[深谷宿〜熊谷宿][〜鴻巣宿][〜桶川宿][〜上尾宿][〜大宮宿]


○ 「中山道No20」見聞録(深谷宿〜大宮宿)・(距離 46.0km(今回)/ 501.6km(累計)/ 31.4km(残距離)

前回まで
今回
残距離


20−2.(08)熊谷宿〜(07)鴻巣宿・(16.4km) 2012.04.18 12;05〜17:00 晴れ時々曇り


中山道全行程.Map
「熊谷宿〜鴻巣宿・行程MAP」

地図の左下の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(夢街道HPより)

昼食を食べ、再び旧街道に戻り「鴻巣宿」に向かう。「鴻巣宿」までは16kmと距離も長く、今日の宿泊所は桶川駅なので、出来るだけ 進んで、桶川駅に近付こうと意気を高める。
国道17号線の銀座1丁目の交差点から右に進み、JRの高架下と秩父鉄道の踏切を渡って旧街道を進む。細く歩道もない旧街道は車の往来も 少なくて歩き易い。
左の小公園の中に祠が祀られ、「八丁の一里塚」の案内板が立つ。先程の「新島一里塚」と比べるのも寂しい限りだ。少し進み「仏説寺」の 前を通り、進んで行くと赤い帽子を被った「お地蔵様」が祀られ、道なりに静かな住宅地の中を歩いていると前からご夫婦が歩いて 来られた。
立ち止まりお話すると「中山道」を東京から歩いて来られたと。京都から歩いていると話すと、感心していただき、お互い、これから 頑張りましょうとお別れする。今まで出会うことがなかったお仲間と出会え、季節が良くなっていることが分かる。

八丁の一里塚 案内

お地蔵様

静かな旧街道


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

道なりに進むが次の目標である「東竹院」への距離感が分からず、立ち話している方に聞くと、もう少し先の右側だと。
向こうから一人の男性が歩いて来られたので、話しかけようとするが、無視されて西に向かわれる。「中山道」紀行と思われるが、 ちょっと残念な出会いだった。
「東竹院」の道標に従って右に入ると門前に仏像や庚申塔が祀られた「東竹院」が建っている。中に入ることが出来なかったが、扉から 覗くとお地蔵様がたくさん祀られていた。
元の旧街道に戻ろうと仏像の所まで来ると、反対側は荒川の堤防になっているので、行って見ると、何と菜の花の花盛りで黄色く 染まっている。堤防に上り、広い荒川の河川敷と堤防の菜の花を眺めながら、気持ち良い春風を味わう。

東竹院前の仏像と石碑

東竹院

荒川の菜の花


久下の渡し・冠水橋跡の碑 案内

旧街道に戻り堤防を右に見ながら進み、堤防へ上って行く道に建つ立派な家の石塀の中が「みかりや跡」の案内板が立っている。当時ここに 茶店が建っていたと。荒川を渡る手前で一息入れたのだろうと想像する。
堤防に上ると河川敷が広い荒川が見渡され、堤防の側面は菜の花が満開に咲き誇っている。堤防の上には「久下の渡し・冠水橋跡」の 大きな碑が立っている。横の案内板には、木造の冠水橋の写真もあり、平成15年まで健在だったと。
「四万十川紀行」時に、石造りの沈下橋を楽しんだが、 木製の長い冠水橋を見られなかったのは残念だ。
旧街道は堤防を下り、小さな公園に向かうと「権八地蔵堂」が祀られている。公園の中に小さな石碑が立っているので確認すると「賽の神の 道標」だと。案内板によると「右、熊谷道・左、松山道」と記され、「中山道」と「久下の渡し」への分岐点であり、「賽の神」が祀られて いたのだと。

みかりや跡 説明

権八地蔵堂

賽の神の道標 説明


堤防から久下の集落に向かう左側の民家の前に,「此の街道旧中山道」と刻まれた石が置かれている。刻まれた文字を読むと 屋号を大鍛冶屋という鍛冶屋さんのようだ。
集落を荒川から離れるように進むと今回の紀行で初めて見る「鯉のぼり」が微風に泳いでいる。雛祭りが終わり、端午の節句が近いことが 分かる光景だ。少し進んだ所に鎮座する「久下神社」で一息入れる。(13:35-13:40)
横の小学校では運動会の練習だろうか、小学生がマスゲムの練習をしている。旧街道は再び、荒川の堤防に向かって上って行く。菜の花が 咲き乱れた道端に判読不明な石碑が立っているが、文字は分からない。菜の花と石碑もなかなかのものだ。

此の街道旧中山道の碑

久下神社 鯉のぼり

菜の花と石碑


菜の花の中の旧街道

荒川の堤防の上の道の下側に菜の花に囲まれた道が旧街道だろうと思いながら歩む。
菜の花の香りが一面に漂い、蒸せるような雰囲気の中を気持ち良く進む。ずっ〜と先までの菜の花は見事の一言だ。この季節でないと 味わえない光景に出会って、今回の紀行が素晴らしいものだと改めて認識する。
堤防の上の道を歩くと広い河川敷が広がり、荒川の水は見えず、菜園が広がっている。淀川の河川敷も広いが、ここの方が広い。
堤防の下の菜の花の中に「馬頭観音」碑が祀られ、その先には鳥居が立ち、祠が祀られている。その横に看板が立っているのを確認すると 「久下一里塚跡」と。近くまで行けないので、堤防の上がズームしてパチリと。
左に菜の花、右に河川敷を眺めながら、気持ち良い「久下の長土手」と云われる道を楽しみながら進む。時々、散歩しておられる方と 挨拶しながら進むと「荒川決壊の跡」碑が立つ。昭和22年9月カスリーン台風の襲来の時この地点で決壊した場所だと。この河川敷が満水になり 決壊したと考えると恐ろしい災害だっただろうと。

広い河川敷

久下一里塚跡 馬頭観音

荒川決壊の跡の碑


堤防の上を歩いていると、下に通る旧街道に懐かしい「中山道・道標」が立つ。「中山道69次資料館」の岸本館長が立てられたものだ。
堤防から下って行くと「権八地蔵堂」祀られている。先程見たのと同じ名前が、荒川の両端に祀られているのだ。
地蔵堂の横で男性が休憩しておられるので話すと「中山道」を東京から歩いておられる方だった。今朝、「上尾宿」から歩き始めて、 疲れたから行田駅周辺のホテルで泊まろうかと考えていると。小生は昼過ぎに熊谷を出発したので、十分、熊谷まで行けますよ。ホテルもあるしと。 今日は、今まで余り会うこともなかった「中山道」紀行の方とお会いできたことは嬉しい出来事だった。少し、話しながら一息入れる。 (14:25-14:35)
同好の方とお別れして、集落の中に向かって進む。自然の中を歩いていたので、少し窮屈な感じで進むと小さな川に目立たない「レンガ造りの 橋」が残っている。何となく明治・大正時代の建造物を見つけて嬉しく思う。
道なりに進むとJR高崎線の線路にぶつかり、高架橋で渡るとそこには「吹上間の宿の石碑」と案内板が立っている。「熊谷宿」と「鴻巣宿」の 間が長いので「間(あい)の宿」として「吹上宿」があったのだ。

権八地蔵堂 説明

レンガ造りの橋

吹上間の宿の石碑 説明


「間の宿」はこれまでも数ケ所あり、特に「芦田宿」と「八幡宿」の間にある「茂田井間の宿」の雰囲気は独特の趣きがあったことを 思い出しながら進むが、特に史跡もなく淡々と進むと「吹上神社」が鎮座する。道なりに進むと「東曜寺」があり、県道に合流する。
県道本町交叉点の角に「中山道」の道標が立ち、久し振りの県道を歩き始めると右の電柱の陰に「軍馬頭尊」の碑が祀られている。 今まで「馬頭観音」を祀る碑ははたくさん見たが、「軍馬」と刻まれた碑は初めてのように思う。
この近く右側に「明治天皇御駐輦址碑」を探すが分からない。行き過ぎて戻ると県道に面した駐車場の奥の塀の陰に立っている。塀を建てる 人は考慮がなかったのかと。

吹上神社 道標

軍馬頭尊の碑

明治天皇御駐輦址碑


JR吹上駅への交叉点を過ぎて進み、県道から別れて右の旧街道に入る。その角には「妙見地蔵堂」が祀られ、少し進んでJRの踏切を渡る。 線路沿いの2車線の道を黙々と歩む。
前砂の交叉点付近に「中山道・案内板」が立ち、更に進むと「一里塚跡」の木碑が迎えてくれる。
単調な舗装道路を歩いていると疲れが蓄積して来るのが感じられる。黒い石の「中山道前砂村道標」を確認し、一息入れる。(15:30-15:35)

妙見地蔵堂

一里塚跡

中山道前砂村道標


元気を取り戻して道なりに進むとブロックで囲まれた祠(?)に石仏が祀られている。そのさきの三叉路は「箕田の追分」で碑と案内板が立っている。 左は日光へ行く道だと。案内板には箕田源氏所縁の地と説明されている。
その前には「地蔵堂」が祀られ、この地域には「地蔵堂」がたくさん祀られていることが分かる。
舗装道路に苦痛を感じながら進むと「氷川八幡神社」が鎮座し、「龍昌寺」を確認して進むと立派な「箕田観音堂」が祀られている。

箕田の追分 地蔵堂

氷川八幡神社

箕田観音堂


道なりに進み、JR高崎背化の踏切を渡ると加美の交叉点で県道と合流し、標識はないが「鴻巣宿」に近付いたことを認識する。
左にこんもりとした森が見え、「鴻神社」が鎮座する。境内に入り、「こうのとり伝説」の案内板を読み、本殿に「鴻巣宿」まで到達した ことに感謝する。

鴻神社 本殿

鴻巣の地名の1つとも言われる「こうのとり伝説」を今に伝える神社です。樹齢700年とも言われる夫婦イチョウや、明治時代に造られた 総銅造りの小さなお宮「三狐稲荷神社」などが見所です。
「こうのとり伝説」とは、 その昔、この地に「木の神」と言われる、人に害をなす大樹があり、人々は「木の神」の難を逃れるため、お供え物をしていました。
ある日、こうのとりがやってきて、この木の枝に巣をつくり、卵を産み育てはじめました。 すると大蛇が現れてその卵を飲み込もうとしたので、こうのとりは大蛇と戦い、退散させました。
それ以後、「木の神」が人に害をなすことがなくなったので、人々は木のそばに社を建て、鴻の宮と呼び、いつしか、この地を 鴻巣と呼ぶようになったと云い伝えられています。(鴻巣市観光協会HP他より)

歩道もある県道には古い土蔵造りの商家も建ち、その歩道には「こうのとり」のタイルが貼られていたりと鴻巣市は「こうのとり」と 関係深いことを示している。

こうのとりが巣造りした木

土蔵造りの商家

こうのとりのタイル


「鴻巣宿」の本陣等中心街はもう少し先だが、JR鴻巣駅への交叉点に来たので、足腰の疲労度から今日はここまでとし、駅に向かう。 「深谷宿」から「熊谷宿」を経由して「鴻巣宿」までは27.2kmで、小生の脚力からはそろそろ限界に近い。
今日の歩行歩数は52000歩だったが、舗装道路ばかりと史跡が少ないので疲れがました感じだ。(17:05)

「熊谷宿〜鴻巣宿」の「紀行スライドショー」

本日の宿泊地は桶川駅から徒歩10分程の「ルートイン上尾」なので、JRで桶川駅まで行き、重い足を運んで18時前にチェックインする。 今回のホテルは大浴場がある所を探したので、さっそく風呂場に直行し、大きな湯船で足腰の屈伸・マッサージに励み、今日の疲れを明日に 持ちこさないよう努める。
フロントでお奨めの店を聞き、近くの焼き鳥やでビールで乾杯。五臓六腑に沁み渡り、疲れが飛んでいく感じだ。料理と芋焼酎を楽しみ、 満足してホテルに帰り、ぐっすりと眠る。


[深谷宿〜熊谷宿][〜鴻巣宿][〜桶川宿][〜上尾宿][〜大宮宿]







    
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送