○ 「中山道No18」見聞録(塩名田宿〜松井田宿)・(距離 44.7km/ 415.1km/ 117.9km)
18−1.(23)塩名田宿〜(22)岩村田宿・(5.1km) 2011.10.31 7:10〜9:00 曇り時々晴れ
8月に「中山道」最大の難所と云われている「和田峠」を越え、「塩名田宿」まで到達した。 次の難所である「碓氷峠」を越えて、関東圏に突入する時期を考えていると、先達の話では、紅葉の時期が良いとのこと。今回も往復夜行バスで 行こうと考え、予約状況を調べると飛石連休で満席が多く、少し天候が心配だが、10/30(日)の夜出発にせざるを得なかった。 出発日の大阪は昼から雨が降り出し、軽井沢方面の天気予報も雨で、明日の午後から晴れそうなので、それに期待して、夕食をしっかり 食べて京都に向かう。京都駅も雨で、少し睡眠薬代りのハイボールを飲んで軽井沢行きの夜行バスに乗る。車内は満席で、3列シートの真ん中席に座り、 高速に乗る前に眠ってしまう。 途中で時間調整のために停まっているSAで外を見ると雨が降っている。天気予報より雨が遅れているのか心配しながらウトウトと。上田駅からは 国道を通るが、小雨模様で少し明るくなったか。 前回の終了地点、佐久平駅に6時40分頃到着する。予定では7時14分なので、随分早く到着し、「塩名田宿」へのバスは7時50分と1時間も 待たねばならない。駅近くにコンビニも見当たらず、朝食は何処かで食べようとタクシーで行くことにする。駅前の街路樹は少し色付き、肌寒いが、 雨が止んでおり、曇り空で浅間山の姿は見えない。途中で見えればと思いながらタクシーに乗る。
7時10分、前回バスに乗った「塩名田宿」に到着し、曇り空で肌寒い雨に濡れた旧街道の紀行をスタートする。 前回確認した「問屋本陣跡」を再確認し、まだ静かな「塩名田宿」の街並みを進む。 街並みの中には食べ物を売る店も見当たらないので、 歩き始めると「本陣跡」の立て札が建つ民家があるが、その面影はない。 民家にはそれぞれの屋号の看板が掲げられ、道は広いが、旧街道の趣きを残そうとしている。 少し進んだ交叉点の角には「塩名田宿」の標識が立っている以外、宿場町の史跡は残っていないのは残念だ。交叉点を渡った所から、 県道を離れて右手の細い道に進む。
駒形神社の創建年は不詳ですがこの地は古くから信濃牧の地と呼ばれる馬の産地であり、本殿には馬に乗った男女2体の神像が祀られて いる所から、それらに関係した神社だったと思われています。現在の本殿は文明18年(1486)に鷹取城主大井新左衛門政継が城の改築の際 再建したもので一間社流造、とち葺、小規模ながら室町時代中期に建てられた貴重な神社本殿建築で、屋根葺き替えが行われるなどその後の 工事過程が明白なことから昭和24年国宝(現国指定重要文化財)に指定されています。 (長野県WEB観光協会HPより) 本殿の内部は見られなかったが、鳥居の裏側には「馬の彫り物」が飾られている。馬の産地に因んだ神社だと理解出来る。 この下に旧街道があったとのことだが、その痕跡は見当たらず、「駒形神社」の前から、先程上って来た道と別れて細い道にに入り、少し 坂を下って行く。
細い道は先程の県道と合流し、少し進むと稲刈りの終わった田圃が広がり、遠方には多分八が岳と思われる山々が望まれる。青空ものぞき 始め、山には雲が掛かりきれいだ。 道端には「りんご果樹園」が広がり、赤いリンゴがたわわに実っている。信州の風情満点だ。途中、大きな記念碑を眺め、平塚の集落に 入ると道路脇には用水路が設けられ、立派な家々が続いている。 畦道の奥に「稲荷神社」の鳥居を確認し、中部横断自動車道の高架下を抜けると左側に佐久平駅周辺のビルやスーパーが見え、雲の上から 浅間山が少し顔を出している。
道端には「りんご」に代わって「ラフランス」が植えられた果樹園を進むと、「道祖神」が祀られている。
佐久市岩村田にある現在の松は 3代目で、この地区では、シンボル的な存在であり、相生町という地名の由来になっています。 皇女「和宮」の東下りの際には、ここで輿を留め、御野立小休をとりました。当時は、結婚のため江戸に下る姫君が中仙道を通る際には、 「相生の松」の名が縁起が良いということで、休むのが習わしだったといわれております。 (佐久地域観光情報HPより) 浅間病院の前にコンビニがあったので、おにぎり2個を買って、バス停の待合所で遅めの朝食とする。(8:35) 一息入れて「岩村田宿」に向かう。JR小海線踏切の手前に「御嶽社」の社が鎮座し、御嶽信仰の深さがこんな所まで浸透とているのだと。 前回の紀行後、「青春18きっぷ」で「八ケ岳高原線・ 身延線を訪ねる旅」を楽しんだ小海線の踏切を渡ると広い県道に交叉する手前の「西宮太神」の社を見て左折する。 この広い道が「岩村田宿」の旧街道なのだが、雰囲気はゼロだ。史跡も残っていないようで、唯一、「岩村田宿」の提灯が吊るされている のが、宿場と分かる寂しさだ。「日本一?小さい酒蔵」の暖簾が掛かっている酒屋を眺めて、淡々と商店街を進む。
広い商店街の奥に立派な「龍雲寺」が建っているので立ち寄る。
同寺は、正和元年(1312)に大井美作入道玄慶が開基したといわれ、武田信玄が永禄3年(1560)に北高全祝禅師を招いて中興開基しました。 信玄の帰依が厚く、信濃に出兵する際は必ず詣で戦勝祈願をしたとされ、
こんな所に武田信玄の遺骨が祀られているとは驚き、少し紅葉した境内と立派な伽藍を拝見し、街道に戻る。 少し進んだ道角に「善光寺道道標」の立派な石碑が立ち、この宿場が交通の要衝だったことが良く分かる。少し進むと紅葉が見事な 「住吉神社」の前を通り、「塩名田宿」「岩村田宿」共に、史跡が残っていなかった点を残念に思いながら、次の「小田井宿」に向かう。 「塩名田宿〜岩村田宿」の「紀行スライドショー」
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