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○ 「中山道No18」見聞録(塩名田宿〜松井田宿)・(距離 44.7km(今回)/ 415.1km(累計)/ 117.9km(残距離)

前回まで
今回
残距離


18−3.(21)小田井宿〜(20)追分宿・(5.0km) 2011.10.31 10:20〜13:40 晴れ


中山道全行程.Map
「小田井宿〜追分宿・行程MAP」

地図の左下の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(夢街道HPより)

「小田井宿」の東の入口を過ぎ、県道を渡ると「御嶽山座生権現」の碑が立つ。今日2つ目の「御嶽信仰」の碑だ。
静かな街道筋を進む。この辺りは立派な家が立ち並び、旧街道の風情を残している。淡々と歩いて行くと「しなの鉄道」に当たり、その 地下道をくぐって反対側に出る。すぐ先が御代田駅だ。

御嶽山座生権現の碑

街道筋の立派な家

しなの鉄道の地下道


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

地下道を抜けると風景が一変する。街並みはなく、小高い丘に上って行く気持ちの良い街道となる。街路樹が紅葉して美しい。緩やかな 坂を上って行くと 「御代田一里塚」の標識があり、それに従って街道から小道に入ると、久し振りに本格的な一里塚が残っている。旧街道はこの間を 通っていたのであろうが、今は別の道になったので、残っているのだ。
西側の一里塚は大きく、東側は少し離れた所にあり、どちらも植わっている木はしだれ桜のようだ。春にはきれいな一里塚だろう。

御代田一里塚・西 説明

御代田一里塚・東


坂道を上って行くと前に年配のご婦人が歩いておられご挨拶。地元の方で、この坂道は大変だと。京都から歩いていると話すと驚いて おられた。
「大山神社」の社が奥に鎮座しているが、落葉の参道を確認して前に進む。
民家があり、この辺りに旧街道が存在するとのことなので、探すが見当たらず、元の街道に戻って坂を上って行く。 切り通しの道を抜けると畑があったり、林の中に別荘地が点在したりと自然豊かな道を進む。
道角に「観音像」が祀られているが、 新しいものだ。別荘地帯の街路には紅葉・黄葉が散りばめられ、気持ち良く上って行く。

紅葉の上り坂

大山神社

紅葉・黄葉


緩やかな坂道はまだまだ続き、別荘地を眺めながら進むと大きな池(?)があるので、確認すると「千ケ滝湯川用水・温水路」だと。

千ケ滝湯川用水・温水路

紅葉に囲まれたログハウス

「温水路」 とは初めて聞いた言葉なので、調べると、水温上昇施設で、取水地点13.2℃の水が、この温水路で1.5℃、全延長で5℃上昇して、受益地では 18,2℃になるそうで、稲作等に活用されるものだと。
軽井沢の別荘は良く聞くが、ここ追分にもたくさんの別荘があり、優雅な雰囲気が漂っている。
紅葉に囲まれたログハウスに住むと気持ち良い だろうと思いながら進むと国道18号線と交わり、その角に「中山道69次資料館」 が建っている。

中山道69次資料館

早速、入館し館長さんとご挨拶。館長の岸本さんは、小生も「中山道」紀行の参考書として活用させていただいている「中山道69次を歩く」の 著者で、紀行時にお世話になっている「中山道・道標」をポイント毎に設置して頂いている方だ。
この資料館も個人で開設しておられ、館内には「中山道69次」の宿場毎にいろいろな史料が展示されている。館長からポイント毎に説明を お聞きする。
各宿場の浮世絵の話し、その浮世絵師の英明・広重の関係、旧街道の道標の話し、旧街道に祀られている「馬頭観音」と「牛頭観音」の話し 等々、小一時間いろいろとお聞きした。お話の中で、館長とは同学年だと分かり、持っていた本にサインをいただき、有意義な時間を過ごした 満足感で次に進む。

分去れの道標

「中山道69次資料館」の前庭には「中山道69次」のミニチュア街道が作られており、ぐるっと一回りし、思い出したり、これからの道中を見て 「追分宿」に向かう。
国道18号線を少し進むと三叉路があり、その角に北国街道との分岐点である「分去れ(わかれされ)の道標」の碑と常夜燈が立っている。普通は 「追分」と云うが、「追分宿」なので「分去れ」と云うのだろうかと。
北国街道は、中山道と北陸道(北陸街道)を結ぶ街道で、信濃の追分宿から越後の高田宿まで約35里(約140km)の道です。
加賀藩をはじめとする北陸諸藩の参勤交代の道であり、また、佐渡金山で産出した金を運ぶ道としても重要視された街道でした。
また、長野の善光寺参拝を目指す旅人が多かったことから善光寺街道の名もあります。 (軽井沢町観光協会HP他より)

追分宿の表示

昼食

この道を右側に進むと新潟に通じるのだと思いながら、「追分宿」と大きく書かれた木製の見張り台(実は蕎麦屋の看板?)のような建物に 迎えられて「追分宿」に入る。
時間的に12時45分になったので、その前の蕎麦屋「せん」に入り、昼食にする。
「追分御膳」を頼み、リュックを降ろし、ゆっくりといただく。 朝食がおにぎりだったので、お腹も空き、地元の蕎麦、山菜の天婦羅を本当に美味しくペロリといただく。(12:45-13:15)

高札場跡 説明

満腹になり、静かな「追分宿」の細い旧街道を進む。緩やかな坂を上って来たので、標高が高くなり、紅葉が目立つようになって来た。
紅葉に囲まれた「諏訪神社」の鳥居を過ぎると旅籠「つたや」の古い建屋が昔の面影を残している。
その先には「高札場跡」が建ち、宿場の風情がある。
中山道の開通と共に追分の宿も整えられ、中山道・北国街道の分岐点として急激に栄えるようになりました。宿の繁栄とともに長くなって いく町並みは、江戸時代前期、貞享元年(1684)に5町であったのが、4年後には1町35間長くなって、西方に新町ができました。
追分宿には本陣が1軒、脇本陣2軒、その他に旅籠屋、商家、茶屋などが軒を並べていました。
「厳寒不毛の地」なるが故に、人々は生活の多くを商いに頼り、三宿のうちでは最も栄えた宿となりました。 (軽井沢観光ガイドHPより)

直ぐ横には「明治天皇行在所跡」の碑が立つ、かっての「本陣跡」が奥に広がっているが、面影はない。続いて「油屋旅館」の看板がある 所が「旧脇本陣」で奥の方にに建物が建っている。

諏訪神社

旅籠・つたや

旧脇本陣・油屋旅館


「追分宿」の木々に囲まれた道は、紅葉も見頃で、車も走らないので気持ち良く進む。「堀辰雄文学記念館」の立派な門構えと紅葉の庭園を 外から眺めて進む。道の横に落葉が集まっている水路があり「御影用水」の標識が立っている。下流の佐久平の用水路として作られたものだと。 先程見た「千ケ滝湯川用水・温水路」と云い、水に対する想いが深い地域なのだ。
少し空気が冷たく感じる街道には「芭蕉句碑」が立ち、横には「浅間神社」の鳥居が立ち、本殿は奥の方にあるようなのでパスして進む。

追分宿の木々に囲まれた道

堀辰雄文学記念館

浅間神社 芭蕉句碑、 説明


再び国道18号線と合流すると、広い道路を隔てて、左右の小高くなった道の上に「追分一里塚」がペアで残っている。「御代田一里塚」と 云い、連続でそのままの姿を残しているのは嬉しい。

追分一里塚・北

追分一里塚・南 説明


旧街道の雰囲気を残した「追分宿」を満足して、次の「沓掛宿」に向かう。


「小田井宿〜追分宿」の「紀行スライドショー」


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