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「トルコ大周遊」旅行記

「行程MAP」


○ イスタンブール(11/13)

モーニングコール5時、朝食5時50分から、荷物回収6時、出発7時と今日は早出だ。
風情一杯のホテルでぐっすりと眠り、早めに目覚めたので、まだ暗い中石畳の道を歩いて、モスク近くまで行く。 人通りもなく、冷たい外気が身を引き締める。昨日子供達と交流した場所にも誰も居ない。モスクは ライトアップされて輝いている。ぐるっと廻ってホテルに戻る。

狭い食堂でバイキングの朝食。いつものように美味しくいただく、昨日試食したパン屋のパンがまだ温かく チャイとともにパクパクと。
 
石畳の道
ライトアップされたモスク
カディオール・シェフザデ・サフランボル・ホテル

画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

7時に出発する。今回のツァーは誰の遅刻もなく気持良くスケジュールを消化できるのは嬉しい。天気は下り坂で 心配だ。午前中のバス移動中に雨が降り、午後イスタンブールでの見学時に晴れていれば最高と・・・・。
丘陵地帯
ドライブイン
曇り空の薄暗い道をイスタンブールに向かう。昨日と同じように丘陵地帯を進むと道路脇の所々に人が集まって 迎えの車を待っているようだ。バス停でもないので仲間の車を待っているのだろう。

高速道路に入る。3車線の道が丘陵・平原の中を突き進む。
遠く雲海の中に赤いレンガ屋根の街が沈んで見られる。幻想的な光景だ。一旦、高速道路を降りてドライブインて トイレ休憩(8:55-9:10)となる。

再び高速道路に乗り進む。昨日に続いてツナさんへの質問コーナーとなる。
トルコへの観光客は日本人は4万人、ドイツ人は70万人と日本人はまだまだ少ない。
ツナさんはトルコのトヨタ自動車に勤めていた。トルコ語と日本語は文法的に似ているので、トヨタに勤めるトルコ人は 半年で日本語をしゃべるようになった。

和歌山県串本町のオブジェ 説明→
トルコ人は親日家である。日本の近海でトルコ船が遭難した時、助けられたことに深く感謝していると。
この話を聞いた時、「熊野古道・大辺路」を歩いている時に見たモニュメントを思い出した。当時、なぜ トルコのブルーの目玉がこんな所に飾られているのか疑問を持った。
1890年トルコ使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号は日本との友好交流活動を終えて帰国の途中、熊野灘で暴風雨 に遭い串本沖で遭難する。
負傷したトルコ人は必死に大島に這い上がって助けを求めた。地元の島民は 言葉が通じない彼らを手厚く看護し、蓄えた食料の一切を惜しみなく提供した。
しかし痛ましくも 587名の将兵が殉職。捜索した遺体を樫野崎の丘に埋葬し、生存者69名を無事に故郷へ送還。 そんな献身的な救助活動にトルコ人は心からの感謝を捧げたという。(関西モニュメント探訪より)


こんな所でトルコとの関係があったのだと改めて「熊野古道」を歩いた時を思い出す。

まだまだ質問は続く。
日本で開催されたサッカー・W-CUPでトルコが日本に勝ったが、日本人は勝利を称えて大きな拍手をしてくれた。 欧州では考えられないことで、ますます親日家になった。又、日本人はいつもsmileしているので、 好感を持つと。
トルコの日本語学校はアンカラ・チャナッカレ・カッパドキアにあり、各校25人の生徒がいる。卒業後の就職は難しいと。
トルコから日本へ観光に行きたい人は多いが、値段が高くてNG。このツァーの4倍はかかると。

質問タイムが終わり、イスタンブールへの道を進み、10:50'トイレ休憩。
ここで初めてトルコの違う一面を見た。駐車場で屈伸運動をしていると5-6人の少年がすぐ近くの広場で 遊んでいる。今日は月曜日なのに学校に行かないのかと。その子供達が側にやって来た。見ると裸足で 服もボロボロ。そして、手を出して物乞いをしている。ガードマンがやって来て子供達を追い出した。その 向こうを見るとテントが建ちジプシー的な人が住んでいるようだ。まだまだ貧しい面もあるのだ。

大きな湖を見る。この辺りが1999年のトルコ地震の中心で被害が多かった地域だと。17000人が死亡した 大惨事はよく覚えている。
雨が降り出した。今回の旅行で初めての雨だ。左にマルマラ海が望まれ、大きな船が往来している。 マルマラ海は黒海とはボスフォラス海峡で結び、ダーダネルス海峡でエーゲ海と結ぶトルコの大動脈なのだ。
13:00'小雨降るイカタンブールのトプカプ宮殿に到着する。初めて傘を差して宮殿に向かう。雨の中を黒人の 物売りが傘や絨毯を売っている。
トプカプ宮殿・表敬の門

トプカプ宮殿は1453年にコンスタンチノープルを陥落させたオスマン・トルコのメフメット2世によって1467年に完成した。
総面積70万uの広大な敷地内の建物は、ボスフォラス海峡、金角湾、マルマラ海が接する旧市街の高台に建つ。

トプは「大砲」、カピは「門」の意味を表し、宮殿はオスマン帝国の歴代の君主が居住し、政務を執り行った 行政府であった。現在ではオスマン・トルコ帝国時代の遺物の博物館となっている。
歴代君主の強大な権力を物語る宮殿内には、陶磁器展示室、宝物館、ハレム等がある。


立派な表敬の門が迎えてくれる。宮殿の中央門で16世紀に増設された左右の尖塔が見事だ。
冷たい雨に濡れながら第2庭園の道を進むと第3庭園への幸福の門に至る。ここは昔、白人の宦官が 住んでいたと。
幸福の門の軒下から振り返ると左側に大きな煙突が何本も立つ厨房跡が望まれる。スケールの大きさを 感じてしまう。

昼食予約時間が近付いたので、トプカプ宮殿のボスフォラス海峡に面したレストランに向かう。霧に煙るボスフォラス海峡 には軍艦が浮かんでいる。やはり、ボスフォラス海峡は軍事上、重要な場所なのだ。
サラダ・スープにドネルケバフ(塊肉の串焼き)を少し寒いがビール(6YTL)でいただく。ここでも目の前で肉を切り 落としてくれないのは残念。
 
幸福の門
煙突が立つ厨房跡
ボスフォラス海峡の軍艦

昼食を食べ、元の場所に戻り自由時間となる。宝物館を各自で見学することになる。宝物館は撮影禁止で せっかくの宝物も瞼に焼き付けるだけだ。目玉は86カラットの巨大なダイヤモンドの回りに49個のダイヤが飾ら れている飾りだ。余りにも大き過ぎて有難味が分からない。
トプカプの短剣には見事なエメラルドが埋められ、儀式用の王座には1000個以上のルビー・エメラルド・真珠が埋め られているのを眺める。

中国・日本陶磁器展示室に向かうと宝物館とは違う安らぎを感じる。日頃から見慣れた陶磁器が時代を 追って展示されている。シルクロードや蒙古族の子孫であるトルコとアジアとの交流が良く分かる。
後半に18-19世紀の日本の伊万里焼や有田焼の陶磁器を見ると嬉しくなる。この時代の貴重なものが 遠いトルコに展示されているのだ。

宮殿の中を見学する。ハレムは時間がないので入れなかったが、屋外の東屋から雨で見通しの利かない ボスフォラス海峡を眺める。
室内のタイルはブルーで大変美しい。庭園から雨に濡れる建物を眺めるだけだが、歴史の中に身を置くことに 満足し、宮殿を後にする。
 
謁見の間を望む
ブルータイル
宝物館を望む

バスでグランド・バザールに向かう。バスを降りて進む道も商店がたくさんあり、声をかけられる。 グランド・バザールの正面の門から入る。
グランド・バザールのメイン通り
グランド・バザール
グランド・バザールはメフメッド2世がコンスタイチノーブル陥落後に建築を命じ、1461年に完成した。
4000軒以上もの店が並ぶイスタンブール最大の巨大マーケットで、金銀細工・宝石・トルコ絨毯・皮革製品から 日用品まであらゆるものが揃っている。

ツナさんから説明を受ける。とにかく広いから迷子にならないようにと注意され、メイン通りの28番の店の 前集合で自由時間となる。
店には番号が付けられており、間違いない路地に入る。メイン通りは貴金属店が多いが、路地には 日用品・陶器・土産店・飲食店等がひしめいている。店員から、コンニチハ、1000円、バザールデゴザールと 日本語が飛び交う。

路地をブラブラと散策する。何か記念の品をと物色しているとカラフルだが、品の良い小鉢を見つける。店員は 日本語を話せ、1枚・4YTL(=330円)と。ここから値段交渉を楽しむ。3枚だと・・、5枚だと・・と。5枚で15YTLと。 こちらから5枚で1000円と。10US$ならと云うが1000円で交渉成立。1000円の値打ちは凄いのだ。
時間までグランド・バザールの雰囲気を味わってホテルに向かう。

最終日になる今日のホテルはボスフォラス海峡が見える部屋指定のコンラッド・ホテルだ。入口のセキュリティーは大変厳しく 飛行場と同じだ。部屋割りで長い廊下を歩き、広い部屋に入ると窓からは真っ暗なボスフォラス海峡を 見ることが出来た。対岸のモスクがライトアップされていて幻想的だ。

19:45'今夜はベリーダンスを鑑賞しながらの夕食に出発する。広い会場の正面に舞台があり、放射状に テーブルが並び、ツァー毎に席が決められている。我々の席は後方だったが、ツナさんがレストランの方と交渉し、 正面席に変更させた。凄い力があるのだ。
白い衣装のダンサー
ベリーダンス
ピアノ演奏を聞きながら食事をする。いつものツァーではワインが付いているのだが、水だけでアルコールは自腹だ。 安いツァーなので仕方がないだろうが、う〜ん・・・。
始めは民族ダンスを男女でリズム良く踊る。会場から呼び出され、メンバーの方も楽しげに踊る。全員手拍子で。
次に白い衣装のベリーダンサーが踊る。お腹・腰がよく動くなぁ〜と。終わると客席を廻って写真撮影。 買う気はないが一緒に写す。再び、舞台に戻り客席の男性を物色し、4名の西欧人が舞台へ。
多分、ポーランド人と思われる体格の良い男性がエンターテイナー振りを発揮して、シャツを脱いで踊る・飛ぶ・ 跳ねるとプロかと思うほどだ。会場は爆笑の渦。たいしたものだ。
民族ダンスがあった後、ワイン色の衣装のベリーダンサーが踊る。人によって少し踊り方が違うが凄い腰の振り方だ。 写真を撮るが動きが速くてなかなか上手く写せない。

時間が来たので会場を後にホテルに戻る。チェックを受け部屋に直行。広いのでスーツケース2個を広げて余裕が ある。
昨日のサフランボルではシャワーも浴びれなかったので、バスにたっぷりとお湯を入れてゆっくりと浸かる。気持 良い。バスローブ姿で窓からボスフォラス海峡を眺め、いよいよ明日が最後だと。
フカフカのベットでぐっすり眠る。

今日は半日移動で、トプカプ宮殿は初めての雨の中の見学だった。トルコ名物のグランド・バザールやベリー・ダンスを 見物することが出来た。

イスタンブールの「紀行スライドショー」




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