○ 「中山道No15」見聞録(宮ノ越宿〜洗馬宿)・(距離 38.3km/ 305.5km/ 227.5km)
15−3.(34)奈良井宿〜(33)贄川宿・(7.3km) 2010.07.29 8:10〜10:30 雨
窓を開けて眠っていると夜中に少し寒くなり、窓を閉める。再び眠り、雨音で目覚める。 計画段階では、両日ともに晴れの予報だったが、全国的に雨の予報に変わってしまった。小雨であれば続けるが、余り雨が ひどいと帰ることも考えようとガイドブックで行程を確認しながら、夜明けを待つ。 昨夜、宿の「寄せ書き帳」を借りていたので、ゆっくりと読む。たくさんの方が泊まられ、色々と感想を書かれている。やはり 評判通りのおもてなしと料理が好評だ。以外に外国人の宿泊が多く、各国から来ておられるようだ。「馬篭宿」でもそうだったが、 外国のガイドブックに掲載されているのだろう。前日満室で断られたのは、台湾からの観光客で満室だったと。
番傘に当たる雨音が余計に風情を感じる。番傘を差し、まだ薄暗い宿場の写真はピンボケが多く見苦しいが、その時しか写していない 史跡は止むを得ない。 誰も歩いていない宿場の雰囲気は「妻籠宿」でも経験したが、独り占めにしている満足感で一杯だ。 番傘に落ちる雨音と下駄の音を 聞きながら、東の方向に進む。 「大宝寺」の「マリア地蔵」を見学に行くが、まだ開いていないので、隠れキリシタンの歴史をみることが出来な かった。「中山道」でも御嵩宿から細久手宿の間に「マリア像」が祀られていたのを思い出し、日本のど真ん中でも、隠れキリシタンがおられた ことを知らされる。 静かな宿場町を歩む。宿場の建物に色々な顔が表現されている。造り酒屋の杉玉、電灯が灯る水場を眺めて、奈良井駅に向かうと 「奈良井宿」の大きな看板が観光客を迎えるように建っている。その横には、先達の方に「奈良井宿」に行けば、ここの蕎麦を食べるべしと 教えられた「楽々亭」が建つが、今回は食事するのを断念する。
奈良井駅前から坂を上ると「八幡宮」の長い石段があり、更に進むと雨で煙った薄暗い「杉並木」が続く。旧街道の趣きを残しているが、 「杉並木」は短いもので、少し物足りない。
二百地蔵:杉並木の旧中山道を抜けると静かに佇む石仏群があります。かつて旅人が途中で死を迎えて無縁仏となっていた石仏を 一ヶ所に集めたものとされています。素朴で豊かな表情は訪れる人の心を和ませてくれます。 (奈良井宿観光協会HPより) 番傘を差して宿に戻る。雨は降り続き、今日の予定をどうしようかと考えながら。 帰路にもう一度「木曽の大橋」を東側から眺める。やはり、総檜造りの橋は壮観だ。橋の上から奈良井川の流れを見ると、昨日まで 見ていた木曽川とは反対に流れている。「鳥居峠」が分水嶺だとの説明に納得する次第だ。この川が日本海に流れ着くのだと。 店先に駕籠を飾った店等、装飾品を楽しみながら宿に戻る。
部屋に戻り、一息入れる。部屋の入口には先程見た「木曽の大橋」の暖簾が吊るされている。
7時半前から朝食になる。素朴だが美味しい朝食をいただく。昨夜のご夫婦は朝食抜きだとで、お会い出来なかったのは残念だ。 食事を終え、昔の問屋の内部をパチリ。やはり歴史を感じる建屋だ。 まだ雨は降っているが、行ける所まで歩こうと決心し、リュックに防水カバーをかぶせて出発する。 若旦那が、 「伊勢屋さんのHP」に掲載するので、写真を写したいとのことで 玄関で写してもらう。この格好で歩いていたのだ。(新着情報・7/29掲載)
「早朝の奈良井宿」の「紀行スライドショー」 8時10分、まだ雨は降り続いている。リュックにレインカバーをし、傘を差して、若旦那に挨拶し、静かな「奈良井宿」に踏み出す。 「奈良井宿・本陣跡」の碑が宿の近くにあるはずだが、朝の散歩で分からなかったので、若旦那に確認して、裏の駐車場近くに発見する。 宿場の本通りから離れた場所にあるのは不思議だ。 人通りの少ない宿場を味わいながら駅の方に進む。雨が激しくなり、格子戸にもはっきりと写る状態だ。奈良井駅の古風な駅舎の前を 通り、「奈良井宿」から次の「贄川宿」に向かう。
JRの踏切を渡り、奈良井川沿いに進む。木曽川は遡って行ったが、奈良井川は流れに沿って下って行く。国道19号線を通らず、 奈良井川の堤防の上の道を進む。再び、JRの高架下をくぐり旧街道に入る。 この木曽平沢付近は漆器の産地で、「漆器会館」の立派な建物や静かな街並みの漆器販売店はまだ開店していないが、扉越しに 漆器が陳列されている。このような店が軒を連ねているのだ。
雨の街道を歩き続ける。暑さはないが、靴が濡れて来て気持ち悪い。雨に濡れた旧街道は「諏訪神社」に繋がり、石段を上り 神殿に参拝する。境内には「御柱」が立てられている。先日、「諏訪大社」の行事が放映されていたが、ここの「諏訪神社」にも 祀られているのだ。 再び、旧街道を進むと国道と交わる所に道の駅「木曽ならかわ」があったので、雨宿りを兼ねて休憩する。(9:20)
旧道に入る道に出会うと嬉しく、しばし、雨の歩行を安心して進むと再び国道だ。
本来なら人息つきたい所だが、雨宿りする場所もないので、そのまま進むことにする。 旧道を進むと行き止まりになってしまう。少し戻り、国道に出るが、そこは歩道もない道で、傘を差しながら進むが、傘をあおられて 怖い位だ。 何処かで道を間違えたようだが、取り敢えず進まざるを得ず、やっとのことで漆器屋の店の前に到達する。ガイドブックでは手前に 道があり、「中山道の碑」もあったそうだが、戻る気もせず、再び歩道のある国道を進む。 しばらく雨の国道を進むと「贄川のトチ」の標識があり、樹齢千年のトチの木が植わっているらしいが、パスして進む。JRを越える高架橋が あり、「贄川宿」の矢印があるので、国道を渡り、高架橋を越えて「贄川宿」に向かう。
「奈良井宿」に比べると寂しい「贄川宿」の街並みが続く。
現在は、数度の大火により家並みは失われたが、わずかに上町に古い建物が残り、 往時の姿を偲ぶことができる。 この贄川からは、小澤文太郎重喬をはじめ20人を越える平田篤胤没後門下の国学者を輩出し、 とくに千村景村や贄川勝巳などは桂園派の歌人としてよく知られている。 (塩尻市観光協会HPより) 街並みの中に立派な旧家が建つ。重要文化財「深津家」で、当時の建築方式で堂々と建っている。火事で宿場が焼けた中での、旧家を眺めて 進むと用水場・水場が所々に設置され、その水で選択している老人も居られる。宿場の維持管理の中で、防火体制が如何に大切であったかが、 今までの宿場を通じても良く分かる。 街道筋には「麻衣廼神社」の碑があり、少しだけ趣きを残している。
「贄川宿」を進み、JRの高架橋の手前に「贄川関所」が建つ。
贄川関所は、宿の北の端の入口に設けられている。この関所は、「軽き御関所」ともいわれ、福島関所の「添え」としての付属の関所で あった。 関所の機能の一つに女改めがある。土地の婦女が、縁組や寺社仏閣参りや奉公のため通過するときは、領主などの証文や 名主の手形を必要とした。
雨の中を歩いていたので、「贄川関所」に立ち寄り、見学することにする。関所の中に上がることが出来るので、靴を脱ぎ、靴下を絞って 雨水を抜いて見学する。こじんまりした関所で、質素な感じがする。展示物や説明文があり、ざっと見て行く。 縁側に座り、雨が落ちるのを見ながら一息入れる。(10:30) 「奈良井宿〜贄川宿」の「紀行スライドショー」
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