○ 「中山道No17」見聞録(下諏訪宿〜塩名田宿)・(距離 46.4km/ 370.4km/ 162.6km)
17−5.(26)望月宿〜(25)八幡宿・(3.5km) 2011.08.03 12:45〜14:00 晴れ
「瓜生坂」の上から旧国道を「八幡宿」に向かう。 この坂の下にはトンネルがあり、国道が通っており、旧街道はその上を縫って通っているようだが、はっきりと道が分からないようだ。
旧国道は段々と離れて行くようなので、上って来た軽トラを停めて、乗っていた奥さんに道を確認すると、このまま下れば国道と合流すると。 少し下るとトンネルから出て来た国道に合流する。 地図を確認していると、男性が近付いて来られ、「何処に行くのか」と。「中山道を歩いている」と話すと、一緒に 国道を渡っていただき、少し進んだ所から「坂道を下りると道標がある」と教えていただく。有難い。 下り坂の下の方は通れるか分からないが、下って行くと廃屋があり、その横の狭い道を抜けると県道に出て、その角に「牧布施道標」か゜ 草に覆われて立っている。説明板によると元禄時代のもので「右中仙道」と刻まれている。多分、今下った道から「瓜生坂一里塚跡」へ 通じる道が旧街道だったのだろうと想像する。HP作成時、気付いたのはこの道標「中仙道」と「山」ではなく「仙」となっている。 元禄時代は「仙」だったのだと。
県道を国道目指して進むと布施温泉入口の交叉点で合流し、渡って国道横の小道を百沢の集落に進む。 少し入った所に「祝言道祖神」の微笑ましい石像が祀られている。思わず微笑むような道祖神だ。
信州に入って、道祖神が男女カップルのものが多く、楽しみに歩いていた。その集大成のような道祖神を眺めながら一息入れる。 静かな百沢の集落を味わいながら、緩やかな坂を下って行く。 国道と合流し、百沢東交叉点を渡り、国道142号線を進むと田園風景の彼方に雲に隠れた浅間山らしき裾野を眺めることが出来た。 一度はその雄姿を望みたいと思いながら進む。
国道横に立つ「八幡宿道標」に従って左の細道に入る。 道脇には立派な「馬頭観音」が祀られ、静かな「八幡宿」の街並みを進む。この宿場も人の姿が見られない。
「八幡宿」の規模は大きくないようで、中心街も短い距離に集中している。
この八幡宿には、 天保14年(1843年)には、本陣一軒、脇本陣四軒、旅籠三軒、問屋二軒があったそうです。また、八幡本陣には、幕末動乱期に 「公武合体」の象徴として、第14代将軍の徳川家茂に降嫁した皇女和宮が泊まっており、和宮から下賜(かし)された品物などが 現在も伝えられています。 また、この宿を出て望月へ向かうと、瓜生坂の難所越えとなります。この瓜生坂は古代の東山道にあたり、 この辺りから望月にかけては、今も数多く遺されている双体道祖神があり、腕が良いことで知られた伊那の高遠石工の手になる秀作が 見られるといいます。また、元禄10年(1697)に建立された「中仙道道標」の文字が「中仙道」となっているのは、「中山道」に 表記統一された正徳6年(1716)以前に立てられたもののようです。 (東信州中山道HPより) 「脇本陣跡」と思われる立派な門構えの家の前には「八幡宿・本陣跡」が建っている。
少し進んだ所にも立派な屋敷が立っていたが、由緒は分からない。何か説明があれば嬉しいと思いながら。 人通りのない街道筋を進むと「八幡神社」の鳥居が立ち、その奥の境内には、立派な建物が見られるので入って行く。 まず山門らしき木造の「隋神門」が堂々と建っている。彫刻も見事で、天保14年(1843)建立のものだと。 「隋神門」をくぐって進むと重要文化財「八幡社旧本殿。高良社」が建つ。室町時代の特徴を持つ建物で、延徳3年(1491)建立とか。 立派な建造物が存在する「八幡宿」だと驚き、一息入れる。(14:00)
「望月宿〜八幡宿」の「紀行スライドショー」
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