○ 「中山道No3」見聞録(五箇荘〜醒井宿)・(距離 25.5km/ 77.3km/ 455.7km) 3−5.(62)番場宿〜(61)醒井宿・(3.9km) 2008.05.17 14:30〜15:30 晴れ
「番場宿」を出て、今日の最終宿場である「醒井宿」を目指して歩を進める。
ここでご夫婦連れに出会う。やはり、休日なので街道歩きの方が多いようだ。 田園風景の広がるのどかな道を進むと米原JCTの高架下に「久礼の一里塚」の石碑が立つ。 道路の拡幅等によって場所は代わって いるのだろうが、一里毎に松が植えられた大きな塚が設けられているのは、旅人にとっては大切な目印だろう。 米原JCTで分断されたが、街道は東に続く。陽射しが少し傾いて来たが、まだ暑い。木陰や家の影を選んで進むと 樋口の交差点で国道21号線と交わり、横断して小道の旧街道を進む。 この辺りは周辺の山から流れて来る豊富な水で、道横の小川がきれいだ。これらが次の「醒井宿」のきれいな川に つながっているのだろう。 大きな旧家が建っているので、よく見るとこの集落の自治会が購入し、「中山道」散策者の休憩所としている 「茶屋道館」だと。地元の方の心意気が感じる建物だ。 再び国道に合流して、国道歩きとなる。しばらく進み、初めて見る棒状の「道標」に導かれて「醒井宿」に向かう。
最終行程への細い道を進む。左手に赤い提灯が吊るされた旧家があり、「六軒茶屋」と記されている。説明板で「醒井宿」が 天領であったことを知り、何故か遠く離れた大和郡山藩の飛び地になっていたと。 少し行った所に、まだ新しい「醒井宿」の石碑が立ち、宿場に入る。 醒井には2004年7月に「青春18きっぷ」で訪れたことがあり、地蔵川に沿った史跡を見学し、初めて見た「梅花藻」の 美しさに驚いた。その時も「中山道」の宿場町だとは知っていたが、改めてこのような状態で訪れるとは思ってもいなかった。 静かで落ち着いた「醒井宿」の街並みに足を踏み入れる。
街並みを眺めながら進むと「西行水」に出会う。醒井は湧水が豊富な所で、集落の方々で水が湧いているようだ。 その一つの「西行水」は西行法師と茶屋の娘との逸話がある。 「武佐宿」にあった「泡子地蔵」と同じ逸話があるのだ。当時、お坊さんは尊敬される旅人で娘が恋心を抱いたので あろうが、同じ逸話が語られるのは面白い。これからも「泡子」の話は出て来るのだろうか!? きれいな「地蔵川」の橋を渡ると「十王水」の標識が立ち、湧水があることを示している。 澄んだ水が流れる「地蔵川」には緑の「梅花藻」が流れに揺られているが、まだ花が咲いていない。川の流れに沿って 宿場の街並みが続く。 時々、川を覗いて「梅花藻」を見ると咲いている所を発見し、アップでパチリ。夏の盛りになれば、一面に咲き出して 美しいのだが、この時期は少し早いようだ。 夏の「梅花藻」は前回訪れた時の旅行記で。
「梅花藻」の開花を確認出来たことで満足し、宿場の中を散策する。「本陣跡」付近まで行くが、今日の行程はここまでとして 醒井駅に戻ることにする。 宿場の写真を写していたが、次回の紀行時にまとめて整理することにしよう。(15:40') 駅で時刻を確認し、駅前の「醒井水の宿駅」で湧水を飲み、土産に「日野菜漬」を買い求める。 駅前に今日の紀行完了の祝杯をあげる所もないので、16時06分発の米原行きに乗り、次の米原で新快速に乗換える。 前回立ち寄った近江八幡駅前の居酒屋に行こうと下車して、乾杯する。親父さんはよく覚えておられ、ご苦労さんと。 気持ち良く高槻まで新快速で戻り、無事帰宅する。(20:00) 今日の歩行は家から家までで46815歩(しっかり歩き、37467歩)だった。前回よりは疲れは少なく、歩くのにも慣れて来た ようだ。 「番場宿〜醒井宿」の「紀行スライドショー」 今回は「中山道69次」の65番・愛知川宿から高宮宿・鳥居本宿・番場宿を通って61番・醒井宿までの25.5kmを歩いた。 昔の人は1日10里(40km)位歩いたとのことを聞くと軟いものだが、疲労感はある。まあ、無理はしないでボツボツと進もう。 次は近江国から美濃国に入るので、より一層旧街道の趣が多くなることを期待しよう。何処かのTV局女子アナウンサーが 「旧中山道」の読み方を「1日中、山道(いちにちじゅう、やまみち)」と読んだ笑い話もあるが、早く山道が続く街道に なって欲しいものだ。
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