「行程MAP」 ○ 「ナイル・エキスプレス・アスワン」 (2007/12/8) ご夫婦が合流し、全員が揃って一安心。メンバー全員の顔に笑みがこぼれた。 車内ではアルコールはないとの情報で、呑み助の仲間と共に日本のキオスクのような売店に行くが、ビールはない。 別の人が違う売店に置いてあるとのことで、急いで行くと それはノンアルコール・ビールだったので諦める。 待っている間に列車が入って来る。 客室は真っ暗で何かとのぞき見ると兵士が銃を持って座っている。警戒のため照明を落としているらしい。 次に来た列車は乗客が乗っているが、車窓に銃弾の跡が残っている。鉄道は狙われるのか・・・。 添乗員のM野さんから座席を教えられる。6号車7.8室と。一列車10室20人で6号車は全員グループで 7号車の半分まで我々のグループで占めるそうだ。 20分遅れて列車が到着したが、荷物の移動で写真を写せなかった。男性が順番に荷物を列車に積み込む。 海外の列車に乗ることが好きなので、色々な場所で経験しているが、コンパートメントの寝台列車は初めてだ。 期待を胸に狭い通路をスーツケースを押しながら、部屋を探す。 コンパートメントに荷物を入れると、想像していたよりは広い。しかし、2個のスーツケースを置いてゆっくりと座席に 座れるが、スーツケースを開くには狭い。やはり、ベッドを降ろしてからでないと無理だとの情報は正しい。 前日に準備したように、1つのスーツケースを少し開き、必要なものを入れたバッグを取り出し、サンダルを履きくつろぐ。 パジャマや芋焼酎・ツマミも出して置く。 室内の洗面所の水の出は良好だし、暖房も適温を保っていて問題なさそうだ。 断水やトイレの水洗に用いようと持参したペットボトル入りの水を洗面台に置く。準備万端だ。 肘掛もあるソファーでくつろいでいるとノックがあり、夕食を運んで来た。飲み物のオーダーがあり、ビールがあると。 アルコールがないと聞いていたのでラッキーと缶ビール(ハイネケン)4US$で注文する。 床に立てかけてある木の板を壁の穴に差し込むとテーブルになる仕掛けで、夕食が運び込まれる。 ビールで乾杯し、マトンを食べる。マアマアの味だが、これだけしかないので食が進まない。 用意して来た芋焼酎の 水割りを飲みながらマトンを少し食べる。サラダはパスし、パンも食べる気がせず、ご飯を少しだけ食べる。 確かにクチコミにあったように不味い。デザートも甘過ぎて一口でendだ。 食後しばらくするとベットメーキングに来てくれる。あっと云う間に2段ベッドが出来上がり、階段を付けて完了。 寝る準備が出来たので、トイレに行く。各車両に2ケ所あり、広々としている。水も出るが少し弱くて少ないようだ。 22時過ぎに、上段ベッドでパジャマに着替え、毛布を被って眠る体勢に。。横幅も広く、背丈も十分で思い切り 背筋を伸ばして大丈夫だ。何処ででも直ぐに熟睡出来る特技は有難い。お休み。 揺れや騒音も気にならずぐっすりと眠り、いつもと同じ5時過ぎに目覚めた。 列車はナイル川の東岸を走っているようで、通路に出ると暗闇の中でナイルの川面が光るのが見える。 眠っている間にナイル川を遡って南下し、ルクソールの近くまで来ているのだ。 6時20分にルクソール駅に到着した。まだ薄暗くて駅名の写真もはっきりと写せない。駅の売店も開店準備を始めた ようだ。違うグループが下車している。反対側に停まっている列車をパチリ。10分程停車して出発する。 夜が明けるにつれナイル川沿いの緑が濃く感じる。肥沃な土壌を上流から運び、氾濫しては農地を広げて来た ナイルの恵みだ。 ナイル川と鉄道の間は緑が濃いが、線路の反対側は荒涼とした岩山や砂漠が続く。ナイル沿岸が大きなオアシスとなり人々の 生活を支えて来たことがよく理解出来る。 ナイル川のすぐ岸を走ると遊覧船や渡し船、漁船が川面に浮かんでいるを間近に見ることが出来る。 名前が分らない駅に停車する。ホームにガラベーヤを着た人が椅子の上に直にパンを置いて売っている。衛生概念は全く 違うのだ。 パンを1個と昨夜のオレンジを食べ、コーヒーをゆっくりと飲む。コーヒーは美味しい。 クチコミでナイルエキス・プレスの食事は不味いとの書き込みは本当だと夕食・朝食で実感する。 トイレにはペットボトルの水を持って行き、水量が少ない時はペットボトルの水で流す。これは良かった。 ベットを片付けてもらい、椅子に座って景色を楽しむ。 客室側は岩山や砂漠ばかりで面白くないので、廊下に出て ナイル川と緑も楽しむ。サトウキビが植えられ、牛で畑を耕している光景が見られる。耕運機等の機械は見られない。 客室側の窓から時々岩山にへばり付いた粗末な石造りの集落がある。如何にも貧しい感じの家だが、 屋根にはポラボナアンテナが取り付けられており、テレビを受像しているのだろう。住居とのアンバランスは変な感じだ。 ナイル川の肥沃な農地と川の流れをのんびりと眺める。列車の旅の良さはこんな時間の過ごし方だろう。 反対側の荒地にロバに乗る白いガラベーヤを着た人が手を振る。南下するに連れ、エジプト人よりヌビア人が多くなって ガラベーヤを着た人が多くなる。 8時到着の予定が、9時25分にアスワンに到着する。20分遅れの出発が、1時間25分遅れになったのだ。エジプトらしい のだろうが・・・。 アスワン駅に降りると南国の雰囲気がする。北回帰線辺りまで南下しているのだ。 さあ、新たなエジプト史跡の見学が始まる。 本来の予定では「イシス神殿」の見学であったが、列車の遅れで翌日予定の「切りかけのオベリスク」見学となり、新たな バスで進む。 ナイル川を航行する遊覧船を横目で見ながら、「切りかけのオベリスク」の残る荒涼たる岩山に向かう。 古代の神殿や像に使われた多くの花崗岩は、アスワン近辺の石切り場から運び出されました。 この「切りかけのオベリスク」は切り出される際に 亀裂が入り放置され、そのまま残っています。 古代エジプト人がどのようにして石を切り出していたのか、その技術を実際に見ることができる重要な資料となっています。 完成していれば高さ41m、重さ1150トンとなっていたことでしょう。 (エジプト観光局HP、他より) きつい陽射しが照り付け、エジプトに来た感じだ。 しかし、乾燥しているので汗はかかず、爽やかなのは嬉しい。気温は 27℃だが、大阪の27℃とは大違いだ。陽射しは半端ではないが。 岩山を上り、1枚岩で造られたが亀裂が入ってNGとなったオベリスクを見る。アリさんから、これを切り出し、陸路・水路を 運んで神殿に立てる技術の説明を受ける。3000年も前に道具としては石しか無いのに、凄い土木技術が存在していたのだ。 バスに戻り、アブシンベルに行くための警備隊のいる広場に移動する。1997年のテロ事件以来、南部での移動は警察の警護を 受けて、集団で進むそうだ。 広場には観光バス・乗用車が集まり、トランクを開け、車体の下をミラーでチェックする位の厳しい検査を受ける。 11時に警護車の先導で一列になってスタート。ものものしいのに驚くが、安全のためには有難い。 バスから石を積んだ墓地がたくさん見える。高貴な人は大きな石碑があるが、凡人は小さな石が置かれているだけの さびしいものだ。 アスワンダムの上を渡ってナイル川の西側に進む。ダムの上の道から発電所が望まれ、灌漑と電力供給に貢献しているのが 分る。 警護の隊列はスタートだけで、一般道に入るとバラバラで先頭と最後尾の間は間隔が空き無警戒状況だ。警護も観光誘致のために 形だけの感が強い。 砂漠に入る所に警護の関門があり、再度チェックを受け砂漠への真っ直ぐな道に進む。 砂漠の砂は思ったより荒い感じで、石の塊や小山が続くような場所もあり、色々な顔を持っている。 その表情を飽きることなく眺める。 同じ景色が1時間も続くので少し退屈し始めた時、アリさんが右前方に蜃気楼が見えるとのアナウンスに全員身を乗り出す。 右側に延々と続く砂漠の先に横たわるように湖が薄く見える。あの湖は蜃気楼で存在しないと。 少し行くと消え、また現れる感じで初めて見た蜃気楼に興奮する。カメラで懸命に写すが、映像では目で見た感じの 湖がはっきりと映っていないのは残念だ。 小さなピラミッドのような小山や色の違った砂漠の表情を楽しみながら進むと緑の木々と水が見えて来る。 これは本物のオアシスで、砂漠の中のオアシスは命の泉であるのが、この砂漠環境を通過していて良く分かる。 同じ景色が続く間に、アリさんからエジプトの象形文字であるヒエログリフを刺繍したポロシャツ・Tシャツの説明と 注文依頼があり、たくさんの方が自分の名前のヒエログリフのシャツを申し込む。 14時過ぎ、約3時間の砂漠ドライブを終えてアブシンベルに到着する。 本来はアブシンベルの見学から宿泊まで掲載するのだが、アブシンベル見学をまとめて次回に掲載することにする。
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