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「エジプト満喫10日間」旅行記

「行程MAP」



○ 「アスワン」 (2007/12/9)

9時40分、古代エジプトの雄大な史跡を堪能した充実感に満たされて、アブシンベルを後にする。
大型バスの最前列は順番に抽選で座ることになっていて、今回は我々が座ることになった。
10時にバス警護の集合場所に行く。たくさんのバスや乗用車が集まり、車体検査を受ける。これから再び 砂漠地帯をコンボイの集団でアスワンに向かうのだ。

バスは砂漠地帯に進む。昨日は初めての経験で興奮して見ていたが、今日は冷静に左右を眺めながら進む。
砂漠は色々な顔を持っていることを改めて認識する。我々のバスはスピードを出して、前のバスを次々と追い抜き 先頭に立つ。前は砂漠の中の1本道が地平線まで続く。

コンボイの集合場所
砂漠の岩山
真っ直ぐ続く道

画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

長丁場の砂漠横断のため、アリさんが「十戒」のVTRを上映する。この映画は映画館で観たが、その時は歴史的な 知識もなく、海が割れて人が進むとか花瓶の水を流すと真っ赤になる・・・とかのシーンしか覚えていない。
「十戒」はモーゼを主体に描かれているが、その時の王は「ラムセス2世」なのだ。VTRはモーゼ側に立っての描写なので、 「ラムセス2世」は悪者になっている。
本の「太陽の王・ラムセス」は反対側からの描写で、モーゼのエジプト脱出を助けている。難しい解釈だ。

砂漠の色々な顔を眺めたり、VTRを見たりと3時間の砂漠のドライブを楽しむ。
砂漠地帯を脱出して、アスワン・ハイダムの上に到着する。
アスワン・ハイダム完成記念塔
ナイル川は、毎年夏に洪水が発生していた。これが流域に肥沃な土壌を形成することに役立っていたが、流域の人口が激増すると、 ナイル川の洪水をコントロールする必要が発生し、エジプトを保護下に置いていたイギリスは、1901年、アスワンダムの建設を行う。
しかし、アスワンダムだけでは不十分と考えた政府は、1952年にアスワン・ハイダムの計画を始める。その後、エジプト革命で政権交代が起こり、 イギリス主導で行われていた建設計画は中止される。

ナセル大統領は、スエズ運河を国有化することで、財源確保をもくろむ。1956年、スエズ運河国有化を宣言。1958年、冷戦の影響もあり、 ソビエト連邦が、建設資金と機材の提供を申し出る。
1960年、建設が始まり、ダム湖(ナセル湖)による水没地域の約9万人の救済やアブシンベル神殿の移設等が実施され、1970年に完成する。
堤高・111m、堤頂長・3,830m、幅(基礎部分)・980m、発電能力・2.1GW (175MWが12基) の巨大なダムです。 (エジプト観光局HP、他より)


アリさんの説明は熱が入り、ナセル大統領が現代のエジプトに貢献したことを力説している。スエズ運河の国有化のくだりはイギリスからの 独立に対しての国民の熱意が熱く語られ、共感させられるものだった。
アスワン・ハイダムの上で撮影タイムとなる。幅広いダムの上流はナセル湖がアブシンベルまで続く大ダム湖ととなり、下流には発電所があり、水量は 絞られて細くなっているが、大ナイル川としてアレキサンドリアまで流れているのだ。
巨大ダムの出現によって、エジプトの近代化が進み、自然災害の脅威が除かれたことは大きい。それにしても大きなダムに驚く。

水を湛えるナセル湖
発電所 表示板
ナイル川

バスに乗り、少し行った所でストップする。このダム近くの砂が一番細かいとのことで、砂採取のために小休止だ。
事前調査で砂採取用にガムのプラスティク缶とジップビニール袋を持参していたので、砂を一杯入れる。本当に細かい砂だ。 乾燥しているので、サラサラしているが、日本に持ち帰ると湿気でサラサラ感がなくなるらしいが、目下の所は問題ない。

ナイル川に沿って北上する。今日の昼食は船に乗って島のレストランで食べるそうで、小型の船でナイル川のミニクルーズを楽しむ。 川にはファルーカと呼ばれる白い帆かけ船が浮かび、のどかな感じだ。
昼食はターゲンと云う肉シチュー料理だ。料理は美味しく、日本人にも合っているが、ビールがない。 南部のヌビア地方はアルコールの置いていないレストラン・ホテルが多いのを初めて経験する。(以降も数々あるのだ。)
仕方がなく、水(5E£=100円)で食事をする。料理が美味しいので救われるが、少々寂しい感じだ。

アスワンの砂、採取 自宅で
白い帆のファルーカ
レストランへの渡し船

食後、渡し船で戻り、列車の遅れで変更になった「イシス神殿」に向かう。
ナイル川から見たイシス神殿
「イシス神殿」はナイル川のフィラエ島に造られているので、再び船に乗って島に渡る。船の上から島に堂々と建つ神殿の姿が 夕日に輝いている。

イシス女神に捧げられた神殿はプトレマイオス王朝から古代ローマ時代(BC4世紀〜BC3世紀)に建てられたもので、550年前後にローマ帝国の 命により閉鎖されるまで、古代エジプトの信仰が生き続けた最後の神殿だった。
本来の「イシス神殿」はアスワンダムの建造で沈んだフィラエ島に建てられていたが、ユネスコにより他の遺跡と共にアギルギア島に移築され、 現在ではこの島をフィラエ島が呼ばれている。 (エジプト観光局HP、他より)


船から降り、神殿に向かう。
大列柱の立ち並ぶ外庭から第1塔門へ進むと夕日に輝く茶褐色の柱や塔門が美しい。
塔門の壁にはイシス女神、ホルス神、ハトホル女神等のレリーフが刻まれている。
アブシンベルのレリーフと比べると進歩しているようだが、紀元前の史跡でも新しく見えるのは、やはりアブシンベルの歴史の重さなのだろう。 列車の遅れで「イシス神殿」の見学が後になったので、歴史の順序通りになったのが、この様な感想になるのか。

塔門から中に入り、壁面に描かれているレリーフの説明を受ける。内容の記憶が薄れているが、2000年以上のものが鮮明に残っている。 ただ、ルクソールでも同じだが、ローマ帝国が侵攻して、エジプト時代のファラオの顔が削られているのは悲しい。また、十字架のレリーフも 残っているのは一つの歴史だと。

大列柱
第1塔門 壁面のレリーフ
神殿のレリーフ 十字架

神殿の「至聖所」には、イシス女神の台座が設置されていたが、撮影禁止だったようで(?)、写真がない。内部を見学して 裏側に出る。
夕焼けに染まるナイル川が間近に流れ、素晴らしい場所に移築されたことが分かる。
外側を廻って、「トラヤヌス帝のキオスク」を眺める。イシス女神の休憩所だと云う説もあるキオスク(小さな建物)だと。 夕日が神殿を明るく照らし、壁面のレリーフが浮き上がり、陰影がはっきりとする。

船着き場に戻る途中に売店があり、小さなメモ帳があったので買い求める。ボールペンで値下げの交渉をするが、関心がなく 不調に終わる。地域によって温度差があるようだ。

トラヤヌス帝のキオスク
夕日に輝く第1塔門
裏からの大列柱

「イシス神殿」の建つフィラエ島から船で戻り、ファルーカに乗るために船着場にに急ぐ。
この時期の日暮は早く、ナイル川に日が沈む頃、30人全員が大きなファルーカに乗船し、ナイル川に漕ぎ出す。直ぐに白い帆を張り、 静かに流れに乗って遊覧する。
船ではヌビア人の船員が太鼓を叩いて、歓迎の歌を歌ってくれ、全員が輪になって肩を組んでステップを踏む、楽しい時間を 過ごす。アフリカの音楽とステップは異国情緒豊かで、大歓声を上げながら大いに楽しむ。

外は真っ暗になり、川面に映える光がきれいになった頃、ヌビア人の船員が船の中央のテーブルに手作りの土産物を陳列し 販売する。
素朴な作品が多く、木彫りのラクダを購入する。(2US$)
約1時間の楽しいひと時を過ごして下船する。

ナイル川の夕暮れ
太鼓での歓迎の歌
ダンス

香水瓶の販売店に行く。
香水瓶
夕食
高級なものがたくさん陳列されており、一寸手が出ない。皆さんが品定めしている間、ソファーで一休み。
その後、夕食のレストランに行くが、料理の盛り付けや味はgoodだったが、昼に続いてアルコールはない。酒飲み連中は不満タラタラ。 太陽の形をした魚フライを水(5E£=100円)で寂しくいただく。う〜ん。

ホテルにに向かう。イスラム圏やアフリカ圏の真っ只中なのに、ホテルに入るとクリスマス・ツリーが飾られ、サンタクロースがトナカイに乗っているのに驚く。
部屋割りを聞き、部屋に行こうとすると仲間の方がエレベータの横の売店で、ビールを売っているとの情報を教えてもらい、荷物を 部屋に運び、直ぐに買いに行く。大ビン20E£(=400円)で買い求め、風呂上りに一日を振り返って乾杯する。

アブシンベルから砂漠を縦断してアスワンに戻った。ファルーカにも乗り、恵み多きナイル川を実感し、2000年以上前に造られても、新しいと 感じた「イシス神殿」を見学しての一日だった。
残りの行程も少なくなった。さあ、明日・明後日のルクソールの史跡にも期待して、ぐっすり眠る。


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