○ 「中山道No10」見聞録(中津川宿〜野尻宿)・(距離 32.0km/ 230.7km/ 303.3km) 10−5.(41)三留野宿〜(40)野尻宿・(9.8km) 2009.07.25 10:00〜12:20 曇り時々雨
「三留野宿」から「野尻宿」に向かって歩くが、地図で見るとほとんどが木曽川に沿った国道や旧街道を歩き、史跡も少なそうだ。 JRの高架下をくぐり、国道19号線に出る。横には久し振りの木曽川が白いしぶきをあげて流れている。 木曽川・国道・JR中央本線と並んで進む。木曽川とJRが通る山側との間は短く、昔だと増水や洪水で旧街道が不通になった ことは容易に想像出来る。そのための迂廻路として「与川道」が生まれたのは、古人の生活手段としての知恵だろう。 木曽川を眺めながら、淡々と東に向かう。木曽川側に歩道があるので歩き易いのは救いだ。雲の間から時々熱い太陽が射し込み 額には汗が流れる。タオルを濡らす場所もないので、時々汗を絞りながら進む。 木曽川の中にある石は白く、もう少しすれば訪れる「寝覚ノ床」の雰囲気かを感じさせる。淡々と約3kmの単調な歩きをしなくては ならない。まだ、木曽川の流れが見られるだけ有難いと思いながら。 与川の橋を渡った反対側に、与川に沿って山に上る道がある。これが「与川道」の一つのルートだ。
急に空が暗くなり、ポツポツと雨が降り出した。空の一部は晴れているので、通り雨だろうと傘もささずに、濡れながら歩く。 その中に雨は激しくなって来たので傘を出していると、信号があり、渡ると歩道が反対側になっているので国道を渡り、早足で進む。 雨が降って来たので、地図を良く見ずに道なりに進んでしまった。あの交差点(柿其入口)で国道から離れて左に行くと国道沿いに 旧街道が走っているのだ。 気付いた時は歩道が無くなり、国道の下に反対側にくぐるトンネルの時だった。地図を確認すると間違っていたのに気付き、多分、トンネルを くぐると旧街道だと考え、Go! 反対側には旧街道らしい細い道があり、一安心するが確証はなく東に進む。国道はいつの間にかJRを越えていて、旧街道・JR・国道と なっている。しばらく進むと「JR十二兼駅」が上の方に見え、旧街道だと確認出来る。 少し進み、踏切を渡り、国道下の川になっている地下道に仮橋が架かっていてそれをくぐって国道の反対側に出る。この辺りは、 全く道標がなく、不安だったがどうにか進めたようだ。
国道をくぐった所に長い石段がある。これが「熊野神社」の階段で上り、本殿に参拝する。
「熊野神社」の横から東に向かう。ここでアクシデント。紐に繋がれた犬が猛烈に吠えてくる。無視して家の前を通り過ぎると、紐が外れて 突進して来るので驚き、慌てて地図やガイドブックを入れた、100均で買ったプラスチックケースで振り払うと犬の顔に当たり、キャンキャンと退散する。 本当にびっくりした。犬に吠えられることは、「熊野古道」紀行時でもあったが、襲われたのは初めてだ。 無意識に振り払った勢いで、首にかけていたディジカメの紐が切れてしまったが、カメラは持っていたので大丈夫だった。犬には要注意だ。 坂を下って国道を渡り、少し進んだ所から再び旧街道に入る。
渡った所にカメラマンが鉄道写真を撮ろうと位置取りをしているので、珍しい列車が通るのかと 聞くと、蒸気機関車が通るとのこと。 木曽川とJRの間を進んでいるが、木曽側は藪の向こう側で見えず、音も聞こえないのはダム湖になっているからだ。 再び踏切を渡り、 列車も通らない静かな線路沿いの道を進む。又、雨が降り出した。小雨なので傘をささないで雨を気持ち良く浴びながら進む。 史跡もなく、面白くない道だが、国道でないのは救われる。 遠くで雷鳴が響き、空が暗くなって来ている。夕立が降りそうだ。 次の「野尻宿」はJRの駅に近い。その次の「須原宿」までは7.2kmと約2時間掛る。雨が降り、この道標もない道だともっと 掛るかも知れない。この辺りのJRの時刻は2時間毎なので、どうするか検討する。 野尻駅は12時20分の次は14時06分までない。雨の中を歩くのを避けるため、12時20分の列車に乗ろうと歩を速める。 国道と合流し、すぐ旧街道に入り進むと建物のに隠れて「常夜灯」が立つ。「熊野神社」以来の史跡だ。本当に何もない旧街道 だったと思いながら駅に向かう。 雨は止み、少し陽射しも射して来たが、曲がった街並みを急ぐ。古い建屋が建ち、「はずれ」とある。宿場の外れにあったので 屋号として命名されたようだ。「野尻宿」の中心は駅の向こう側にあるようで、街並みを楽しむ時間もなく、野尻駅に到着する。 歩行歩数は28000歩だった。(12:05)
駅の水道で顔を洗うが体を拭く余裕はないので、濡れたシャツのまま乗ることにする。ゴロゴロと雷が鳴っているので、ここで中断したことは 正解としようと一息入れる。
2両編成の中津川行ワンマンカーが来て、ボックス席に座ることが出来た。 この路線は昨年9月、中山道の「加納宿」から「鵜沼宿」まで 歩き、その後「おわら風の盆」を徹夜で楽しみ、糸魚川経由で塩尻から乗ったのだ。 窓から昨日・今日と歩いた行程を思い出しながら 眺め、「木曽路」が何故木曽川から逸れて、山の中に向かったのか実感出来た。歩いていないと「馬篭・妻籠宿」が何故あの場所に 栄えたのか、木曽川の氾濫を避けて山の中の道を選んだのであろうと。 「与川道」は分からないが、今日歩いた道には史跡もないのは木曽川に関係しているのではと思いながら中津川に向かう。 中津川駅の水道で体を拭き、シャッを取り換える。やっと気持ち良くなった。 昼食を食べようと探し、お腹が減っているのでトンカツ定食のある食堂で、まずビールで乾杯し、美味しくいただく。 中津川からは快速で金山乗換、土曜日なので米原行の列車があり、それに乗りウトウトと。岐阜駅では浴衣姿の女性が花火見物に行くようだ。 米原で乗換え、19時過ぎに帰宅する。 「妻籠宿〜三留野宿」の「紀行スライドショー」 「美濃路」から「木曽路」を訪れた2日間だった。観光地「馬篭宿」「妻籠宿」では今までの観光客気分と違った気持で訪れ、 若干の違和感を持ったのは、京都からの行程を経験したからであろう。 その分、早朝の「妻籠宿」散策は気持ちの良いものだった。それに、お祭りにも出会えたことも。 「美濃」と「信濃」の国境、岐阜県と長野県の県境、色々と面白かった。木曽川の威力が街道のルートを変えたのだろうと想像も 出来た。 次回は中断した「野尻宿」をもう一度ゆっくりと見学し、次に進みたい。
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