「行程MAP」 ○ 「ルクソール東岸・帰国」 (2007/12/11-12) エジプト滞在も今日一日となった。疲れもなく充実した旅を今日も続けたいものだ。 昨夜にまとめた荷物の整理を終えて、まだ薄暗いナイル川に面した庭園を散策して、6時から朝食に行く。最後の朝食も美味しく たっぷりといただく。 朝食後、荷物を出して再びナイル川を眺めに行く。対岸には荒涼とした岩山が広がっている。これから行く「死者の都」であり、 墳墓の集まりである「王家の谷」だ。 良く見るとたくさんの気球が日の出を見物し、墳墓群を見るために飛んでいる。 トルコのカッパト゚キアでも同じ光景を見た。一度は気球に乗って、上空から日の出や地形を見てみたいものだと。 ホテルの横の船着場にはクルーズ船が停泊しており、のどかな光景だ。今日も快晴で気持ち良い。 最後の日も定刻通り出発する。旅慣れた方が多いので、時間厳守をそれぞれが自覚されている。 対岸にどの様に行くのかと思っていたが、船で渡るのではなく、バスで大回りして行くようだ。 ルクソールからアスワン方向に南下し、橋を渡ってナイル川西岸の「王家の谷」に向かうのだ。 ナイル川沿岸の狭い緑地帯では、朝早くから農夫が畑を耕している。 王家の谷は、エジプト、テーベ(現ルクソール)のナイル川西岸にある岩山の谷にある岩窟墓群のこと。 古代エジプトの新王国時代の王たちの墓が集中していることからこの名があり、24の王墓を含む64の墓が発見されている。 西の谷と東の谷があり、東の谷に60、西の谷に4の墓がある。 (エジプト観光局HP、他より) 橋を渡ると緑地は直ぐになくなり、荒涼とした岩山が続く。「王家の谷」はこの岩山の中に点在しているのだ。 入口でチェックを受け入場する。 アリさんから前日に「ツタンカーメンの墓」は別料金で100E£(2000円)必要と云われていた。 サイトで調べていると2000円支払う価値がないとの書き込みが多かったので、E£の手持ちも無くなっているため 「ツタンカーメンの墓」への入場は止めた。 ツアー料金に含まれている入場券で3ケ所のお墓の入場が許されているそうだ。 入口の建物の中に「王家の谷」の模型が置かれている。道路沿いの岩山の中に64墓地が埋まっていて、現在28墓地が 開かれているとか。まだまだ未発見の墓地があるかも・・・!? ここから専用のカートで進むことになる。カートが何台も行き交っている。カートに乗り、「王家の谷」に向かう。 青空の下、岩山が広がり、その中に小さな小山が点在している。小山がお墓のようだ。 終点で全員降り、アリさんの説明を聞く。お墓はたくさんあるが、お薦めは「ラムセス3世」「ラムセス1世」「ラムセス9世」の順で きれいだと。 「ツタンカーメンの墓」の前でそれぞれの墓の位置を教わり、9時50分までの自由行動となる。 この感動を帰路購入した「ガイドブック」や「エジプト考古学博物館・アブシンベル神殿」で写真をお借りした 坂井氏の映像で伝えたい。 まず一番美しいと云われた「ラムセス3世」(在位BC1184-1153)のお墓に行く。 お墓の前には説明の案内板が立ち、「KV11.RamesesV」と書かれている。KVは"kings-Valley"の略で11番目の発見と。 入口の管理人にチケットを差し出すと書類に穴を開けるパンチでチケットに1個穴を開ける。これが3個開いていれば終了となる。 手軽な道具で、上手く考えたものだ。 「ラムセス3世」はBC1170年頃のファラオだから、3000年以上経っているのだ。 神々や物語や生活様式が表わされている。 その彩色の美しさとスケールに深く感動すると共に保存状況の良さに驚く。 木製の階段・廊下に立ち止まっては眺め、少し歩いて天井のレリーフを眺めてと時間の経過を忘れる。 一番奥まで行き、もう一度ゆっくりと反復しながら戻る。 アリさんが薦めた良さが分かった気がする。 大きな感動を秘めて、地上に出ると陽射しがきつく、現実に戻る。 急な階段を下って行く。お墓は随分深い所に祀られているのだろう。 「ラムセス3世」と比較すると少しくすんだ感じがあるが、それぞれのレリーフは鮮やかな色彩を残している。 ヒエログリフと壁画が物語として、その時代の歴史を伝えているのだろう。 一番奥の玄室には石棺が置かれている。きっと宝物が一杯飾られていたのだろうが、盗賊により、ほとんどの墓は 盗掘され、残って発見されたのが「ツタンカーメンの墓」だけなのだ。 ここも壁面・天井を再確認しながら、きつい上り階段を出口に戻る。 「ツタンカーメンの墓」を見学した方と出会い、感想を聞くと中身がカイロの博物館に行っているので・・・・と。 観光客が来た時よりも多くなっている。色々な言葉が飛び交い、世界有数の観光地であることが良く分かる。 ガイドブックを売りに来る子供もいる。 日本語版はないようだが、写真が写せないので後で買おうと考え、次の「ラムセス9世」(在位BC1126-1108)の墓に向かう。 チケットに3個目のパンチの穴を開けてもらい入場する。 一番奥では5名の作業員が壁の補修と復元をしている。細かい仕事をボツボツとのんびりした様子だ。 「ラムセス9世」の墓の天井のレリーフはダイナミックで迫力がある。 坂井氏もこの墓を訪れておられたので、ガイドブックではなく、鮮明な写真も借用して掲載する。 まだ写真撮影が許される時代の訪問は羨ましい限りだ。 坂井さんに感謝します。 見事な彩色豊かなレリーフを堪能して出口に戻る。 「ラムセス3世」「ラムセス1世」「ラムセス9世」のお墓を訪れ、素晴らしいレリーフを堪能した。3000年前の美術・芸術が こんなに鮮明に残っているのに驚く。凄い歴史だ。 集合時間まで少し時間があるので、お墓の上の岩山に登る。 細い道があるので登っていると、上から声がする。挨拶かと思って、手を振って登っていると怒鳴り声のように思え、 見上げると作業している人達が前の岩山を見て、怒鳴っている。 銃を持った警官が、逃げる男を追っているのだ。 この墓の上に登ってはいけない様で、降りろと言っているようだ。真下の「ツタンカーメンの墓」入口の写真を写して、 銃を向けられてはかなわないので、慌てて降りる。 ガイドブックを売りに来る子供や大人が多い。一人と交渉する。日本語版はないので、英語版を買うことにし、値段を 聞くと10US$と。高いと云って5US$で交渉成立させる。このガイドブックの写真をHPで活用した次第です。 全員集合してカートで駐車場に戻る。皆さん、寡黙で古代エジプトの彩色豊かなレリーフを想い起しているだろう。 カートも満員で、分かれて乗らないといけない位、各国の観光客が多い。 バスで次の「ハトシェプスト女王葬祭殿」に向かう。 岩山を廻った所の別の岩山の下に葬祭殿が小さく見える。 ハトシェプストの側近で建築家センムトが設計を行った。後にトトメス3世によって壁画や銘文が削られるなど一部破壊を受けた。 手前にはメンチュヘテプ2世の王墓があり、あわせて、デル・スル・バハリ(アラビア語で「北の修道院」の意味)とも呼ばれている。 1997年11月、ルクソール・テロ事件の現場となり外国人57人を含む62人が亡くなる事件が発生し、その中には10人の日本人 も含まれていた。 (エジプト観光局HP、他より) 駐車場から「ハトシェプスト女王葬祭殿」を眺めると、遥か向こうの岩山の下に細長い建物が見える。 10年前の1997年、後の岩山の右の山から警官に扮装したテロ集団が狙撃して来たと。警官の姿で観光客は全く 無警戒で、何が起こったか分からない間の出来事で、多数の犠牲者が出たのだ。 この事件で、観光客が激減し、今回のアブシンベルやルクソールでの警護を強化したと。ご冥福を祈ります。 駐車場から専用カート乗場までの間に、土産物屋が立ち並び、客引きが激しい。その言葉にも慣れて来た。 エジプト人の子供達が見学に来ていて、ハローと挨拶する。サバハラヘールと返すと目を輝かせて握手して来る。人懐こい 可愛い子供達だ。 カートに乗って「ハトシェプスト女王葬祭殿」のテラスの下まで行く。崖を利用した3階建てのスロープを上って行く。 「ハトシェプスト女王葬祭殿」の全体像を撮ろうとするが、近付くと写せない位に横長だ。 スロープの階段を上り、2段目のテラスに行く。 観光客が多く、広いテラスも狭く感じる位だ。欧州からの観光客が多いようで、色々な言葉が乱れ飛んでいる。 「ハトシェプスト女王の像」や当時の交易を表したレリーフが残され、女王の威厳や功績が偲ばれる。 テラス上には腰に拳銃を携えた警官が立っている。過去の惨事の教訓が残っているのだ。正面から写すと怖いので 後ろからパチリ。 11時バス集合の時間が近付いたので、細部まで見学出来ず、スロープを戻りカートに乗ってギリギリ間に合う。前の広場も 広いので大変だった。 バスに乗り、「王家の谷」の岩山の中を進む。 「王妃の谷」にある「ネフェルタリ王妃」のお墓の壁画は見事だと。 この岩山にはまだ盗掘されていないお墓もあるのだろう。 お墓と思われる山に家を建て、床下から掘り下げて宝物を探そうとしている「盗賊の町」と云われる所もあるそうだ。 岩山を抜けると「メムノンの巨像」に到着する。 メムノンの巨像は、2体のアメンホテプ3世の像で、呼び名はギリシャの伝説、メムノン王に由来。高さ約18m。 元々は、背後に葬祭殿が 控えており、その入口の部分であった。 向かって右側の像は紀元27年の地震によりヒビが入り、夜明けになると、おそらく温度差や朝露の蒸発のせいで、うめき声や 口笛のような音を発していたが、修復後の現在、その音はしなくなった。 (エジプト観光局HP、他より) 荒涼とした広場の中にポツンと立つ「メムノンの巨像」の後に大きな葬祭殿があったのだろうと想像するが、3000年も前のことで 不思議な感じだ。 3000年も昔に大きく発展した文化・文明の名残とは云え、豊かさと貧しさの両極端を見るようで、心が痛む。これが エジプトの現状なのだろう。 写真撮影だけの短い停車ですぐに出発となる。 再び、いや最後のナイル川と肥沃な沿岸の農地を眺め、川を渡って昼食に向かう。 昨夜泊ったホテルでバイキングの昼食となる。 ここはビールがあり、充実した旅に感謝して乾杯。24E£(480円)で冷たいビールを飲み干す。 現地ガイドのアリさんとはここでお別れだ。熱心にエジプトの歴史・風俗・習慣・言葉を伝えてくれた。旅行の満足度の大きな 部分はガイドの資質にある。満足感一杯でアリさんに感謝・感謝。 一路ルクソール空港に進む。 砂漠の中の空港で、こじんまりしている。搭乗手続きは個人で行い、重量チェックを心配したが、2個で46kgと少しオーバーしていたが 問題なくOK。他のメンバーも全員問題なかったようだ。余り厳しくはないようだ。 15時25分発なので、14時40分まで自由行動となる。 エジプト通貨は日本で両替出来ないので、使い切らなければならないが、残りは汚い紙幣が6E£(120円)だけなので、募金箱に 寄付する。持ち帰るには余りにも汚い。 免税店に行き、適当に品定めして時間を潰し、買ったものは少額であったが、カードで支払う。 バスで飛行機まで行き、タラップで搭乗する。エジプト、カタールの空港は全てタラップ方式だった。 15時10分にQA-519便は予定より早く出発する。A321型の3-3席で、満席だ。 我々は後ろの方の席だったが、前方席にアラブ人の女性の一団が居り、うるさい。 窓側だが、雲の上を飛ぶので下が見えないのは残念だ。砂漠を上空から見られるチャンスだったのに残念だ。 機内で食事が出る。もう野菜は大丈夫だろうとサラダをぱく付き、ハイネケンビールで乾杯する。そしてウトウトと。 18時30分、ドーハに到着し、関空行の搭乗まで自由行動となる。 5時間程の待時間があるので、ノンビリと過ごす。まず、免税店でナツメヤシを購入する。トルコ旅行の時もドバイで買って 美味しかったので、もう一度購入する。 空港内は色々な人種が行き交っている。アラブ独特の白い服を着た人が目立つし、アジア系の人も多い。中国・韓国人も たくさん待っているのに驚く。 往路と同じく航空会社のサービスで夕食券をもらっているので、余りお腹は空いていないが、トライする。カレーで なかなか美味しかった。 今回の旅を思い出しながら、回想したり、居眠りをしたりと真っ暗になった外を見ながら過ごすが長過ぎる。 いよいよ最終行程になった。 23時55分発のQR-820便はほぼ定刻に出発する。 機種はA330の2-4-2席で真ん中の席だ。横はグループの方で直ぐに食事だ。和風のメニューがあったので頼むと鰻丼で、 久し振りに日本の味を楽しむ。茶蕎麦、寿司、羊羹も付いている。 個人モニターで映画を見たり、航路を眺めたりして、眠ってしまう。 目覚めて、歩いたりモニターを見たりと時間を潰す。 航路は往路と違って、ヒマラヤの南側を通り、上海付近から海上に出て、長崎・大分上空から四国山脈を越えて関空に 向かう。 14時40分、定刻より早く関西空港に無事到着する。 スーツケースも全員無事に到着し、三々五々また何処かでお会いしましょうとお別れする。10日間、仲良く過ごした旅慣れた 仲間だった。又、何処かで!! スーツケースを宅配便に預け、JRで高槻に。駅前の居酒屋で刺身と湯豆腐で楽しかった旅であっことに乾杯して帰宅する。 中身の濃い10日間だった。 まだ海外旅行に行ったことがなかった時、漠然と世界史の順番に世界を旅行出来たらなぁと。 その念願がかなったエジプト旅行は想像以上の文明・文化に驚きの連続だった。3000年以上昔に、この様な文化が 存在していたこととそれが克明に文字や絵で残っている。凄いと。 エジプト=ピラミッドと思い、南部のルクソールやアスワン・アブシンベルは少しの知識しかなかったが、そこには強烈な文化が存在して いたのだ。ピラミッドよりは歴史的に新しいが、圧倒される建物、彫刻、壁画、文字、神々・・・。 もう一度とはいかないかも知れないが、もう一度ゆっくりと行きたい素晴らしい国だった。 HP作成に1ケ月以上費やした。事前に資料を読んだり、整理していたが、足らないものが多く、特に撮影禁止の史跡は 脳裏にあるものを残して置きたかった。 昔は撮影が出来たことから、坂井氏のHPに辿り着き、ご了解を得て、掲載出来たことは感謝したい。 その写真がなければ、自分の記憶も薄れて行くし、旅行記のメインが欠如したままになってしまう。 さあ、次は何処へ!?
|