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「トルコ大周遊」旅行記

「行程MAP」


○ 「出発」 (11/6-7)

スペインに行った時、イスラム文化とキリスト文化の融合の素晴らしさを見た。トルコはシルクロードのスタートorエンド地点で あるので、キリスト・イスラムに加えて中国・アジア文化がどの様に融けあっているのか興味があり、 一度は訪れたい国と思っていた。
スペイン旅行の後、一度トルコツァーに申し込んだが、イラク戦争の勃発による危険情報があったため、キャンセルした 経緯があり、時期を見て早く行きたいと考えていた。

今までは旅行社からのダイレクトメールで選択していたが、旅行説明会の案内があったので参加する。
まず9月始めに、阪急トラピックスの案内に行くと参加者の多いのに驚いた。トルコ・エジプト旅行の説明会場は 200人以上の参加者が熱心に説明を聞いている。大半はシニアだ。関空からトルコ航空の直行便が出来たので、 その内容に興味があり、11月初旬に安価なツアーもあるので説明を聞き、50人以上並んでいる説明窓口に 行くと思いもかけない方から声をかけられた。昨年「スイス・ドイツ旅行」の添乗員だったT・マキさんだ。
旅行時の話やその旅行仲間で同窓会を開いていること、9月下旬に高野山に行くことなど話し、トルコ旅行の 日程を調べてもらうと希望日程は早くも満席とのこと。それ以上遅くなると雪の心配もあるとのことで 諦めることにする。しかし、奇遇だ。

数日後、JTB・旅物語の説明会に行く。ここもたくさんのシニアの方が説明を聞いている。10日間の日程 では、シンガポール航空の乗り継ぎのツアーがあり、効率は悪いが、見物したい場所が網羅されているので 相談する。
ほぼ満員の状況で残り数人と云うことで申し込む。ランクアップのカッパドキアの洞窟ホテル宿泊は満杯なの は残念だ。

申込書が送付され、燃油代の記述があった。2005.5のスイス・ドイツ旅行は5480円、2006.1のイタリア旅行は10500円 だったが、今回はシンガポール航空(SQ)で片道120US$(14400円)となりそうだ。
添付されていた燃油代の資料によると、片道で直行便のトルコ航空は58.49EU(8800円)、経由地のあるカタール航空 は8000円、ウズベキスタン航空は80US$(9600円)と航空会社によって大きく違うのに驚く。
SQが一番高いのを知らなかったが、機内サービスの良さから目をつぶらざるを得ない。しかしながら、 この原油高の時代は旅費+燃油代で考えなければならない。

この時期のトルコは雨季に入りかけで、雨や時には雪も降るとのことで天候に注意していると、直前には イスタンブールでも雪が降り、カッパドキアでは積雪があったとか。寒さ対策の衣服も用意しておく。

前回のチョンボに懲りて、パスポート・チェックは念入りに。14時35分の集合に合わせて、少し早めに出発する。 関空快速で関空に着いたのは13時過ぎで、昼食を食べ受付窓口に行く。
添乗員のM野さんと挨拶し、手続きをする。空港税4200円、燃油代28800円の合計33000円x2を支払う。 原油高騰の影響での燃油代はバカにならない。
今回のメンバーは40名と最大で人気ツアーであることが分かる。トルコの通貨は日本で両替できないので、 現地で行わなければならない。
マイレージ登録を行おうとするが、適用されないと。安価なツァーなので旅行会社と航空会社とで厳しいバトルが あるのだろうが、残念だ。

関空の男子便器 拡大
出国審査を終え、出発までロビーでくつろぐ。
関空は世界で一番きれいな空港と評価され、トイレにも工夫がされているとか。前回、アムステルダム空港では 男子便器の的として「蝿」があった。神戸空港では「ロウソクの火」が記されていた。関空はと興味深く 見ると「ダーツの的」が的として印されている。

16:50、SQ621は定刻より少し遅れて飛び立った。機内は70%位の乗客でシンガポールに合わせて1時間の 時差を調整し、ビールで乾杯する。
B777-200は3-3-3席で各シートに液晶モニターが付き、航路・ビデオを楽しみながら、太平洋を一直線に南下 する。中央席なので外は見えないが海上を進んでいるようだ。
機内食を食べ、映画を見たり、航路表示のモニターを見ながらくつろぐ。(航路表示を写すとピンボケだが、 方向は分かるだろう。)

定刻の22:35、シンガポールに到着し、広いチャンギ空港を乗換えのため端から端まで歩く。初めてジャカルタに 行った時、出発時間に追われながら歩いたことを思い出す。
再度安全チェックを受け、ドバイ経由イスタンブール行のSQ490に搭乗するが、乗継便が遅れているのか23:35発が 24:00に出発する。
 
SQ621
航路表示のモニター
シンガポール空港の休憩所

画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

ドバイへの航路
SQ490はB777-300の3-3-3席で、ほぼ満席だ。この路線になると国際色豊かになる。アナウンスも日本語が なくなり、アラブ系の人が多く、日本人は我々のメンバーだけか。

4時間の時差を合わせ、モニターを見ると一直線にアラブ首長国連邦(UAE)のドバイに進むようで、マラッカ海峡 から真夜中のインド洋に向かい、セイロン島の北からインドに上陸し、ムンバイ付近から再びインド洋に抜け、 アラビア半島をかすめてドバイに進む。
初めてのインド洋・インドだが、真っ暗で何も見えない。機内食が出て食べるが余りお腹が空かないのは 当然だろう。ウトウトしながら長いフライトに身を任す。

ドバイには定刻より遅れて3:20に到着する。窓から見ると真夜中なのに街灯も明るく、さすが金持ちの 国だと実感する。添乗員のM野さんから出発時間は同じなのでトランジットせずに機内に残るように指示され た。
他の乗客はほとんど降り、機内で荷物検査を受け、清掃する間じっと待つ。空いたと思ったドバイで 降りた乗客が元の席に戻って来た。これなら降機してドバイ空港を見物した方が良かった。

定刻より15分遅れの3:20真夜中のドバイを出発し、北に向かう。イスタンブールとの2時間の時差を調整する。 日本とは合計7時間の時差だ。
クルーが変わって軽食のサービスがあり、航路表示のモニターを見ているとペルシャ湾を北上し、サウジアラビアを横切り、 イラクに入る方が直線なのにイラクの国境沿いに進む。危険なのか入らない。シリアから地中海に抜ける頃から 夜明けの兆しで日の出を写そうとするが、窓からは見えない。
やがてトルコに入り、雪山が見られる。寒そうだ。

7:05、予定より15分早くイスタンブールに到着。日本時間では14時なので集合してから丸一日経ったのだ。 入国手続きも簡単に済み、荷物も全員無事到着した。
すぐ両替所でトルコリラ(YTL)に交換する。昨年から単位が変わって使い易くなったようだ。86.6円/YTLだ。 90円と考えていれば良いだろう。

空港の外で現地ガイドの「ツナ」さんが待っていてくれた。今回のツァーは全て彼がガイドしてくれる。 よろしく。
 
イスタンブールへの航路
トルコの雪山
イスタンブール空港



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○ イスタンブール・チャナッカレ (11/7)



8時に「トルコ大周遊」の出発だ。ツァー仲間は40人と大所帯だが、旅経験豊富な方々で楽しく過ごせそうで 一安心。
石の城壁
石造りの水道橋
ほとんどがシニア夫婦で、3人組と女性2人組が4組と一人旅が3人の構成で10日間の旅をする。
現地ガイドのツナさんはユーモアたっぷりで楽しく旅をアレンジしてくれそうで安心だ。

バスに乗ってイスタンブールの中心地に向かう。少し曇っていて肌寒い。9℃とかで日本より寒さを感じる。

ラッシュ前の道を進むとすぐに海に出会い、海沿いの道を進むと6kmもの石の城壁が続いている。早くも 遺跡との出会いだ。378年に造られた立派な石造りのヴァレンス水道橋の下を抜け、海岸線に軒を連ねる魚屋さん の店を眺めながら、渋滞の始まった市街地を最初の見学地ブルーモスクに向かう。

●トルコの概要
・国土  日本の約2倍
・人口  約6700万人 トルコ語が公用語。トルコ人(85%)、クルド人(12%)他。イスラム教(スンニ派)が98%
・時差  7時間。サマータイム時、6時間
・歴史  ・紀元前(BC)6000年頃、コンヤ南東に世界最古と云われる農耕集落が出現。(新石器時代)
     ・BC2500年頃、トロイで城壁都市を建設。(青銅器時代)
     ・BC1800年頃、ヒッタイト王国を建設。BC1200年頃、トロイ戦争発生。(ヒッタイト王国時代)
     ・暗黒時代を経て、BC750年頃、エーゲ海沿岸にイオニア人が移住し、都市国家建設。(イオニア都市国家時代)
     ・BC546年、ペルシャが侵略し統治。(ペルシャ帝国支配時代)
     ・BC334年、マケドニアのアレキサンダー大王がペルシャに勝利、ギリシャ・エジプト・アジアにまたがる大帝国建設。
         大王死後、BC241年、ベルガモン王国建設。(ヘレニズム時代)
     ・BC133年、ローマ帝国がベルガモン王国を併合。BC324年、ビザンチウム(イスタンブール)を支配下。(ローマ時代)
     ・330年、コンスタンチヌス帝がローマ帝国の都をビザンチウムに移し、コンスタンチノーブルと改名。キリスト教を国教に。
         395年、ローマ帝国が東西に分裂。537年、アヤソフィアの建設。(ビザンチン帝国時代)
     ・1037年、中央アジアの遊牧民族のトルコ族がセルジュク朝を興し、1077年ビザンチン帝国を破りコンヤにを首都に。
         1204年、第4次十字軍がコンスタンチノーブルを攻略するが、1961年 ギリシャ人が再興。(セルジュク・トルコ時代)
     ・1326年、オスマン・トルコ族が台頭したが一時滅亡。1453年、再興しコンスタンチノーブルを攻略。その後、領土は
         東欧から北アフリカ・西アジアに及ぶ。20C前半、第一次世界大戦でドイツ側で敗戦。(オスマン・トルコ時代)
     ・1922年、アタチュルク率いるトルコ国民軍がオスマン帝国を滅亡。アンカラを首都とするトルコ共和国を樹立。
         憲法発布、政教分離を確立。(共和国時代)>/font>

海を眺めながら進むとイスタンブールの旧市街(世界遺産に登録された歴史地区)のブルーモスクの正面に到着する。

ブルーモスクは17世紀の初め、オスマン・トルコ帝国が栄華を誇った頃、スルタン・アフメットによって建てられたオスマン・トルコ 建築の最高傑作で、回廊のある中庭とドーム式礼拝場からなり、周りに世界で唯一の6本の尖塔(ミナレット)を持つ イスラム教寺院だ。
ミナレットは1日5回の定時の祈りを呼びかけるアザーンのためのものだが、同時にその高さ・本数は権力の象徴 とか。
この寺院の正式名称は「スルタン・アフメット・ジャミィ」だが、内部装飾に使われているブルータイルの美しさから 「ブルーモスク」と呼ばれるようになった。中央のドーモは高さ43m、直径24mで、直径5mの4本の柱で支え られていると。
ドーモの内部は青と緑を基調とした2万枚以上のイズニック・タイルに飾られので、ブルーモスクと呼ばれるようになった。 窓には美しいステンドグラスが輝いている。


6本の尖塔を写そうとすると随分後ろに行かねばならず、グループから離れられないので、4本の尖塔しか 写せないのは残念だ。正面の門から中に入り、回廊に囲まれた大理石の中庭で説明を聞く。
ドーモの内部は広く、曇り空の中なのでブルーが鮮やかではないが、青く輝いている。お祈り用の絨毯が 引かれ、壁にも絨毯が掛けられている。
ステンドグラスも美しく、落ち着いた雰囲気だ。早朝なので貸切状態でゆっくりと鑑賞する。
 
ブルーモスク
ドーモの模様
お祈りの絨毯
 
ブルーモスクの内部
ステンドグラス
ブルーモスクの側面

オベリスク
ブルーモスクを出て、横のローマ時代の競馬場跡であるヒボロドゥロームに進む。
公園には、エジプトのアメン大神殿に建っていたものを奪ってきた巨大なオベリスクが立っている。高さが28m あるそうだ。この時代はお互い史跡を奪い合ったのだ。
公園には各国の観光客が多く集まり、色々な言葉が飛び交っている。

路面電車の線路を渡り、地下宮殿に向かう。
初め地下に宮殿があるのかと思ったが、地下の貯水池のことをその豪華な造りが宮殿のようなので 地下宮殿と呼ばれるのだ。
532年に先程見たヴァレンス水道橋から水を引き、市民の生活用水を貯水していたと。


地下宮殿の質素な入口から入場する。階段を降りると幻想的な雰囲気に圧倒される。真っ暗な中に ローマ時代の336本の柱が立ち、ほのかにライトアップされた巨大な貯水池が浮き出されている。
下に降り、貯水池の道を進むとポタポタと水が落ちて来る。柱には彫刻が施され見事だ。
奥の柱の基礎には蛇の髪の毛と大きく見開いた眼を持つ「メデューサの首」がある。一体は横向き、 もう一体は逆さで、その恐ろしい形相から魔除けとして使われているといわれる。
メデューサは金色の翼をもっており、その顔を見た者は石になってしまうと云う怪物だが、もとはとても 美しい女性とか。 出口近くには池の中に張り出したステージもあり、時折、音楽会もあるそうだ。音響効果は抜群だろう。
 
地下宮殿のライトアップ
地下宮殿の天井と柱
メデューサの横顔



向かい側にあるアヤソフィアに進む。


アヤソフィアは360年、コンスタンチヌス2世によって建てられた教会が最初の聖堂で、現在のは537年に完成した。
長い間ギリシャ正教の大聖堂だったが、1453年ビザンチン帝国がオスマン・トルコに征服され、イスラム教のモスクとなる。 内部のモザイク画はイスラム教の教義に基づき漆喰で塗り固められ、代わりにイスラム装飾が施され、ミナレットも 建てられた。聖堂としては世界で4番目に大きいと。
トルコ共和国となった1934年、トルコの父と言われるアタチュルクはアヤソフィアを博物館として開放し、漆喰が取り除 かれモザイク画も復元された。


キリスト文化とイスラム文化が融合した大聖堂に向かう。スペイン旅行の時にも思ったが、異文化を認めて融合 させる度量の広さが昔の人にはあったのだ。今の時代、反省しなければと。
ツナさんの熱心で詳しい説明を音声ガイドで聞く。彼は大のトルコ好きのトルコ人で、歴史に詳しく熱を感じる。 アヤソフィアのアヤは「聖」、ソフィアは「智恵」の意味とか。

館内の撮影はOKだが、フラッシュ禁止なので暗い部分はなかなか上手く写せていない。
南門のキリストを抱いた聖母にコンスタンチヌス帝がアヤソフィア聖堂を献上するモザイクの下から入り、大ドームに 向かう。 大ドームは高さ56m、直径33mで世界最大とか。中央には太陽が画かれている。
聖堂の壁面には唯一神アッラー等の名前が刻まれたアラビア語の円盤が飾られ、圧倒される位の歴史を感じる。

ステンドグラスの窓からの光が聖地メッカの方向を示す金色に装飾されたミフラープを輝かしている。
キリスト・イスラム文化が混ざり合っているのだ。聖堂の両側にベルガモン遺跡の大理石から作られたベルガマの壷や 湿った支柱と云われる柱の水に触れるだけで病気治癒・子宝が授かる伝説があり、柱保護のために つけられた銅板に穴があき、親指を入れて一回転すれば願い事が叶うと行列が出来ている。

当時、王妃は2階に行くのに馬車に乗って行ったと云う馬車道で2階に上がる。見事な石畳で馬車がヘアピン 状に曲がるのは大変だろうといらぬ心配をする。
2階には見事なモザイクが壁面に飾られている。キリスト教信者なら思わず手を合わせるような金色のモザイクだ。 (頭を垂れて祈っておられる信者もたくさんいる)
ビザンチン美術の最高傑作と云われるキリスト・聖母・ヨハネを画いたディーシス、聖母子と皇帝家族のモザイク、キリストと 女帝エゾ夫妻のモザイク、聖母子のモザイク等々漆喰を取り除いて再現されたものだ。

初日から歴史的な史跡に出会うことが出来、満足感一杯でアヤソフィアを後にする。
 
大ドーム
聖地メッカの方向を示すミフラープ
ベルガマの壷
 
2階への馬車道
キリストのモザイク(ディーシス)
聖母子と皇帝家族のモザイク


アヤソフィアの「紀行スライドショー」


見学を終えて公衆トイレに行く。ほとんどのトイレは0.5YTL(=45円)の使用料を取られる。小用だが、トルコ式の 便器を覗く。日本式と似ているが、扉側に向かい用を足し、紙は便器に流さずゴミ箱に捨て、桶で水を 流すのだ。(幸いなことにホテルで用を足したので、トルコ式の経験はなかった。)

バスに乗り海辺の食堂街に行く。各レストランには屋外のテーブルも設置されており、シーズンだと人で一杯だろう が、今は誰も座っていない。
こじんまりしたレストランで鯖の塩焼きがメインですごく美味しい。お腹も空いていたので、トマト・トウガラシの ペーストやご飯の中に小さなパスタが入ったものを美味しくいただく。グラスビールは6YTL(=540円)と日本より 高い位だ。

満足な食事で気持もお腹も満たされ、海岸沿いに店を連ねる魚屋さんを見学する。日本にもあるアジ・ サバ・イワシ等がきれいに並べられている。魚屋の兄ちゃんと記念撮影したりと友好を深める。
空港から乗ったバスが40人ギリギリ一杯なので、より大型のバスに変わり以降このバスで進むとのことだ。 運転手は大柄のサンタさんだ。
 
トルコ式トイレ
海辺のレストラン街
陳列のきれいな魚屋


13:40、ここから今夜の宿泊地チャナッカレに向け出発する。3車線の立派な高速道路を快調に進む。
午前中からバスの中で現地ガイドのツナさんが「日本を忘れ、トルコ人になってください」とトルコ語を教えて くれる。文法は日本と同じだと。
ツナさんのトルコ語講座

・水=ス (「酢」と覚える)
・腹ペコ=アチュム (食堂に入った時云うと効果的)
・ありがとう=サオオル (「竿を折る」と覚える)
・とても=チョク (「超」と同じ使い方。チョク.サオオルと云えば喜ばれる)
・良い=イイ (日本語と同じ) 
・こんにちわ=メルハバ 
・おはよう=ギュナイドン (「牛ない丼」と覚える)

・数字....1=ビール、2=イッキ、3=ウチュウ、4=ドイツ、5=メシ、6=アルチュウ、7=イエデ
.....覚え方:「ビール」を「一気」に飲んで「宇宙」に行く。「ドイツ」人は「飯」を食い「アル中」に なって「家出」する。

途中トイレ休憩で10分程度休む。横の給油所でガソリン価格を見ると2.73YTL(=240円)と日本より高い。 産油国が近いのに・・・?
18時発のフェリーに乗るべく、夏にはヒマワリが咲き乱れる畑や先日の残雪が残る平原をスピードを上げて進む。 山間から時々エーゲ海が見える。初めて見るエーゲ海に日が沈もうとしている。海上に沈むのを見たかった が、丘に沈む夕日しか見ることが出来なかった。この季節は日没が早いので止むを得ない。(日没:17時10分)

18時前にヨーロッパ大陸とアジア大陸の間のダーダネルス海峡のゲリポリに到着し、フエリーに乗る。これが凄い。 前方だけの乗降フェリーなのでバックで誘導員の指示に従ってギュウギュウ詰めに車を載せるのだ。車間が10cm 位に詰める技術に驚く。
海上の風は冷たく20分位でアジア側のラプセキに到着し、一路チャムッカレのIRISホテルに向かう。

19時過ぎにホテルに到着するが、真っ暗で周囲の状況が分からない。部屋割りを告げられ20時集合で 各部屋へ。気持の良い部屋だ。
バイキングの夕食だ。トルコは何処でもパンが美味しい。普通の内容のバイキングを楽しむ。ビールは7YTLとやはり 高い。
部屋に戻りバスタブにお湯を満たして、ゆっくりと体を伸ばす。長い長い1-2日目が終わった。 ぐっすりと眠る。
 
エーゲ海への落日-1
エーゲ海への落日-2
ダーダネルス海峡のフェリー



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