○ 「中山道No17」見聞録(下諏訪宿〜塩名田宿)・(距離 46.4km/ 370.4km/ 162.6km)
17−2.(28)和田宿〜(27)長久保宿・(7.9km) 2011.08.03 7:50〜9:20 曇り時々晴れ
ぐっすりと眠り、5時過ぎに目覚める。クーラーもないが。涼しいので気持ち良い目覚めだ。 外は明るくなっているので、荷物の整理をして、足のマッサージをし、6時前に散歩に出る。まだ足には張りがあり、階段の下りは きつい。昨夜の雨でペンションの周りはしっとりと湿っているが、蒸し暑さはなく清々しい。近くの森でカッコーが鳴いている。こんな近くで カッコー・カッコーと鳴く声を聞くのは初めてだ。 「サイレント・スノー」はペンション村の一番上の地域に建っているので、白樺が植わっている静かな道を下ったりと楽しむ。
自家製の味噌、漬物、佃煮と手造りの味を堪能して、今日一日のスタミナを付けたようだ。お願いしたお弁当にお茶や水をもらって玄関を出ると、 御主人が重くなるけどと云って大きな「黒曜石」3個プレゼントしていただき、第二日目をスタートする。(7:20) 御主人の車で、昨日迎えに来ていただいた場所に向かう。 御主人の天気予報では、今日は夕方に雨が降るだろうが、昼間は大丈夫だろうと。 車は坂道を快調に下って行く。スキーの先生をされているので、最短距離を進むように運転されるのだ。昨日の場所の近くまで送って いただき、お礼を云ってお別れする。 7時50分、大和橋の近くからスタートする。 まずは国道142号線歩きから始まり、結構交通量の多い道を進む。細い歩道の脇に丸い石の「道祖神」が祀られている。国道から旧道に 入った所に「四泊一里塚跡」の説明板が立つ。昨日から、一里塚跡がしっかりと残されているのは嬉しい。
国道に合流して車に注意しながら進み、長久保の広い三叉路を右側に進むと「是より長久保宿」の素朴な木の碑が立っている。 遠くには山々が見え、「和田峠」を越えて風景が変わったことが良く分かる。
長久保宿は、江戸板橋宿から二十七番目の宿場町です。笠取峠をくだったところにあり、現在も本陣や当時の名残りをとどめる建物が 残されています。 また、この場所は共に難所であった和田峠と笠取峠との間にあって、最盛期には旅籠が50軒近くある比較的大きな宿場でした。 宿場の発展と共に町並みが横丁の先に広がり、カギ型に曲がった珍しい形の宿場町でした。(東信州中山道HPより) 「たつのや」の看板が掛かった格子の旧家があり、その先に宿泊予定もしていた「濱田屋旅館」が建っている。弓道の装いをした女子高生が 数人、弓を持って出て来た。弓道部の合宿で満員だったのだ。 ここで直角に右に曲がる反対側の角に「善光寺道道標」が立っている。真っ直ぐ行けば「善光寺」に行けるのだろうか。
枡型を曲がり、進むと史跡が連続して続く。問屋であった「小林家」の建物が木々に囲まれて建ち、その前には県内最古の町屋と云われる 「釜鳴屋」のうだつが見られる。 その並びに「高札場」と立派な門構えの「本陣・石合家」が堂々と建っている。短い距離に昔の建物が現存しているのは嬉しい。 その向かいには、当時の休憩処で現在は歴史資料館になっている「一福処濱田屋」が改装されて迎えてくれる。
「長久保宿」の街並みは少しづつ上って行く。 陽射しが強くなってきて暑くなって来る。街並みが終わると正面に「松尾神社・鳥居」が立っている。 「中山道」の旧街道は国道から離れて、「松尾神社」の境内に入って行く。静かな境内の奥には落ち着いた「本殿」が鎮座し、今日の 安全を祈願し、一息入れる。(8:20) 前日に「和田宿」の後半まで歩いていたので、「長久保宿」紀行は時間的に短かったが、史跡はたくさん残っており、街並みも当時を 偲ばせる雰囲気があり、なかなかのものだった。
「和田宿〜長久保宿」の「紀行スライドショー」
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