○ 「中山道No20」見聞録(深谷宿〜大宮宿)・(距離 46.0km/ 501.6km/ 31.4km)
20−1.(09)深谷宿〜(08)熊谷宿・(10.8km) 2012.04.18 7:45〜11:40 晴れ時々曇り
今回の紀行も前回と同様、往復夜行バスを利用して、「深谷宿」から歩き始め、宿泊して「大宮宿」か「浦和宿」まで行こうと計画した。 宿泊地の条件として、大浴場のあるビジネスホテルを探すが、「鴻巣宿」には無く「桶川宿」まで行かなければならないが、歩行が無理な 場合はJRで進むとして、JR桶川駅近くのホテルを予約する。 往路の深夜バスは京都から熊谷駅、復路は大宮駅から京都行を予約し、天気予報も問題ないようなので、快適な紀行が出来そうだと安堵する。
途中SAでのトイレ休憩もあり、ウトウトしながら7時過ぎに熊谷駅に到着する。駅前の「吉野家」で朝定食の朝食を済ませ、JRで前回の最終地点 深谷駅に向かう。この行程を今日歩くのだ思いながら車窓から眺めるが、結構距離がある。歩いた所を列車から見るのは行程を確認するのに 良いが、これから歩く所を見るのは長いと思うので余り良くないと思った次第だ。 7時45分、深谷駅から本日の「中山道」紀行をスタートする。 前回も夕暮れの中で見たレンガ造りの深谷駅舎は朝日に輝き、駅の前に建つ「渋沢栄一」の銅像が駅舎を見上げている。びっくりした想いで 同じ視線で駅舎を眺め、身支度を整え出発する。 仲町の「中山道」まで戻り、朝日が眩しく輝く中、東に向かう。前回、「三高院」には参拝したので、寄り道はせず「行人橋」を渡って 進むと古風な造りの「だいまき米屋」が宿場の面影を残している。少し先には「深谷宿」の東の入口でもある「常夜燈」が立っている。 前回、西の大きな「常夜燈」に比べるとこじんまりしているがりっぱなものだ。 朝日に向かって歩くのは眩しくて前が見難い。毎度の国道17号線との交叉点の角に「見返りの松」が植わっているが逆光で上手く撮影 出来ない。
朝日に向かう旧街道には「イチョウ並木」が続き、車は通るが歩道もあり、気持ち良く朝の空気を吸って進む。 左手に「愛宕神社」の神社が鎮座し、右の道角には「木曽御嶽山遥拝所」の鳥居と「常夜燈」が迎えてくれる。
車の往来が少ない旧街道の県道264号線を進むと左に「熊野神社」の鳥居が立つ。「熊野古道」紀行を行ったものとしては、「中山道」沿いに 点在する「熊野神社」は参拝しているので、500m位あろうかと思われる参道を本殿に進む。 参道には石灯篭が祀られ、立派な本殿は静かに鎮座している。境内を探索しながら旅の安全を願って参拝する。長い参道を旧街道まで 戻り、鳥居の下で一息入れる。(9:45) 旧街道は歩道もなくなり、トラックが通る時は身を避けざるを得ない。朝日に向かって淡々と歩くのは少し退屈だ。 左に「鬼林稲荷」の赤い鳥居が立ち並び、少し進むと右の旧街道の空間に「明治天皇小休止址」の碑が立っている。この辺りに立場が あったとか。
単調な県道歩きは、まだスタートだから良いが、後半は疲労が蓄積するだろうと思いながら進む。 JR篭原駅への道路を過ぎ、旧街道には「庚申堂」や「小さな祠」が見られ、R17のバイパスを渡って進むと「小さな祠」が見られ、立派な塀の ある旧家を見ながら進む。 R17に合流して、久保島高架橋で国道を渡る時、道路標識を見ると「東京・70km、さいたま・47km、鴻巣・19km」とある。東京まで後70kmだと 近付いて来たことを実感する。
高架橋を渡り、少し行って所で右の旧街道に入る。静かな旧街道は田園地帯に入り、家々には花が咲き誇っている。梅も桃も木蓮もと 緑の畑と花園を眺めて快調に進む。国道から離れた旧街道は気持ち良い。 道なりに進むと「新照寺」の山門があり、その先の道角には「忍(おし)領石碑」が立つ。「忍領」とは聞きなれない地名なので、調べてみると 武蔵国忍(埼玉県行田市)を藩庁とした藩で、戦国時代、成田氏がこの地に城を築き勢力を張ったが、豊臣秀吉の東征軍に攻撃されて降伏 した後、徳川家康が関東入国、忍の地には松平家忠を配置したと。関西の人間にとっては余り知らない藩だと納得する。
現在は坊主頭のように葉が茂っていないが、先達の写真などで、立派に茂っている 写真を見ると樹齢300年以上のケヤキなのだと実感する。 今回の行程で初めて出会う「一里塚」を眺めて一息入れる。 旧街道は再びR17に合流してしばらくは国道を進む。JR上熊谷駅に近付き、車の往来も多く、賑やかになっている。 右に「秩父道標」の大きな石碑が立っている。「ちゝぶ道、志まぶへ十一り」と刻まれており、秩父道との分岐点だったと。 国道を進むと、道路標識に「東京・67km」と示されている。3km歩いたのだと思う以上に近付いて来たと嬉しくなって来る。慈恵病院の 案内に沿って左の旧街道に入ると、直ぐ病院があり、その先に「八坂神社」が鎮座する。 商店街の中を進むと正面に「八木橋百貨店」が建ち、その玄関に「旧中山道」の碑が立って。いる百貨店の中の通路が、旧街道とのことで 中に入り、通路をパチリとするが、係の方に店内撮影禁止と注意され、謝って出口のベンチで一息入れる。(10:55-11:00)
百貨店を出て、旧街道から離れて、熊谷次郎直実の菩提寺の「熊谷寺」に向かうが、境内への入場がダメで、隣の「稲荷大明神」に参拝し、 百貨店のバーゲンセールで 混み合った道路を旧街道に戻り、少し進むと「本陣跡」の石碑が道路脇に立ち、その先には「高札場跡」の石碑が立つ。「熊谷宿」の 史跡は残っていないのだ。
「高城神社」に参拝する。境内には立派な「青銅の常夜燈」が立っている。この「常夜燈」は高さ275cmと大きく、天保12(1841)年 に紺屋により奉納されたもので、江戸時代から染色業が盛んであったことが良く分かる史跡だ。 昼食を食べる時間になったが、適当な店が見つからないので、熊谷駅に向かい、駅前の「熊谷直実」の銅像を写しに行く。「中山道」と 並行に進めている「山陽道」紀行時、須磨の一の谷の合戦時に直実の像も見ていた。 彼の生まれが熊谷だったのは知らなかった。 また駅前には「ラグビーの街・熊谷」を象徴するラグビーボールの上に立つラガーのモニュメントも立っているのは微笑ましい。駅中のラーメン屋で 昼食を食べ、後半の作戦を練る。(11:40-12:05)
「深谷宿〜熊谷宿」の「紀行スライドショー」 「深谷宿」から「熊谷宿」まで歩いた。国道・県道歩きが多く、舗装道路で足への負担は大きく、史跡も少ないので、退屈な歩行だったが、 これからの行程は同じような街道だろうと思いながら次に進む。
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