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「トルコ大周遊」旅行記

「行程MAP」


○ アンカラ・サフランボル(11/12)

モーニングコール6時45分、朝食7時から、荷物回収7時45分、出発8時45分と今回の旅行で一番ゆっくり しているので、余裕たっぷりだ。
昨夜は土曜日なのでホテルの宴会場で地元のパーティーがあり、夜遅くまでカラオケを楽しんでうるさかったが バレーボールを見ながら寝てしまっていた。添乗員に苦情が多くあったそうで、M野さんも大変だったと。

朝食前にホテル周辺を散策する。日曜日で人通りは全くなく、前の道路には車も走っていない。少し歩くと 地下鉄の駅があるので、階段を降りて改札口まで行く。時間がないので乗れなかったのは残念だ。
広い道路は中央に分離帯があるので、脇道から渡るには右折して交差点まで行かねばならない。 面白いシステムだ。2両連結のバスが走っている。

ゆっくりと朝食を食べる。何時ものようにパン・卵料理・ハム等・コーヒー・ヨーグルト・果物、そして最後に チャイ(紅茶)とトルコ風を満喫する。
 
イチュカレ・ホテル
地下鉄の改札口
2両連結のバス

画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

トルコ建国の父と呼ばれる初代大統領ケマル・アタチュルクが眠るアタチュルク廟の開館時間に合わせたので、ゆっくりの 出発となった。
雨は止んでいるが、曇天で肌寒い。バスに乗りすぐアタチュルク廟に到着する。入口には10数人の参拝者が 列を作っている。礼拝用の花を売る人、頭の上にドーナツをたくさん載せ売る人と珍しい光景に出会う。
時間が来て空港と同じ厳重な持物検査を受けて入場する。
アタチュルク廟

アタチュルクは1881年オスマントルコ帝国の時代に生まれ、下級官吏であった父の死後、イスタンブールの陸軍大学に入学 する。1914年第一次大戦が始まり、ドイツと同盟を結んだトルコは連合軍に敗れる。
1918年トルコは降伏し、当時の国王はトルコを連合国に割譲することに同意し、調印する。アタチュルクはアンカラで 「トルコ大国民会議」を開催し、革命政権を樹立する。
1921年にギリシャを、1923年には連合軍側についたオスマントルコを破り、トルコ共和国を興し、初代大統領に就く。

アタチュルクは大統領になり政教分離、一夫多妻制の廃止、トルコ語のローマ字化等々、近代化政策に取り組んだ。
彼のおかげでトルコはイスラム教の古い慣習から抜け出した近代的な民主主義国家に変わった。
1934年、トルコ国会はアタチュルクに「建国の父」の称号を与えた。そして1938年11月10日イスタンブールで57歳の 生涯を終えた。その偉業を称えた廟と博物館が小高い丘の上に建つ。


門を入ると整備された庭園の中の道を登って行く。トルコ国旗が掲げられ、大きな建物が目に飛び込ん で来る。微動だにしない衛兵に迎えられ、広い広い広場に上ると正面に立派なアタチュルク廟が建つ。
まだ開館したばかりなので人影は少ない。ツナさんの熱の入った説明からもトルコ人にとって、アタチュルクは 尊敬する人であることがよく分かる。
反対側の入口からたくさんの小学生が来た。急いで廟の中に入り参拝する。質素な感じがするが、天井は 金のモザイクで飾られ、アタチュルク大統領の棺が祀られている。静かに頭を垂れる。
出口で小学生の集団と出会う。ギュナイドンと挨拶を交わす。ニコニコと可愛い笑顔で手を振っている。アタチュルク 廟に小学生の頃から参拝し、歴史と建国の精神を学ぶのだろう。
 
花売りとドーナツ売り
広いアタチュルク廟
アタチュルク大統領の棺

子供達と別れて外に出る。次にアタチュルク博物館に向かう。アタチュルク廟の階下に設けられており、撮影禁止だ。 彼の生い立ちから独立戦争による建国までを写真・模型・映像・音響等々、子供も含め誰でもが 理解できるように構成されている。
観光客も居るが、ほとんどはトルコ人の大人や子供達だ。全国民から建国の父が尊敬されていることが よく分かる。日本にこのような人が居るのかと自問する。

集合場所で待っていると日本人のツァーと出会う。阪急トラピックスの15日間コースでこれからは我々と同じコース だ。15日なので日程的には余裕があるスケジュールと聞く。
出口に向かうと温度計が4℃を示している。トルコの内陸部は冷えるのだ。バスに乗ると隣の方が頭の上に 載せて売っていたドーナツを買ってこられ分けていただく。さっぱりした味でgoodだ。
市街地を進み、次のアナトリア考古学博物館に向かう途中、トルコでよく活用されている乗合タクシーがたくさん 停まっている。
 
アタチュルク廟の子供達
寒いアンカラ
乗合タクシー

10:15'バスは丘の上のアナトリア考古学博物館に向かう。

アナトリア考古学博物館
アナトリア考古学博物館はアナトリア文明博物館とも云われ、アナトリアの歴史を伝える世界的な博物館で、旧石器 時代からヒッタイト時代、ギリシャ・ローマ・ビザンチン時代の遺物が時代別に展示されている。

ヒッタイト人は紀元前18世紀頃に古代王国を建国し、紀元前1650年頃ヒッタイト帝国を建設した。ヒッタイト人は人類 史上、最初に鉄製武器を使用した民族だと。


館内に入るとここにもトルコの学生がたくさん居る。カメラを交換しながら写し合う。トルコの子供達は本当に 人懐こく可愛い。

ツナさんは得意分野で詳しく説明してくれる。時代に沿って順次見学する。細かいことは分からないが、 よくこれだけの遺跡を集めたと驚く。全く歴史の宝庫だ。
昔、教科書で見たような朱色の壁画から時代を追い、鉄製器具、青銅の装飾具等々の史跡が集められて いる。ライオン・カバ・オオカミ・クマ・ウシ等、動物をモチーフにしたものも多く、動物と人間の共生が表れている。 何か遥か石器時代に戻った気持ちで博物館を出る。
 
動物の壁画
牛の型の儀式容器
馬車の彫刻

11:30'博物館を出発する。出口でドーナツ売りが居たので買う。2個で1YTLでバスで皆さんと分ける。
アンカラ駅
広いホーム

昼食会場はアンカラ駅の構内のレストランだ。オリエント急行はイスタンブール発だが、アンカラ発もあるとか。チケットも買わずに 広いホームに入る。残念ながら列車は停まっていない。
昼食はサラダ・ニンニク入りの野菜煮込みで美味しい。ビールは6YTLといつもと変わらない。




12:40'サフランボルに向け出発する。アンカラ市内を過ぎる辺りからぐっすりと。バスに乗る時間は長いが、 その間の3割位は眠っているのではないかと思うくらいだ。 目を覚ますと丘陵地帯を進んでいる。高い山は遠くに見えるだけで丘陵が続くトルコだ。

M野さんのアイディアで、トルコについてツナさんへの質問事項をメモで出す。彼が丁寧に答えてくれる。兵役は1年の 義務。ガソリンは高い。女性の地位は高い。女性の選挙権はヨーロッパでも早い方。若者が多いので、老人 福祉は無料。建設中の家が多いのは週末に自分で建てているためで、3-5年かけて建てる。等々 知らないトルコ事情も。彼は40才で小さな子供の写真を携帯電話の待受け画面にしている。

トイレ休憩(14:25-40)の後、丘陵地帯を行くと遠くの山には雪が積もり、丘陵には羊が放牧されている。 曇り空で少し薄暗い。多分始めてのトンネルをくぐり進むと大きな製鉄所が煙を出している。この辺りは 黒海に近いので、鉄を始めとした工業地帯があり、農産物の輸出も盛んだと。
サフランボルの街並み

サフランボルの街を見下ろすフドゥルルックの丘に到着する。
サフランの産地であることから名付けられたサフランボルは、17-19世紀に栄えた谷間に広がる街で、石畳が続く 街並みには当時の木造家屋が数多く残っており、1994年世界遺産に登録されたと。

モスクとハマム(トルコ風呂)が街の中心にあり、レンガ色の屋根と白い壁の小さな家々が建ち並ぶ。
丘の上から見ていると何となく落ち着いた雰囲気で心安らぐ。
バスは一足先にホテルに行き、荷物を降ろしておくそうだ。薄暗くなった石畳の坂道を下ると立派な木造の 建物がある。窓は出窓になっており、人の出入りを見渡すための知恵だと。
向かいの民家に入り見学する。落ち着いた室内には絨毯が敷かれ、白いカーテンが気持良い。天井も木目の 彫り込みがあり優雅な感じがする。
窓からはサフランボルの街並みが望まれる。館の出口で受付の若い女性にサオオールと礼を述べるとにこやかに 笑って見送ってくれる。
 
古い木造の建物
民家の内部
窓からの眺め

石畳の道を歩いて商店街に向かう。小さな店が立ち並び、静かに土産物を売っている。ロクムの試食や ツナさんの馴染のパン屋さんから焼き立てのパンをいただいたりと。日曜日なので国内の観光客も多く、 日本で云う修学旅行と思われる子供達も見かける。
ライトアップした大きなモスクとハマムを見てホテルに進む。M野さんからホテルは民家を改造した所で今までのホテルとは 違って、バスはなくシャワーだけ、押入れの中にトイレがある所もあると云われていた。又、全員が同じ建屋に 泊れないので、分宿となると。

夕食まで自由行動となる。荷物はそのままですぐ外に飛び出す。モスクやハマムの横を通って、先程の小さな 商店街に向かい、小物を買ったりとショッピングを楽しむ。
お土産屋で子供達の集団に会う。日本人と分かるとなんと「イナモト・イナモト」と大声で叫ぶ。サッカーの稲本が 今年からトルコリーグに来ているのでよく知っているのだ。一緒に「イナモト・イナモト」と拍手しながら声援する。
その内に「ジーコ・ジーコ」の声も起こる。監督のジーコも日本の監督を辞めた後トルコに来ているのも 分かっているのだ。次は「ナカムラ・ナカムラ」と。イギリスで活躍する中村も知られているのだ。中田の名前は なかったのは忘れられたのか、知らないのか。
彼等と一緒に写真を撮って、握手を交わしてお別れする。
 
ハマム
商店街
子供達との交流

夕食は別棟の民家風のレストランでサラダ・スープにサジュカブルマと云う肉と野菜の炒め物でビール(6YTL)で美味しく いただく。デザートはプリンだが、日本と違って焼いていない。

民家改造のホテル
狭いシャワー・トイレ
レストランを出る所で入って来る日本人の家族と会い、今晩はと挨拶。少し話すとトルコ在住でサフランボルに 遊びに来られたと。奥さんが高槻出身と聞き握手して別れる。

民家を改造したホテルはこじんまりしていて、トランクを2個開けると一杯だ。壁も薄く隣の声が聞こえる。
トイレ・シャワーは押入れを改造した所ではないようだが、洗面・シャワー・トイレの順番にあるので、シャワーを浴びると トイレに行くのが濡れてしまう。汗もかいていないので、シャワーを浴びるのを諦める。
設備は少し物足りないが、古い民家を改造した趣がある。このような民宿的なホテルもなかなかの ものだ。
狭いベットだが首都のアンカラと小さな街サフランボルの観光を堪能し、子供達との交流を思い出しながらぐっすりと 眠る。




このHPを作成している12/1にローマ法王がイスタンブールを訪問し、ブルーモスク・アヤソフィアに参拝されたニュースが あった。
イスラム批判と取られた発言に対して、友好を深める訪問と思われるが、法王自らがモスクに行くことは 融和に大きな影響を及ぼすだろう。
半月前に行った所の報道で親しみを持つことが出来るのは嬉しい限りだ。

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