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○ 「中山道No17」見聞録(下諏訪宿〜塩名田宿)・(距離 46.4km(今回)/ 370.4km(累計)/ 162.6km(残距離)

前回まで
今回
残距離


17−4.(27)芦田宿〜(26)望月宿・(4.8km) 2011.08.03 10:25〜12:45 晴れ


中山道全行程.Map
「芦田宿〜望月宿・行程MAP」

地図の左下の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(夢街道HPより)

「芦田宿」の見聞を終え、姿の見えない浅間山を想像しながら、次の「望月宿」に向かう。

茂田井間の宿の絵図

茂田井間の宿碑

「芦田宿」と「望月宿」の間はそんなに距離はないが、「茂田井間の宿」が存在する。
かって、岐阜の「加納宿」と「鵜沼宿」の間が長いので、中間地点付近に「新加納間の宿」があったことを思い出す。
「芦田宿」の手前で軽トラの方からいただいたMAPを開いて「茂田井間の宿(もたいあいのしゅく)」のルートを確認して進む。
「茂田井間の宿」の絵図が掲げられ、「中山道茂田井間の宿」の碑を確認して、旧街道を進む
誰も通らない旧街道は静かだ。しばらく進むと「茂田井一里塚」の土塚が迎えてくれる。碑だけでなく、土塚があるのは住民の熱意の 表れではないだろうかと。MAPを手渡して下さる方が居られる位の住民意識の強さが感じられた。

茂田井間の宿の街並み

宿場間の距離が長かったり、峠越え等の難路であるなどの場合に、旅人に便宜を図る目的で、宿場と宿場の間に設けられた休憩用の町場の ことを「間の宿」と呼んでいます。
ただし、宿場としては無認可であったため、旅人の宿泊は幕府から禁じられていました。このことにより、茂田井間の宿も商家が軒を 連ねるなどしても、旅籠は存在していませんでした。
ちなみに、中山道における「間の宿」は合計3ヶ所と記録されており、鴻巣宿 - 熊谷宿間の「吹上間の宿」、芦田宿 - 望月宿間の 「茂田井間の宿」、鵜沼宿 - 加納宿間の「新加納間の宿」がそれです。 (東信州中山道HPより)

「茂田井間の宿」は谷間にあるような位置で、「石割坂」の急な下り坂を下る。勾配がきつく大きな石があり、交通に不便だったが、その石を 割り「中山道」を開通させたので「石割坂」と呼ばれると。
坂の途中に「高札場跡」の掲示板があるのは不通の宿場町と同じだと思いながら下って行く。

茂田井一里塚 説明

石割坂

高札場跡


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

「間の宿」なので、本陣や旅籠がないとのことだが、江戸時代の風情を残した街並みをゆっくりと進む。
大きな「馬頭観音」の碑が祀られている旧街道には「茂田井間の宿」と書かれた木製の「常夜燈」が立っている。なかなかの演出だと 思った次第だ。
旧街道筋の周辺にも色々と史跡があるようだが、時間的な制約もあるので、旧街道の趣きを味わいながら坂道を下り、上って行く。 この宿場には造酒屋が数軒あるようで、白壁の造酒屋の光景は美しい。

馬頭観音の碑

木製の常夜燈

造酒屋


「茂田井間の宿」の街並みを過ぎて歩いていると前から御夫婦らしい方が歩いて来られた。昨日から誰とも出会っていなかったので 御挨拶すると「熊本から来たと。中山道を歩いているのではなく、茂田井間の宿の造酒屋さんを訪ねるのだと」。美味しいお酒を 飲んでくださいと云ってお別れする。暑い時期、バカみたいに「中山道」を歩いている人間はいないのだろう。
宿場の端に「神明社」の鳥居があり、木陰があったので一息入れる。温度計を確認すると32℃だ。(11:10)
旧街道は街並みから田舎道に進む。途中、道端に「右・巡礼道」の小さな石碑を見て、国道を越えると思っていると、その手前に 「中山道」の道標があり、国道に沿って草原と国道を見ながら進み、国道の高架下をくぐり、坂道を下る。この辺りの旧街道も まちがい易いようだ。

神明社 説明

右・巡礼道の石碑

国道の高架下


坂を下っていると下にはグラウンドがあり、暑い中、親子がサッカーを楽しんでいる。道横には「寒念仏供養碑」が祀られ、下った道の裏道には 「馬頭観音」も祀られている。如何にも街道筋らしい光景だが、陽射しがきつくて暑さが増して来る。
ここから直線的に「望月宿」のようで、入口に「大伴神社」の鳥居が迎えてくれる。

寒念仏供養碑

坂の下のグラウンド

大伴神社


陽射しがきつく、多少疲れも出て来たが、「望月宿」の誰も通らない道を進む。

歴史民俗資料館

ここも、お祭りの提灯が、吊るされており、のどかな雰囲気だが、道幅が広いので、宿場の面影は少ないように感じる。
江戸時代には本陣、脇本陣、問屋など29間が軒を並べ賑わった望月宿。
中でも脇本陣の真山家屋敷は江戸時代に問屋と旅籠を兼ね、幕末には名主を勤めており、格子戸や白壁の土蔵、出桁造りの家並みが 残る望月宿の一角に、今も往時の名残をとどめ、静かに佇んでいます。
望月地区にたたずんでいる石仏は、石像形や文字で刻まれたもの、祠形( ほこらがた) をしているものなどを合わせると、 3千基以上存在しており、屋敷や墓地内のものも含めるとさらに多くなります。(東信州中山道HPより)

まず、「やまとや」の看板がかかる「真山家」の重厚な建物が建ち、隣には「脇本陣跡」の屋敷が建つ。この道筋に宿場の主要な建物が 集中しているようで、向かいの小児科医院には「御本陣」の看板が掲げられている。本陣だったのだ。
本陣跡の隣には立派な「歴史民俗資料館」が建っており、「望月宿」の史料があるようだが、先に進む。ただ、昼食時間になり、弁当を 食べる場所を探すが、暑い上に、街道筋には木陰もなく、少し進んだ所で諦め、涼しいだろうと本陣跡の手前のレストランまで戻り、カレーライス の昼食とし、冷たい水を飲み、トイレで頭を冷やし一息入れる。(12:00-30)

真山家の建物

脇本陣跡

本陣跡


冷えたレストランで、カレーをしっかり食べ、元気を盛り返し、「望月宿」を進む。
「旅館山城屋」「井出野屋旅館」と昔の旅籠の前を進み、バスターミナルを過ぎた所から枡形になっている左の坂道を上って行く。
古い家の前を通り、川を渡って上ると「弁財天」の碑が祀られ、「長坂分岐点」説明がある。この辺りは長坂で、初期の中山道は 今の道ではなく、川沿いに下っていたとか。また、崖の下には「長坂の馬頭観音」が祀られたりと石仏が多くあるようだ。

井出野屋旅館

弁財天の碑 長坂説明

長坂の馬頭観音


坂の勾配がきつくなり、やがて地道の「瓜生坂」を上り始める。久し振りの地道は足膝に気持ち良い。途中には「石尊大権現」の大きな 碑が祀られ、緑の地道を上り切り、旧国道に出るとそこには「中山道瓜生坂」の碑と「瓜生坂百万遍念仏塔」が祀られている。
この「瓜生坂」の下に国道142号線のトンネルが通っているのだ。 旧街道の趣きが残る「瓜生坂」を楽しみ、「望月宿」の見聞を満足して終える。(12:45)

石尊大権現

瓜生坂

瓜生坂百万遍念仏塔



「芦田宿〜望月宿」の「紀行スライドショー」




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