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「トルコ大周遊」旅行記

「行程MAP」


○ エフェソス・パムッカレ(11/9)

モーニングコール5時、朝食6時から、荷物回収6時、出発7時と早い出発だ。
街中でも6時30分にお祈りのマイクの声が響き渡る。朝食は昨日と同様で質素ではあるが充実している。 パンが美味しい。
早朝の出発だが、旅慣れたメンバーは一人の遅刻もなく定刻にスタートする。さすが、トルコ旅行の方は経験者 ばかりだ。遠くは仙台・千葉・石川・広島・愛媛から来ておられる方だ。

アクサン・ホテル
綿畑
バスに乗るとツナさんに「ギュナイドン」とご挨拶。メンバーが段々とトルコ人になって来た。M野さんがJTBからの サービスと絵葉書を配ってくれる。
今日訪れる聖母マリアが余生を送った館の敷地内に郵便局があり、そこから切手を貼って発送すると。 郵便局のことは知っていたので、昨日絵葉書を買い、書いていた。それを渡して発送を依頼する。 海外から自宅にハガキを書くのも良い記念になる。 アルプス・イタリアでもやった。

3車線の高速道路に乗り進む。海に近いためか早朝のためか霧が深い。霧が晴れると田園地帯をトウモロコシ・ キャベツ・レタス畑を見ながら。そのうちに綿畑が多くなる。この辺りは綿花の栽培地らしい。
8:15'聖母マリアが余生を送った館に到着する。
早朝なので観光客は我々のグループだけで静かな石畳の道を登る。オリーブの木が街路樹になり、たくさんの 実をつけている。静かだ。

聖母マリアの館
坂の上に石造りの館が建ち、それが'聖母マリアの家であり、教会になっている。
キリストが処刑された後に聖母マリアはこの地に渡り、ここで生涯を終えたと。その跡に教会が立てられ、 キリスト教信者の巡礼地の1つになっているそうだ。
(パムッカレで出会った韓国の老女がキリスト教信者のグループの巡礼でイスラエル・ヨルダンを廻って来たと云っていた。この教会にも参ったのであろう)

館の中は撮影禁止なので撮れないが、狭い室内に聖母マリア像が祭られている。この場所でマリア様が 亡くなられたと。信者にとっては神聖な場所なのだ。
館の外の石壁にはたくさんの白い布が結ばれている。日本のおみくじと同じ様に願いを書いた布や紙を 結びつけるのだそうだ。聖母マリア像が道脇に静かに立っている。
M野さんは郵便局に寄り全員の絵葉書を発送してくれた。横に両替所があるので日本円を両替する。 余り両替しなくても良いと云われたが、飲み代や小物の買い物で必要になる。83.1円/YTLと空港より レートは良かった。
ここにも犬や猫がおとなしくウロウロしている。トルコでは犬・猫を虐待しないので野良でもおとなしくして いるとツナさんは云う。(帰国した後、フィリピンで犬に噛まれた人が狂犬病で亡くなったのを聞くと怖い ものだ)
リスも走るオリーブの並木を入口に戻ると兵隊が銃を持って起立している。写真を写そうとするとダメだと。 徴兵制があるトルコだと。8:45'出発する。
 
西洋のおみくじ
聖母マリア像
オリーブの木

画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)



山を下る時、山火事の跡が痛々しい。麓から山頂の聖母マリヤの館の近くまで燃え広がったそうだ。世界 各地に新聞報道もあったそうだが・・・。類焼しなくて良かったと。

毛皮ショー
バスはエフェソス遺跡に向かうが、その前に恒例の土産物屋さん見学が組み込まれている。10時に毛皮販売店 に到着し、トルコ特有の革製品を見る。
これが結構楽しい。ファッションショーの舞台の周りに全員が座り、 イケメンのトルコ男性とスタイルの良い美女のファッションショーが始まる。日頃見たことがないショーを楽しむ。

やがて、ツァーメンバーから数人選ばれて舞台袖で衣装合わせをする。妻も選ばれる。
女性3人、男性1人がパートナーと音楽に合わせて舞台へ。全員手拍子で大いに盛り上がる。 男性はメキシカンスタイルで非常にステップ良く大いに沸く。
楽しいショーの後は展示場に案内され商談が始まる。女性陣は楽しげに・・・・・。
何人かの方がお買い物をされたので、この企画は大成功だろう。

バスで昼食会場に向かう。チョプシンと云うトルコ風串焼きがメインでスパイス・スープが美味しい。毎度のことで ビールは6YTLと同じだ。 お腹が一杯になり、次のエフィソス遺跡までの間ぐっすりと眠る。

港通りと大劇場
エフェソス遺跡は紀元前11世紀、ギリシャからやって来たイオニア人がこの地に渡り、アルテミス神殿を中心に 都市国家を建設した。エーゲ海に面している利点を活かした交易と肥沃な土地によって発展し、 エーゲ海沿岸の都市国家の中でも重要な位置を占めた。

しかし、港が浅くなって使えなくなり、疫病が蔓延し衰退していった。 この街の黄金期は紀元前133年 ローマ帝国の支配下になってからと。  
現在のエフェソス遺跡は全体の10%程度しか発掘されていないが、当時を伝える数々の遺跡が今も比較的 きれいな形で保存され、発掘、復元が充分に施されている。まだ発掘もされており、地下に眠る都市 国家へのロマンは尽きない。


バスはエフェソス遺跡の南口に向かう。観光バスが一杯で駐車場所がない位だ。下車すると西欧人・アジア人・ 日本人と各国からの観光客が詰めかけ、土産物屋も色々な言葉で売り込みをしている。
人込みを縫ってツナさんの説明をイヤホーンガイドで聞きながら進む。ガイドブックで広いことは認識していたが、 その広さには驚く。これでまだ10%程度しか発掘されていないとは凄い。

説明を聞きながら写真を写しているが、その時は頭の中がゴチャゴチャで見ているだけの状態だ。
HPを作りながら出口で買った日本語の説明書とガイドブックの写真とを照合しながら反復するが、史跡が 多すぎて整理が出来ない状態だ。(間違っていたら失礼)

まずはヴァリウスの浴場に進む。紀元前2世紀に造られた浴場(ハマム)だ。上の部分がなくなった石柱の道を 通り、広場(国営アゴラ)を見ながら1400人収容のオデオン(音楽室)に向かう。
倒れている柱には基礎部分との結合を鉄で行っている穴や青銅を流す口や石管の配水管もが見え、 高度な技術を駆使していたことが分かる。オデオンは会議室としても用いられたそうで、屋根付きだったと。
 
ヴァリウスの浴場
石柱の道
オデオン(音楽室)

オデオンから史跡が並ぶクレティア通りを進む。プリタネイオンと云われる市議会堂は市政と宗教を統括する最も 重要な建物だった。
大きなアーチ部分が残る泉水殿は97年に裕福なポリオと云う人が寄贈した泉でポリオの泉と呼ばれている。
その前にローマ皇帝ドミティアヌス(81-96年)に捧げた神殿が建てられたが、後世破壊された。
 
プリタネイオン(市議会堂)
ポリオの泉
ドミティアヌス神殿

神殿からクレティア通りに戻るとローマの独裁者スラ一族の像であるメミウスの碑が立ち、前には翼を大きく広げ、 花輪を手にした勝利の女神ニケを浮き彫りにした大理石が置かれている。これまでの史跡の名前は 親しみがなかったが、スポーツ用品のナイキの名前はこの勝利の女神ニケから取ったと聞き、ホッとする。
石柱の上にのんびりと寝そべる猫を見ながら、真っ直ぐに伸びるクレティア通りを進む。
 
フメミウスの碑
勝利の女神ニケ
真っ直ぐなクレティア通り

気持の良い青空に大理石の史跡が映える。暑くもなく、寒くもない気候で見学には最適だ。真夏の 暑さの中、この史跡を歩くのは大変だろうと想像する。天気で本当に良かった。
ヘラクレス門(写真なし)を通り、商店街だったクレティア通りの両脇には名士たちの大理石像が並ぶが、頭が 落ちている。
クレティア通りの中央には2世紀に建てられた、2階建て、高さ12mのトラヤヌスの泉が立つ。縮小して修復されて いるが風格がある。
その道の反対側は発掘中で、立ち入り禁止になっているが、道路上に見事なモザイク模様が見られ、 まだまだ魅力的な史跡が埋まっていることを垣間見る。
 
名士の大理石像
トラヤヌスの泉
道路上のモザイク模様 拡大

史跡はまだまだ続く。本当に広い。
1世紀末から2世紀初めにクレティア通りの一画に公衆浴場・公衆トイレ・遊郭が並んで建設された。スコラスティカ浴場は 3階建てで1000人も収容出来プール・冷浴室・温浴室・熱浴室に分かれていた。
公衆トイレは50人分で扉もなく座って用を足し、下は水が流れる水洗トイレとなっている。進んでいたのだ。

クレティア通りに出ると正面にセルスス図書館が堂々と建つ。125年に完成した当時はアレキサンドリア・ペルガモンに 次ぐ世界第3の図書館だった。2階建ての柱と壁は大理石で飾られ、正面の壁には知恵・運命・学問・ 美徳を象徴する4体の女性像が置かれている。(これらはレプリカでオリジナルはウィーンのエフェソス博物館に展示)
内部も広く、この時代の学問への熱の高さを感じる。
 
スコラスティカ浴場
公衆トイレ
セルスス図書館 女性像

セルスス図書館の右に紀元前4年に建設された、商業アゴラに続くマゼウスとミトリダテスの門が堂々と建つ。
その中にある商業アゴラはヘレニズム時代に建設され、正方形の広大な中庭を取り囲む屋根付き回廊に 沿って、たくさんの店舗や工房が並ぶ商業区域だった。
商業アゴラに沿って大理石通りを進むと後程行く港通りから娼館に行く道しるべとなる足跡の落書きが 残っている。女性の顔とハート、方向を示す足、そして「私についてきて」の文字が掘られている。
 
マゼウスとミトリダテスの門
商業アゴラ
娼館に行く道しるべ

大理石通りは道幅も広く大理石の石畳は馬車が通る車道と一段高く歩道が設けられている。
大理石を踏みしめて進むと驚くほど大きい大劇場の入口に至り、中に入ると圧倒される広さ・高さの 観客席が上下左右に広がる。凄い。
24500人収容の大劇場はトルコ一の大きさで、ヘレニズム時代に建設されたものをローマ帝王トラヤヌス(98-117年)の 時代に完成した。

丘陵を利用した扇型に広がる観客席は22段、ふたつの踊り場で3つに仕切られている。当時は剣士と 野獣の戦いが人気を呼んだので、野獣の檻や出口も設けられている。
余りの広さ・高さで上まで登る気力も萎えるが、途中まで登って見下ろす。広く真っ直ぐな港通りは エーゲ海の港と結ばれる幅11m、長さ530mの交易道が見られる。
この大劇場を見るだけでもエフェソス都市国家の偉大さが分かる。
 
大劇場
大劇場を見上げる
港通り

大劇場を後に港通りに出る。道幅が広く石畳が敷き詰められ、真っ直ぐに当時港であった先端まで 続いている。
エーゲ海を航海し上陸した人々は正面に大劇場を見るとその偉大さに驚くであろう。
港通りと大劇場
アルテミス神殿
大劇場の前には広大な商業アゴラが建ち、交易の中心地となっている。人と物資が集まり、都市が繁栄 する原動力なのだろう。

港通りから北出口に曲がる場所から大劇場を振り返る。大自然の中に港通りと大劇場が溶け込んでいる ようで、自然を活かした都市国家の形成の妙を見るようだ。

北出口周辺も土産物屋が建ち並び、物売りが寄って来る。エフェソスの説明書を売る黒人が近付き、良く 見ると日本語版もあるので、中を確認して購入する。(5YTL=450円)
バスに乗り、次のパムッカレに向かう。乗ってしばらく進むと柱が1本立つアルテミス神殿が見られるが、まだ 不明確なことが多いと。

広大な敷地のエフェソス都市国家はまだ10%程度しか発掘されていない。今後の新たな発見に期待すると 共にトルコにこの様な史跡が残っていたことを知り、目から鱗が落ちる感じだ。


満ち足りた気持でバスの揺れに身を任せウトウトと。途中トイレ休憩があり、ピスタチオ入りのトルコの銘菓ロクムを 購入する。
鉄道の踏切
良質の綿畑
晴天で気持の良いドライブを楽しむ。鉄道と並行に進むが、列車の姿は見られなかった。綿畑が多く、 遠くの山々は雪を戴いている。自然一杯の道を進む。

鉄道の踏切を渡り、国道から近道の細い道に入る。日本よりは少し小振りの柿の木には実が赤く 稔っている。小さな街をいくつも通り過ぎるが、椅子に座って数人で話し込んでいるのは男性ばかり。 女性は家の中に居るが、実権は女性が握っているとツナさんは話す。
細い農道の周りは綿畑が続く。収穫する農家の人々が手摘みで綿花を摘んでいる。機械摘みより品質・ 価格共良いので出来るだけ手摘みにすると。
牧歌的な農道を進む。日暮れが近くなっているので急げ!!


夕暮れと競争でパムッカレに急ぐ。遥か向こうの丘に白い場所が見られ、あれがパムッカレの石灰棚だと。
16:20'に駐車場に到着し、荒涼とした遺跡の中に進む。事前にガイドブックを読んでいたが、この遺跡に ついては認識していなかった。パムッカレ=石灰棚のイメージしか知らなかったのだ。

ローマ門
この遺跡ヒエラポリスはギリシャ語で「神聖‘を意味するヒエラと「都市」を表すポリスを合わせて「神聖な都市」と 呼ばれ、紀元前2世紀頃、ペルガモン王国時代に繁栄した。ここに良質の温泉に治療効果があると信じる人達が 集まり、人口10万人を数えるこの地方有数の都市になった。
ローマ時代(1世紀)に地震で街が崩壊したこともあったが、皇帝ネロの時代に再建され、ビザンチン時代 も繁栄を続けた。セルジュクトルコ時代にイスラム勢力により攻められ、12世紀には廃墟と化した。古人の大きな 墓もたくさん残っている。


日暮れが近いので、早く石灰棚に行きたいと思っているのに、ツナさんは認識していなかった遺跡を 案内する。初めは早く・・・と思っていたが、説明を聞いていると興味が沸いてくる。
石の塊りが散在するネクロポリスに向かう。ネクロポリスは「死者の町」の意味で古代の墓地跡が石の塊りと 見えたのだ。大きな石棺・古墳型・家型など大きな墓に驚く。
3世紀に浴場として建てられた北の浴場のアーチ上の門が夕日を浴びて美しい。
歩道から上に進み、ローマ門に進む。3つのアーチが残された立派なものだ。この門からは石畳の広い アルカディア通りが中心部に続くが、時間の関係で見学はここまでで、石灰棚に向かう。(奥にはアポロン神殿・ 劇場等があるそうだ。)
 
墓地跡
北の浴場
アルカディア通り

世界遺産に指定されているパムッカレの石灰棚に進む。
パムッカレはトルコ語で「綿の城」という意味で、まさしく白い綿を一面に敷き詰めたような石灰棚が続く 奇観の地で、落差約200m、幅約1,000mの拡がりを持っている。
パムッカレは地面から湧き出す石灰成分を含む温泉水が、丘陵を伝わる過程で、石灰化を起こし、石灰棚が 段々畑のように山の斜面に広がったもの。


夕日が前面の山に落ちようとしている石灰棚は夕日のオレンジと水のブルーと棚のホワイトが美しく映える。
石灰棚に溜まる水が少し少なくなっているのは残念だが、その水が青く輝くのは素晴らしい。 足を入れると温泉で温かいが、底がヌルヌルしていて転んだ人もいる。
夕日が沈むのを撮ろうと思っていたが、温水と戯れている間に山影に沈んでしまった。残念。
大きな水溜りになった棚に行き、バシャバシャと温かい水の中を進み、足裏で石灰棚を楽しむ。 本来ならもう少し上の展望台からの景色が良いらしいが、日没の早いこの時期はそこまで行く時間が なかった。
 
夕暮れの石灰棚-1
夕暮れの石灰棚-2
夕暮れの石灰棚-3
 
石灰棚-1
石灰棚-2
石灰棚-3

17:30'暗くなった道をバスが待つ駐車場に向かい、ホテルにへ。ヒエラポリス・サーマル・ホテルはリゾート型で部屋は別棟 になっている。渡り廊下を歩くと寒い。20時から広い食堂でバイキングだ。生演奏もあり、西欧人・韓国人・ 日本人と非常に多い。食事は口に合うが、広い会場で疲れた足にはバイキングはしんどい。

夕食後、売店でトルコ石等眺めた後、温泉プール・温泉・ハマムに行く。外気は0℃近くなっているのか非常に 寒いが、室内は暖かい。プールで泳ぎ、温泉に浸かり、サウナで汗をかく。ここで韓国の巡礼旅行の方と 片言の英語で話したのだ。
初体験のハマムに行くが、誰も居ず温度が低くて寒いので、諦めて温泉に戻る。残念だ。

今日は充実した一日だった。思った以上の規模の遺跡を十分堪能し、石灰棚も夕日で美しかった。
トルコの歴史と自然を満喫した満足感に包まれてぐっすりと眠る。今日は15000歩歩いていた。


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