○ 「中山道No15」見聞録(宮ノ越宿〜洗馬宿)・(距離 38.3km/ 305.5km/ 227.5km)
15−5.(32)本山宿〜(31)洗馬(せば)宿・(3.3km) 2010.07.29 13:10〜14:10 雨
「本山そばの里」で美味しい蕎麦を食べ、一息入れ次の行程に進むことにする。
「洗馬宿」の洗馬駅までは 近いが、次の「塩尻宿」までは10km以上あり、JRの駅とも離れている様子なので、「洗馬宿」で本日の行程を終えることにする。 雨が止み、蒸し暑い旧街道を進むことになる。ここはまだ「本山宿」の内部で、街道筋にたくさんの石碑が祀られているのを見て進むと 東の入口を示す「本山宿の碑」が見送ってくれる。 雨に濡れた旧街道は再び国道19号線と合流し、少し進んだ所で旧道と別れる。旧街道を淡々と進むと「道祖神」の碑が建ち、その先には 木製の「牧野一里塚」の碑が建っている。木製の碑は珍しく、草花の咲く丘の斜面に建っているのは趣きがある。
中山道は、塩尻宿から洗馬宿へ入る手前で善光寺街道と合流する。したがって洗馬宿は、江戸方面と善光寺方面の追分に当たる。 洗馬宿は、塩尻宿や本山宿と同時期につくられたが、昭和初期の大火でそのほとんどを焼失し、宿の面影はほとんどないが、 追分に当たる場所には常夜灯の石燈籠が残されている。 宿内の施設として注目されるのが貫目改所で、中山道では板橋、追分そして中山道の中央地点に当たる洗馬宿の3カ所に置かれた。 貫目改所では、改役人・帳付・秤取の役人がいて道中の荷物の貫目を検査し規定以上の貫目に対して超過金の取り立てなどを行った。 (塩尻市観光協会HPより) 「洗馬宿」の街並みを見ながら進むと「地蔵山新福寺跡」の立て看板や、「高札場跡」碑と焼失した史跡の説明が整備され、 「万福寺」の赤い山門が迎えてくれる。火災で焼失しても、その史跡を説明板ででも残している姿は嬉しい。
史跡が続く。「脇本陣跡」「貫目改所跡」「本陣跡」とかたまって表示されている。 建物を写さなかったが、当時の面影はないようだ。「貫目改所跡」の言葉は初めて接したが、「中山道」では洗馬・板橋・追分の3宿のみに しか設置されていなかったとのことで、初めてなのは当然だ。 街道の運搬に規定重量があったとは知らなかったが、合理的な制度があったのに驚く。尺貫法がなくなり、久し振りに貫目(かんめ)と云う 言葉を聞き、懐かしい感じがした。 史跡を眺めながら歩いていると、酒屋があったので、缶ビールを買い求め、JR洗馬駅に向かう。 14時10分駅に到着し、無人の駅で、濡れた体を拭き、下着を着替える。靴下は濡れているが暖かい下着にホッとする。列車は14時56分発 なので、ベンチに座り、2日間の紀行を終えた満足感を称えて乾杯する。美味い!!
「本山宿〜洗馬宿」の「紀行スライドショー」 春以来延びていた「中山道紀行」も「奈良井宿」宿泊の所期の計画通り実施できた。中間地点を過ぎ、「木曽路」も踏破できた。 「信濃路」に入り、これからの行程は遠くなり、厳しい状況が続く。 当初、松本へのバスは昼間しかなかったが、今回確認すると夜行バスも設けられていた。これはラッキーと、計画立案に幅ができた。 「青春18きっぷ」も限界に近付いていたので、良いルートを考えたい。 秋の気候の良い時期に、「塩尻宿」「下諏訪宿」を踏破して、和田峠に向かいたい。
|