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「エジプト満喫10日間」旅行記

「行程MAP」



○ 「カイロ−2」 (2007/12/7)

モーニングコール7:45'、荷物回収8:15'、集合9:00'とゆっくり出来る。
しかし、今夜は「ナイルエクスプレス」での車内泊で、サイト情報ではコンパートメントはそんなに広くなく、スーツケースは ベッドの上でないと開けられないと。ベッドに載せないために袋に必要なものをまとめて入れて、そのスーツケースを 少し開けただけで取り出せるようにする。
もう一つ、水の出が悪いケースもあるので、今まで使用したペットボトル(5本)に水道水を入れて置く。

準備が出来たので、早めに食事に行く。
昨日と同様美味しくいただき、食後のコーヒーをプールサイドのデッキでくつろぎながら飲む。気温は21℃と今日も快適だ。
昨日のピラミッド内部探索で、メンバーの方は太ももに身が入って痛いと。小生も少し痛いが大したことはない。 出発までホテル内の売店のウインドウ・ショッピングでエジプト土産品の質と価格を見ておく。

9時に出発する。旅慣れた方ばかりなので時間厳守が守られて行動がスムースだ。
昨日とは違って、金曜日はイスラムの休日なので交通量は少なくスイスイと進み、「エジプト考古学博物館」に到着する。 博物館の前は休日のため観光客が一杯で大混雑だ。厳しい身体検査を受けて入場する。館内は撮影禁止なので、 アリさんが全員のビデオ・カメラを集めて係員に渡す程の厳重さだ。
正面玄関の前には「スフィンクス」がどっしりと座り、その横の池には「パピルスとロータス(蓮)」が生育している。

エジプト考古学博物館
スフィンクス
パピルスとロータス(蓮)

画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

博物館の前に集合し、アリさんのイヤホンガイドで説明を受け、建物の入口でもう一度チェックを受け入場する。 博物館の中は見学者で溢れかえっている。

ツタンカーメン王の黄金マスク..(絵葉書より)
「エジプト考古学博物館」は世界最大のエジプトの遺物を展示する博物館で、過去5000年にわたる古代エジプトの歴史的遺物を およそ250,000品収蔵しています。
この博物館の展示品は歴史的価値及び芸術価値が高く有名です。もっとも注目を集めているのがツタンカーメンの秘宝です。 そして未完のネフェルティティ王妃の頭部、ギザの三大ピラミッドの一つ第二ピラミッドを建てたカフラー王の岩製座像です。
またミイラ室には歴代の王や王妃のミイラが納められています。 (エジプト観光局HP、他より)


「エジプト考古学博物館」の1階はピラミッドが建造された古王国時代、エジプトが再統一された中王国時代、ツタンカーメンや ラムセス2世の新王国時代、そして末期王朝からグレコ・ローマン時代までの遺物が展示されている。
2階の大部分はツタンカーメン王の財宝が占め、ミイラ室や死者の書とパピルス、生活風景の展示がある。

アリさんの音声ガイドの説明で順番に廻って行く。
見学客が主要な展示品の前に集まっているので、進むのが大変だ。

撮影禁止なので、メモをし、展示品を脳裏に刻み付けておいても、段々と薄れて行く。絵葉書やガイドブックを見ながら思い出し、 書こうとしてもなかなか進まない。
5-6年前までは有料で撮影が出来たようで、その時期に旅行された方の旅行記を比較検討した結果、素敵なHPを 見つけることが出来た。その方に使用する許可をお願いすると快く了承していただいたので、画像をお借りして、 博物館を再現したい。


◎坂井義彦氏の「旅のPhoto-Gallary・エジプトの旅」」は 素晴らしい写真の数々が掲載されているので、
  ぜひ参考にしていただきたい。 (以下、博物館の写真は坂井氏のHPから借用)


巨大ピラミッドを建造した古王国時代の展示品を見る。昨日階段ピラミッドの穴から見た「ジェセル王の坐像」、イチジクの木で造られた 「木製の神官」、小さい「クフ王の象牙の像(7.5cm)」、「カフラー王の坐像」、「ラーヘテプ王子と妻ネフェルトの坐像」や 「神官セネブと家族の像」の色彩が鮮やかに残っているのには驚く。
この時期、男性は茶色、女性は白色で表現していたとのこと。

ジェセル王の坐像
カフラー王の坐像
ラーヘテプ王子と妻の坐像
神官セネブと家族の像

アメンエムハトの葬送用石板
ハトシェプスト女王のスフィンクス

中王国時代の展示物の「アメンエムハトの葬送用石板」は棺の中に鮮やかな絵柄が残っている。4000年前の色彩が見事だ。
飛鳥時代の「高松塚古墳の壁画」がカビに浸食されているのと比較すると気候条件の違いとは云え・・・・。

巨大な神殿を建造した新王国時代の展示物はたくさんある。
第18王朝のトトメス1世の王女ハトシェプストは、夫トトメス2世亡き後、女性でありながら自らファラオであると宣言し、即位後は 王としての「男」の姿を採っていた。
その男装(?)の「スフィンクス像」や付け鬚を付けた「ハトシェプスト女王頭部像」が目を引く。

アクエンアテン王(アメンヘテプ4世)は従来の多神教からアテン神を唯一神とする宗教改革をし、首都をテーベ(ルクソール)からアマルナに 移した。その姿は少しユーモアがある。
そのアクエンアテン王の王妃であるネフェルティティは美人の誉れが高かったと云われている。彩色豊かな像はベルリンのエジプト 博物館に展示されていると。

ファラオ中のファラオとも云われるラムセス2世は各地に巨大な神殿を建造し、ヒッタイト(現トルコ)との戦いに勝利し、隆盛を極めた。
幼少の指を唇に当てている「ホルス神に守護されるラムセス2世像」は今でも子供がバクシーシをねだる時、指を咥える様子をする 原点なのだろうか。

ハトシェプスト女王の頭部像
アクエンアテン王の立像
ネフェルティティ王妃
ホルス神とラムセス2世像

「エジプト考古学博物館」の2階に向かう。ここにはツタンカーメン王の秘宝が展示されている。
2階に上ると一段と見学者が多く、ツタンカーメンの部屋になかなか進めない。

ツタンカーメンの黄金マスク
黄金マスクの裏側
部屋に入ると4個の金色の厨子がある。まばゆい位の輝きだ。
ツタンカーメンのミイラは玄室に置かれた四重の巨大な厨子の中に納められていた。
最後の厨子の中に箱型の石棺が納められ、その石棺の中に三重の人型棺があり、その第3の人型棺の中に黄金のマスクを付けた王の ミイラが横たわっていたと。
写真ではよく見ていた「黄金マスク」に対面し、その美しさと豪華さに息を飲む。3300年前のロマンが目の前に存在するのだ。 見学者もその前で立ち止まり魅入る。

三重の人型棺も金色に輝き、ツタンカーメン王の栄華を物語っている。
ツタンカーメンの遺体から取り出した肝臓、肺、胃、腸が別々に豪華な「カノポス厨子」納められ、その蓋には若いツタンカーメンの頭部を模した像に なっている。
木製の「黄金の王座」の背もたれの模様も鮮明に残っており、当時の王家の様子を表している。

三重の人型棺
カノポス厨子の蓋
黄金の王座

金色の「カノポス厨子」の前にはイシス神が守護し、その模様も繊細に描かれている。
玄室入口の左右に向き合って置かれていた一対のカー像は玄室を守る番人の役割をもっていた。盗掘者はこの像を見てこの奥には 何もないと思って盗掘を止めたため、ツタンカーメンの秘宝が残ったととも云われている。
「カノポス厨子」を守るかのように置かれていたアヌビス神像。アヌビス神は死後の世界の神で、墓地の守護神で、山犬の頭をした 男性像で表されている。

カノポス厨子のイシス神
カノポス厨子の模様
玄室を守る番人カー像
アヌビス神像

古代エジプトの歴史を堪能した至福の時を過ごす。アリさんの説明を終え、11時30分まで自由行動になる。
ミイラ展示室にも行きたかったが、妻が尻込みするのでパスする。
余り時間はないが、もう一度主要な展示品を巡る。勿論、ツタンカーメンの秘宝はじっくりと。
文明発祥の地の4000年に渡る遺物をこの目で見られたと感動を秘めて博物館を後にする。もっと事前勉強をしておけば より充実した見学になったと反省しながら。


バスで新市街地のカイロタワーを眺めて、オールドカイロに進む。
車窓からはカイロの下町の風景が見られ、庶民の生活が想像出来る。 羊の肉をぶら下げている肉屋、屋台に果物を並べる果物屋等々、楽しい時間だ。
バスで向かっていると丁度休日なので12時の礼拝に向かうイスラム教徒が多い。大きなモスクの前には車・人で溢れている。 カイロで一番大きく古い「アムル・モスク」で熱心な信者が三々五々集まっている。

肉屋
果物屋
アムル・モスク

「アムル・モスク」とオールドカイロとの間にあるレストランでの昼食になる。肉ダンゴがメインで美味しい。しかし、アルコールはなしで 水5E£(100円)と寂しい限りだ。やはりイスラムのお膝元では止むを得ないのか。

オールドカイロは、カイロ市街発祥の地と考えられていて、街の基礎はローマ時代に遡る。
聖ジョージ教会
実際、ローマ時代の塔の遺跡を基礎に建っていて、 イスラム教の中のキリスト教の地域で周囲は城壁に囲まれている。
「聖ジョージ教会」を中心に、当時から伝わるコプト教(ギリシャ正教派の原始キリスト教)の教会が数多く寄り集まっている。
640年にアラブ軍が侵入してイスラム教国化するまでは、このコプト教が主な宗教だったこともあって、その後の迫害にも耐えた。 (エジプト観光局HP、他より)


レストランから歩いて「聖ジョージ教会」に向かう。
絵葉書やパピルスを売る少年が「山本山(やまもとやま)」と呼び掛けている。日本人だと分かると「山本山」と。 海苔を売っている訳でもないのに、不思議に思っているとアリさんが「テレビで有名な芸能人が、日本の挨拶を山本山と 間違って伝えたのが広がった」のだと。面白い。これから行く観光地でもこの「山本山」はよく聞かれた。

地下道をくぐって「聖ジョージ教会」の階段を上る。「聖ジョージ教会」はギリシャ正教の教会で20世紀初頭に建てられたと。 丸いドームの教会の中はフラッシュなしでの撮影はOKだが、薄暗くて上手く写せない。熱心な信者が礼拝しているので 静かにイヤホンガイドの説明を聞くが、記憶に残っていない。
しかし、内部装飾は威厳と歴史があり、じっくりと魅入る。

祭壇
祭壇のキリスト像
シャンデリア
キリスト像

「聖ジョージ教会」を出て、狭い迷路のような路地を進んで「聖セルギウス教会」に向かう。
「聖セルギウス教会」は幼いキリストと聖母マリアがエジプトに逃れて来た時に身を隠したとされる地下道の上に5世紀に 建てられている。
半地下の入口から入場するが、撮影禁止だ。落ち着いた礼拝堂のから地下道へ通じる道があり、その手前まで 行けるが、地下道は閉ざされている。ここにも熱心な信者が礼拝している。
イスラムの世界の別天地としてキリスト教が信仰されていることが分かる。

細い路地を元の地下道まで戻りバスに向かう。道路に出た途端、「山本山」の洗礼を受ける。
商店街には土産物屋や骨董品屋が建ち並んでいる。時間があれば骨董品屋を覗いて見たいがNGだ。

聖セルギウス教会の入口
狭い路地
骨董品屋

再びバスに乗って「モハメド・アリ・モスク」に向かう。
風もなく気温も適温で青空の下、車窓からの景色を楽しみながら高台に登って行く。

モハメド・アリ・モスク
1805年にアルバニアのモハメド・アリがオスマン帝国に認められ、そのもとにカイロの近代化が進行した。
その1つが高台にそびえるこのモハメド・アリ・モスクで、 1857年完成しました。
イスタンブールのブルー・モスク様式を取り入れて作ったと言われ、多くのドームを持ち、その両脇に二本の細いミナレット(尖塔)があります。
エジプトのモスクはドームはひとつで、塔も太い感じのものが多いため、当時のエジプトでは先駆的なものだったそうです。 (エジプト観光局HP、他より)


入口の前で、子供達の「山本山」の呼びかけを無視して、荷物検査を受ける。毎回検査を受けると腹立たしくなるが、 カバン・カメラ・上着を取っての検査だ。
広いモスクの中を進む。城壁に囲まれた造りになっていて、殺風景で要塞のような感じだ。
中庭には身を清める水洗場が建てられ、ルクソール神殿のオベリスクと交換にフランスからもらったと云う時計台が 建っているが、すぐ止まったままだと。(エジプト人は騙されたとおもっているらしい)
靴を脱ぎ、飛行機で貰った靴下を上に履いて礼拝所に入る。
トルコのブルーモスクを真似ただけあって、広々とした礼拝所で、真ん中のドームの細工は美しい。トルコ旅行での感激を 再び味わうことになりgoodだ。
絨緞の上に車座になってアリさんの説明を聞く。
モスク内部には無数のランプが吊るされている。丁度、そのランプを磨いている風景に遭遇する。しばらくモスクの 雰囲気を味わって退出する。
自由時間となり、城壁の中を散策する。高台になっているので、カイロ市街が一望出来、遥か向こうに霞んで 昨日訪れたピラミッドが望まれる。

要塞のようなモスク
水洗場と時計台
ドームの模様

モスクの内部
ランプの掃除
ピラミッドを望む

オールド・カイロと「モハメド・アリ・モスク」を見学してカイロの見学は終わる。キリスト文化とイスラム文化の両方を見て、ヨーロッパ圏では 宗教の変遷が激しいのがよく分かる。
カイロの一番大きいスーク(市場)・「ハーン・ハリーリ・バザール」に向かう。

イスラムの金曜日は休日なので、この時間になると交通量も多くなり、人も溢れ返って来る。交通ルール無視の車の中に 馬車が走る道をバスは進むが、ノロノロ運転にならざるを得ない。
添乗員のT野さんから、今夜の列車はカイロ発20時10分と伝えられ、人混みを見ながら進む。
ハーン・ハリーリ・バザール
やっと「ハーン・ハリーリ・バザール」のフセイン広場に到着し、ここが集合場所として確認した後、アリさんの案内で人通りの 多い商店街を中まで進む。
「山本山」「バザールでござーる」「ちょっと、ちょっと」「価格破壊」「後でね」等の言葉が行き交う。 日本人と分かると巧みに言葉を掛け、店に引き込もうとする商魂たくましい気質だ。

通りの端まで行き、同じ道を集合場所まで戻って、今の道ともう一つのメインストリートから脇道に逸れないように注意され、 16時50分集合で約1時間の自由行動となる。
サイト情報で、このバザールの値段はあってないようなもの、偽物が多いので注意との書き込みが多かった。それを 知った上で、ショッピングを楽しもうと人混みにまぎれる。
呼び込みを冷やかしながら、土産物・衣料品・貴金属・香辛料の店を廻る。

エジプトでは香水瓶が有名との話なので、適当なものを探す。大通りの土産物屋に入り、偽物と分かっていが 香水瓶の値段交渉する。5個1ケースを10個にすれば・・・。
奥を見るとラムセスの本にもよく出て来た、糞を太陽のように丸くすることから縁起が良いと壁画にも描かれている 銅製のスカラベ(糞転がし=虫)の置物ある。これも加えて値段交渉した結果、ボールペン1本をあげることで、 半額以下で成立する。
100均で買って来たボールペンも効果があることを立証した。店主と店員と記念撮影をし、「アリババ」(泥棒)と 冗談を云われながらバイバイする。

夕方が近づくに連れ、人が益々多くなって来る。
その人波を頭の上にパンが入った篭を載せた子供が忙しそうに運んでいる。カイロ市内の人も多く買い物に来ているようで、 大きな声で話している。中国人・韓国人の観光客も多く、西欧人もいる。人種の坩堝だ。

ハーン・ハリーリ・バザールの人混み
パンを売る少年
人種様々



集合時間が近付いたので、指定の場所に戻ると仲間の方も三々五々集まって来られた。添乗員の案内でフセイン広場の 横に停まっているバスに乗車する。
ここで大変なことが起こった。年配のご夫婦が居られないのだ。
添乗員とガイドが集合場所や周辺を探すが見つからない。メンバーの男性も2班に分かれ、メインストリートの奥まで手分けして 探すが見つからない。
アリさんが警官にも捜査を依頼するが、見つからず途方に暮れる。カイロでの宿泊であれば、そこへ行かれるであろうが、 今夜は寝台列車でアスワンへの移動だ。本来はカルトゥーシュの店に行く予定だったが、それも中止で探す。
列車の時間もあるので、18時10分にアリさんを置いて出発する。

休日のカイロは大渋滞だ。信号機はなく、車は好き勝手に走り、その間を人が横断する。繁華街は車道まで人が溢れ、 バイタリティーを感じる。
自分が当事者になったらどうするかと考える。集合場所を探すが誰も居なければ、タクシーでカイロ駅に行くだろうと。
カイロ発20時10分と聞いていたので、カイロ駅発と思っていたが、着いたのはギザ駅だった。これは大変だ。 ギザ駅まで来られるとは思えない。・・・・・・!?!?

取り敢えずスーツケースを降ろし、バスのドライバーに感謝の挨拶(ショコラム)をしてお別れする。
改札をパスして薄暗いホームで、ご夫婦と列車を待つ。来られなかったらどうなるのだろう・・・・??
19時30分頃、グループが集まっている場所にご夫婦が来られた!!
全員、思わず拍手して無事を喜び、安心する。集合場所が分からなくなり、日本語を話せる店員が、昨日泊まった ホテルに連絡し、列車を確認してカイロ駅に行かれたが、ここではないことが分かり、タクシーでギザ駅に来られたそうだ。
不安との葛藤だったであろうが、間に合って本当に良かったと全員ホッとする。
さあ、全員そろって「ナイル・エキスプレス」の1等寝台車でアスワンに向かおう!!


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