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○ 「中山道No17」見聞録(下諏訪宿〜塩名田宿)・(距離 46.4km(今回)/ 370.4km(累計)/ 162.6km(残距離)

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今回
残距離


17−3.(28)長久保宿〜(27)芦田宿・(5.7km) 2011.08.03 9:20〜10:25 晴れ


中山道全行程.Map
「長久保宿〜芦田宿・行程MAP」

地図の左下の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(夢街道HPより)

「松尾神社」に参拝し、境内の端から国道142号線の旧国道に出る。ここから「笠取峠」への上り坂を進んで行くのだが、蛇行する 旧国道をショートカットするように「笠取峠・源道」の標識に沿って野道を上る。
旧国道に出ては、また源道を上るが、この地道が気持ち良い。木立の中は陽射しも遮られ、清々しい気持ちで緩やかな坂を楽しむ。 舗装道路の歩行ばかりだと嫌になるが、地道の歩行は嬉しい。
旧国道を歩いていると上からランニングしておられる女性が下りて来られ、挨拶するが、そのまま下って行かれる。峠道をランニングする バイタリティーには頭が下がる。
地道の道脇に「馬頭観音」が祀られている。旧街道の趣きがあり、古人になった気持ちで元気を出して上って行くと旧国道・国道が 合流して再び、R142を上って行く。

笠取峠・源道の標識

笠取峠の道

馬頭観音


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

国道を上って行くと道横の道路壁面に「タイル貼りの壁画」が設けられている。「小松茶屋」の図だとか。
少し上った所が「笠取峠」の頂上の様で、「笠取峠の碑」が迎えてくれる。昨日の「和田峠」に比べると何ともない峠だが、東から来る 旅人にとっては、それなりの峠なのだろう。
標高900mの頂上近くに史跡もあったようだが、気付かず切り通しの峠を越えて下り始める。

タイル貼りの壁画

笠取峠の碑

笠取峠の頂上


長和町から立科町に入る。立科と蓼科との地理的な違いが分からないが、蓼科と思っていたのが、立科の文字が出て来て戸惑う。 立科町側の「笠取峠の碑」が立っている歩道を下る。
下り坂の歩道は草がボウボウで歩き難い。道端にまだ新しいが男女の「道祖神」が祀られている。国道の左側に何か碑が立っているので 道路を渡って草むらの中に進むと「笠取峠一里塚」の碑であり、横に建っているはずの説明板が倒れている。行政によって、史跡に 対する心意気が良く分かる光景だった。

笠取峠の碑

男女の道祖神

笠取峠一里塚


この辺りの下り坂から浅間山が見えるかも知れないと眺めるが、雲に隠れて何も見えないのは残念だ。
国道から離れて直進する旧道の入口に「笠取峠のマツ並木」の碑が立ち、きれいな松並木が続く。松並木の中を快調に進む。国道と 交叉して渡った所に「是より小諸領」の碑が立つ。小諸は随分向こうだと思いながら、領土の広さを認識する。

下り坂からの眺め

笠取峠のマツ並木の碑

是より小諸領の碑


松林の中に「道祖神と常夜燈」が立ち、公園になっている。
この辺りからの松並木は見事なもので、当時の面影を残すのは嬉しい。

笠取峠の松並木 説明

徳川秀忠は、慶長九年(1604)諸街道の改修、一里塚の設置とともに街道に樹木を植えさせて並木をつくらせた。 この幕府の植樹政策によって街道の並木は全国的な広がりをみせ、松・杉のほかに樫・榎・漆などが植えられた。 特に箱根や日光の並木は、「昼尚暗き」杉の並木として広く知られている。

笠取峠の松並木 浮世絵

笠取峠の松並木は、近世五街道の一つ中山道芦田宿の 西方1km地点から笠取峠にかけて約2kmにわたっている。
言い伝えでは慶長七年頃、公儀より赤松苗753本を小諸藩に下付され 、近隣の村むらへ人足が割り当てられ小苗を植え付けたとされ、幕末まで手入れ・補植等管理されていた。
現在総本数約100本の松は、いずれも樹齢が150〜300年以上経たもので、その景観は往時の中山道をしのばせてくれるみごとなものである。 (東信州中山道HPより)

涼風と松林の陰で気持ち良く進むと、松林の所々に「道祖神」が祀られており、旧街道の雰囲気を十分堪能しながら歩む。
松林が終わり、国道と合流する。芦田宿入口の交叉点の角には「常夜燈」が立ち、「笠取峠の松林」を終える。

道祖神と常夜燈

道祖神

常夜燈


交叉点を渡り、広場あるので進むとそこには「芦田宿」の木製の「常夜燈」が立ち、横には「芦田宿」のマップが置かれている。早速貰って これからの道標にする。(10:05)
軽トラを運転しておられた方が下りて来られ、「中山道歩きですか?」と尋ねられ、次の「茂田井間(もたいあい)の宿」にも、立ち寄って 下さいと地図をいただく。雰囲気があると宿と聞いていたので、楽しみにしていますとお礼を云って別れる。

芦田宿・本陣 説明

陽射しが強くなって来たが、「芦田宿」への道を進むと道端に男女の「道祖神」が祀られている。本当にペアの道祖神が多い。 「芦田宿」はお祭りがあるのか、街道筋には提灯が吊られ、楽しい雰囲気になっているが、人通りがなく、暑い街道を進む。
中山道六十九次のうち、江戸から数えて26番目の宿場である『芦田宿(あしたじゅく)』は、現在の長野県北佐久郡立科町芦田に 位置しています。

芦田宿の常夜燈

芦田宿は、もともと街道の南側にあった芦田村の場所を移転させ、1597(慶長2)年に岩間忠助・土屋右京左衛門らに よって「芦田宿立駅についての願文」が出され設立されます。それは幕府が交通政策にのりだした1601(慶長6)年の4年前にあたり、 芦田宿は北佐久周辺では最も古い宿場と伝えられています。
ここから先、京都へ向かうには、難所であった笠取峠があるため、この宿場で休憩する旅人が多く、和宮もここの本陣で休憩をしています。 (東信州中山道HPより)

宿場の中心地は短く、「旅籠・つちや」の金丸土屋旅館や「酢屋茂」の古い建物も残り、脇本陣跡、本陣跡の「土屋住宅」の庭園・書院が 見られる。

旅籠・つちや

酢屋茂

脇本陣跡


街道筋の陽射しがきつくて、腕がヒリヒリしだした。「芦田宿」の街灯は宿場名が入り、提灯と絡んで風情がある。
宿場の街並みがまばらになって来た道端には「道祖神」が祀られ、宿場を出た所からは田園風景が広がり、浅間山が望まれるかと期待したが、 やはり雲の中に姿を隠していた。
「芦田宿」はコンパクトにまとまり、東から来ると「笠取峠」越え前の宿場として貴重な場所だったのだろうと振り返る。

芦田宿の街灯

道祖神

田園風景



「長久保宿〜芦田宿」の「紀行スライドショー」




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