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○ 「中山道No15」見聞録(宮ノ越宿〜洗馬宿)・(距離 38.3km(今回)/ 305.5km(累計)/ 227.5km(残距離)

前回まで
今回
残距離


15−4.(33)贄川宿〜(32)本山宿・(7.9km) 2010.07.29 10:30〜13:10 雨


中山道全行程.Map
「贄川宿〜本山宿・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(夢街道HPより)

「贄川関所」の縁側に座り、雨空を見上げ、これからどうするか考える。ここで中断するか、それとも雨の中を次の「本山宿」まで 進むのかと。

贄川駅

10時45分、意を決して前に進むことにする。
JR高架橋を越えて、再び国道19号線を進むことになる。この辺りは交通量も少なく、歩道もあるので 車の心配がないので助かる。贄川駅の前を通り、国道を傘を差しながら淡々と進む。靴の中はビシャビシャ、ズボンの裾も濡れている。
ガイドブックによると、国道から旧道に入る道が示されているが、国道の下はJRが通っており、山側への道が見当たらない。山側に 急な勾配の道が通じているが、旧道とは思えないので、無視して進むが、先にそれらしき道が見当たらないので、元に戻り、急勾配の 道を上ると道標があり、どうも旧道らしいので、草の道を進むことにする。
ジュクジュクとした草の道を歩くと下には国道・JRが見下ろすことが出来る。旧道は山沿いにあり、拡幅されて国道・JRが開通したようだ。 なかなか良い眺めの旧道を雨を楽しみ(?)ながら進む。

旧道への道

草の道

山沿いの道から国道・JRを


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

しばらくの間、山沿いの草道・地道を進み、国道に合流しそうになり、再び離れて旧道を進むと「道祖神」が祀られたり、若神子の「水場」 が設けられている。雨のため、暑くはないが、蒸し暑さを感じるので、いつものように顔を洗い、タオルを水に浸し、首と頭に巻く。
国道と合流した少し先に紫陽花に囲まれて「若神子一里塚跡」の碑が建つ。やはり高原なので、紫陽花が活き活きとしている。涼しいのだ。

道祖神

水場

若神子一里塚跡 説明


再び、国道を進み、旧道のに入ると「庚申塔」が祀られ、旧道の雰囲気を感じさせてくれる。再び、国道に合流し、奈良井川に沿って 川の音を聞きながら進む。小さなダムがあったり、遥か下に流れる奈良井川の流れを見ながら進む。雨も止んで来たようで、傘をたたみ 気持ち良く歩む。

旧道への道

庚申塔

奈良井川沿いの道


国道を進むと少し広場になった所に「これより南・木曽路」の碑が建つ。
「馬篭宿」の手前に「これより北・木曽路」の碑を見てから、「木曽路11宿」を踏破して南の碑に到達したのだ。

これより南・木曽路の碑

これより南・木曽路の碑 説明






















奈良井川支流の一つ桜沢にある。明治4年までは、この沢が北の松本藩と南の尾張藩との境となっていた。
「是より南木曽路」の碑は桜沢の集落に住んでいた百瀬栄氏によって、このお境橋の南西のたもとに、昭和15年に建立された。
表には「是より南木曽路」、裏には「歌ニ絵ニソノ名ヲ知ラレタル、木曽路ハコノ桜沢ノ地ヨリ神坂ニ至ル南24里ナリ」と刻まれている。 山が間近に迫る碑の背景は、にはシダレザクラが咲き誇り、木曽路の旅の出発点として最もふさわしい場所となっている。 (塩尻市観光協会HPより)

「馬篭宿」の手前で、「美濃と信濃の国境碑」や「是より北木曽路の碑」を見た時はいよいよ「木曽路」だと、ある感動を覚た。峠を上って この碑を見た空間・景色が良かったからだろう。
しかし、ここは国道の小さな広場で、景観も大したことなく、東から来られた方は、小生が西から来て感動を覚えた感覚を得られた だろうかと思った。
何はともあれ、ここで「木曽路」を踏破したことは嬉しいことだ。「中山道・中間地点」を過ぎ、「木曽路」を踏破し、いよいよ 「信濃路」に入ったことを実感し、「信濃路」の第一歩を踏み出す。

単調な国道歩行で「信濃路」をスタートする。国道を進むと立派な「道祖神」の碑が祀られている。この辺りは「道祖神」の碑が多いのは 地域性があるのかと考えながら進んでいると、JR日出塩駅の高架橋が見える。
国道の反対側に「長泉院」の立派な門を見て進むと国道から旧道に入る所に「一里塚跡」の碑が建つ。名前は分からないが、この辺りは 一里塚跡が保存されているのは嬉しい。

道祖神の碑

JR日出塩駅

一里塚跡の碑


JRの踏切を渡り、再び国道19号線に出る。「日出塩の青木」の看板があり、昔、大桧が植わっていたことを示しているのを眺め、進むと 立派な「秋葉大権現」の碑が建つ。

本山宿・脇本陣跡

いよいよ「本山宿」に近付いたようだが、火災で焼失したのか史跡は少ないようだ。
本山の宿は、慶長年間、中山道の宿として洗馬宿とともに成立したが、宿の区画は間口が4〜5間(洗馬宿では平均3間)と広く、 木曽(尾張領)との境ということでも重要な位置にあり、松本藩の口留番所が置かれ、米穀の出入りの取り締まりなどを行っていた。 (塩尻市観光協会HPより)
余り残っていない街並みの中に「本山宿」の碑があり、ここが脇本陣跡だそうだ。本陣跡も探すが、分からない。
「本山宿」自体が小さい宿場のようで、店屋もなく、昨夜「奈良井宿」の伊勢屋さんでご夫婦にお聞きした蕎麦屋も見当たらない。 昼ご飯にと思っていたので、出会った方に聞くと、もう少し先を左に行けば分かると。
「本山宿」の中心部を通り過ぎ、蕎麦屋を探しながら進む。
「そば切り発祥の里・本山宿」の旗が立ち、それに導かれて進むとJR線路の横に「本山そばの里」の店がある。人が多く、靴を脱いで 座敷に上がる。靴下も脱がないといけない位だ。
地元の小母さんが一生懸命働く素朴な蕎麦屋だ。蕎麦定食を頼み、美味しくいただく。足を伸ばし、一息入れる。 宿で出会った方の紹介で訪れたが、素朴な店で蕎麦も美味しく良き出会いだったと改めて感謝する。 (12:45-13:10)

秋葉大権現の碑

本山宿の街並み

本山そばの里 蕎麦



「贄川宿〜本山宿」の「紀行スライドショー」


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