宇部線が分かれているのが、確認できた。

小さな祠 地蔵堂

立派な蔵が持つ家

山陽本線・宇部線の踏切


踏切を渡ると田園風景の広がる真っ直ぐな道になり、正面には雨乞山が見える。昔は狼煙場でもあったそうだ。日陰がなく、暑さが増してくる。 道なりに上り坂となり、左には「地蔵堂」が祀られている。
坂の頂上は、宇部線を渡る跨道橋となっており、渡った所から左に曲がって行く。宇部線の上嘉川駅に近付くに連れ、立派な家も建ち、右には 「嘉川霊場第二十一番」の「大師堂」が祀られている。

真っ直ぐな道

地蔵堂

上嘉川の家並み 大師堂


その先、山陽本線の踏切を渡り、嘉川の集落に入る。嘉川は古代山陽道のの宿駅だったそうで、旧家が残っている。静かな旧街道の右には 名前が分からないが神社が鎮座し、横には立派な「本間源三郎顕彰碑と「山陽道嘉川市」の標識が立っている。この辺りは、市も 立っていたのだろう。
少し先で、県道を斜めに渡り、道なりに進むと、再び、県道を横切る。少し進むと、右に石碑と小さな石塔が数個並んで祀られている。 何を意味するのかは分からない

名も分からない神社

嘉川の街並み

石碑と小さな石塔


静かな街並みを楽しみながら進むと左の嘉川公民館の手前に「三体の石仏」が祀られ、横に、鋳銭司で見た「一回一力一心」の碑が立っている。 この辺りでは「百万一心」の思想が行き渡っていることが分かる。

三体の石仏と一回一力一心の碑

JR嘉川駅

そろそろJR嘉川駅に近付くが、旧街道は山陽本線から離れて、内陸部を進み、次のJRと接近する駅は厚東駅まで約12kmあるので、今回の 紀行はJR嘉川駅までとしていた。公民館の売店で飲み物を調達しようとしたが、ビールは売っていず、駅前から県道に出た所の店に売っていると 教えてもらう。
道なりに進むと左にJR嘉川駅が見えたので、県道の店に立ち寄ると年配の奥さん方の社交場となっており、何処から来た・何処へ行くのかと 質問を受け、楽しく話す。大阪に住んでいたとの話題もあり、列車の時刻を確認し、ビールを買って、JR嘉川駅で、今日の紀行・完歩を祝って 乾杯する。
時間的には余裕があるが、新山口に戻り、昼食を食べ、湯田温泉で汗を流す当初の予定通りになったと満足し、本日の紀行を終える。歩行歩数は、 28700歩と少なかった。(11:50)

「山陽道・長沢温泉〜JR嘉川駅A」の「紀行スライドショー」

12時17分発の列車で、先程歩いた新山口駅に戻る。焼肉が食べたいとのリクエストで、焼肉屋を探すが店屋が少ない上に、見付けても開店前で 昼食を食べる所も見つからない状態で、開いている中華料理店で、冷たい生ビールで乾杯し、それぞれ好みの料理を食べる。
新山口駅前には、昨日、生家を訪れた種田山頭火を模した「大きな徳利」のモニュメントが立ち、山口と山頭火の関連が深いことを示している。 酒を愛した彼を上手く表していて面白い。
山口線に乗り、湯田温泉に行く。駅前には「大きな白狐・ゆう太」のモニュメントが迎えてくれる。白狐が湯田温泉を教えてくれた由来によると。 温泉街まで進み、観光案内所で日帰り温泉を聞き、近くの「かめ福」に行き、ゆっくりと身体を癒す。色々な風呂があり、露天風呂を堪能する。 3日間の疲労が、湯田温泉で吹っ飛んだ感じだ。

大きな徳利のモニュメント

大きな白狐・ゆう太

かめ福


当初計画した3日間の紀行予定は完了し、温泉での癒しタイムも満足した。予定時間より早く終えることが出来たので、新幹線で帰るO君・N君は 早目の列車に乗ることになり、下関から夜行バスで帰る小生とは、湯田温泉のバス停で分かれることにり、彼らを見送って、湯田温泉内を散策する。
湯田温泉には、2006年7月に「青春18きっぷ」で 「SL・トロッコ乗車と中国・四国散策」の一環として津和野から 「SLやまぐち」で訪れ、日帰り湯で疲れを癒した思い出の地だ。「中原中也記念館」等、しばらく散策するが、陽射しが厳しいので、早々に 湯田駅に戻る。
15時32分の列車で、新山口に戻り、更に下関に向かう。新山口からは車窓を見る間もなく、ぐっすりと眠り、17時21分に下関に到着する。 まだ明るい下関の街を門司への連絡船乗場に急ぐ。「薩摩街道」紀行時、海底歩道で門司に渡ったが、連絡船で関門海峡を渡ったことがない ので、初体験だ。往復800円のチケットを購入し、乗船する。
甲板上部の席に座り、潮風を浴びながら、関門海峡を見渡しながら、門司に向かう。夕闇が迫る関門大橋・門司市街を眺めるのは気持ち良い。 なかなか優雅な航海だ。10分余りで門司港に到着する。

下関の街並み

関門大橋を望む

門司市街を望む


関門海峡の夕日

門司港は、「薩摩街道」紀行のスタート地点で、「山陽道」の最終地点・下関から海底歩道を抜けて訪れた場所だ。 (「薩摩街道No1」見聞録 (下関〜直方))
港周辺の歩いた場所を散策する。旧三井倶楽部や工事中の門司港駅や商店街を見物し、夕陽が沈む時間になったので、港に戻る。 ベンチに座り、ゆっくりと日没の光景を堪能する。
静かで、汽笛が聞こえ、貴重な時間だ。夕陽が美しい。
下関への出航時間に合わせて、乗船場に向かうと通勤客も結構おられ、下関から門司に通勤していることが分かる。
同じ場所に座り、日が暮れて行く関門海峡の夕暮れの光景を楽しむ。灯台に灯が点き、幻想的だ。
関門海峡進むと日が暮れて、ネオンサインが輝き、先程までの光景とは違った美しさがあり、ゆっくりと堪能する。
下関に戻り、バスの停留所を確認した後、夕食の場所を探すが、繁華街の中には適当な店が見付からず、ウロウロと。
やっと、適当な店を見付け、カウンターに座り、ビールで乾杯する。主人と「山陽道」紀行の話をすると、以前にも同じような旅人が訪れたと。 同じ趣味の人は、同じような店に行くのだろうかと思いながら、会話が弾む。

旧三井倶楽部

灯台に点灯

下関市街の夜景


23時30分発の夜行バスの出発に合わせ、店を出て、バス停に向かう。湯田温泉で彼らと別れた以降も含めての歩行歩数は、43000歩だった。 新山口以降も結構歩いたのだ。
定刻通りバスが到着して乗車すると満席で、4人席の隣も若い男性が座っている。通路側に座っているので、動き易いが目覚めてしまう。7時過ぎに 大阪・梅田に到着し、8時30分頃、無事帰宅する。
久し振りの2泊3日の紀行で、距離を稼ぐことができた。史跡も残っており、防府では寄り道もでき、天候にも恵まれ、充実した紀行だったのは 嬉しい。次回は、11月以降に、最終地点・下関まで進み、「山陽道」紀行の完全踏破を果たしたいものだ。

この「紀行記」を作成している間に、ブラジルでのW-CUPが開催され、ザック・ジャパンの応援に深夜からテレビ観戦をしていたので、なかなか紀行記を 進めることができなかった。結果も1分け2敗と残念ながら、決勝トーナメントに進めなかった。
期待していただけに、残念だが、個人・チーム・戦術も含め、4年後に期待したい。残念だった!!


[周防花岡〜湯野温泉][湯野温泉〜長沢温泉][長沢温泉〜嘉川]


(工事中)




    
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