「行程MAP」 ○ 「出発」(2011.12.04.<日>)・「到着」 (2011.12.05.<月>) 昨年春、中央ヨーロッパで中世の史跡や豊かな自然、人との触れ合いを楽しんだ。ヨーロッパの美しさも魅力的だが、エジプトやトルコのイスラム圏の 風習・史跡も忘れられないものだったので、何処かと考えていた所、旅番組でチュニジア特集があった。チュニジアンブルーの美しさと砂漠の 壮大さ、ローマ時代の遺跡等々、魅力的だったので、旅行先の候補地としてリストアップしていた。 しかし、1月中旬に勃発した「ジャスミン革命」で政情不安になり、ツァーが中止となり、寂しい思いをした。もう、チュニジアへは行けないと 思っていた所、8月半ばに、中止したツァー対象者に再開の案内が来たので、意を決して申し込んだ。政情も落ち着いて来た様子なので、もう 大丈夫だろうと。 このツァーはほとんど前回と同じで、日程的にも楽で、連泊が2都市であるのも嬉しい。また、航空機がエミレーツ航空とドバイ空港で乗換えなので、 以前、余り楽しめなかったドバイ空港の雰囲気を味わえるのも期待したい。 今回の行程を地図で検証する。 チュニジアとエジプトは同じ位の気候だと思っていたが、アフリカ大陸はチュニジア辺りで北にせり上がっているので、エジプトよりは緯度が高く、 首都チュニスは日本の新潟県辺りと同じ位だが、地中海気候で日本よりは暖かい様子なのは有難い。チュニスから南下するので、温暖になると期待し、 サハラ砂漠辺りは寒暖差が厳しそうなのを考慮すれば、良い旅になるだろうと。 10日間の日程だが、スタートが23時40分発のエミレーツ航空なので20分だけの1日で、実質は9日間になる。 前日にスーツケースを宅急便で送る。宅急便が無事空港に到着していることを確認し、安心して出発する。 17時過ぎに家を出て、駅前でうどんを食べようとするも、臨時休業なので、五目ソバを食べ、JR大阪駅のクリスマス・イルミネーションを眺めて関空へ向かう。 スーツケースを受け取り、集合時間前だが受付窓口に行くと添乗員の下江邦仁さんが居られご挨拶。ベテランらしく実直そうな方で、11月のツァー予定が 成立せず、革命後初めてのツァーの添乗員としては最適だろうと安心する。 空港税+燃油料は事前に支払っているが、燃油代が35000円とは痛い。そろそろ何とかしてもらいたいものだ。 受付手続きを終えて、時間があるので、マクドで時間を潰す。両替はしないが、80.57円/$、108.46円/ユーロを確認し、出国手続きをして中に入るが、 時間が遅いので免税店も1店が開いているだけで、ラウンジも閉まっている。24時間空港を名乗るのならこの辺りの改善も必要かと。 エミレーツ航空・EK317便はB777機種の3-4-3席で、各席に大きな液晶モニターが付き、洒落た小袋に入った靴下・アイマスク・歯磨きセットが配られる。 客室乗務員の服装もアラビア風で態度も気持ち良く、さすが5つ星Airlineだけのことはある。 ドバイとの時差5時間に合わせる。離陸してしばらくすると夕食の準備が始まる。真夜中の食事だが、ドバイのビールがあるかと聞くが通じず、 ハイネケンビールorサッポロ黒ビールの選択で、サッポロ黒で旅の安全を願って乾杯。 夕食は魚(カワハギ)と焼き鳥を頼み、白ワインで美味しくいただく。エミレーツ航空の食器は三角形で面白い形状だ。お盆に載せやすいのだろう。 食事が終わり、消灯されると通路の天井が星空に代わる。これもエミレーツの売りの一つだ。なかなかきれいのだが、小生のカメラでは上手く 写せないのは残念だ。 飛行航路は四国沖→鹿児島→台湾→フィリピン→バンコク→インド洋→ムンバイと進んで行くのをモニターで楽しむ。 大きなモニターで映画を楽しむ。日本の映画も多く、日頃見ない邦画の中から、「阪急電車・・」と「プリンセス・トヨトミ」を観賞し、ウトウトしたりと 機内の退屈な時間を潰す。それなりに睡眠を取ったが、4時頃から朝食が始まり、和食と洋食を頼むが、空腹感も少なく、余り食欲はない。 定刻より少し前に約11時間の飛行を終え、ドバイ着陸し、出口で全員集合する。総勢29名のメンバーは、夫婦7組、男女3人グループ、男子4名、 女子8名と1人参加が多い。革命後初めてのツァーは旅慣れた方が多そうだ。 広いドバイ空港の中央付近を集合場所として、自由時間となる。以前、イタリア旅行の時、トランジットで少し立ち寄り、興味深い空港の記憶があり、 立ち寄ることを楽しみにしていた。関空と違って人が多いのに驚く。色々な人種が、色々な服装をして、ラッシュ並みに行き交っている。 売店もたくさん立ち並び、帰りに寄った時の土産を確認して置く。 前回確認したヤシ並木を探して眺めるが、前より短くなったと思ったのは間違いだろうか? チュニス行きの荷物チェックは厳しくて、ベルトも外され時間がかかる。アラブ系の人は荷物が多くて、機内の棚に収まり切らず、出発時間が 遅れる程だ。 9時5分発のEK747便は約15分遅れで出発する。A330機種の2-4-2席で、窓際に座ることが出来、ドバイ市街の様子も眺められる。 チュニジア時間に合わすべく、3時間早める。日本とは8時間の時差があるのだ。 砂漠の中の空港から離陸すると砂に囲まれた街並みが眺められ、高速道路が縦横に発達しているのが良く分かる。 超高層ホテルは見ることが出来なかったが、海岸付近には高層ビルが立ち並びお金持ちの国だと改めて認識できる。 海岸線に沿って北上すると、青い海の中にヨットハーバーか港なのか分からないが、波止場のような突堤が幾何学模様に海に突き出しているのは 美しい。しかし、砂漠・海に囲まれた金持ちの国アラブ首長国連邦のには緑が見られない。 この機種には航路モニターが付いていないので、外の景色を見ながら推測するしかない。 アラブ人の男性は席を移動して、立ったままで会話が弾む。後で見る、街中の光景が機内から始まっているようだ。 10時30分頃から、2回目の朝食が始まる。メニューには日本語が無くなり、英語とアラビア語になり、マトンボールと魚を頼み、ハイネケンで乾杯し、白ワインを 楽しむ。マトンも癖がなく美味しかった。 航路は砂漠の中を進み、道が付いているようで、その先に砂に囲まれた町が存在しているのが見える。生活するにも大変な場所だと 想像出来る、砂漠のど真ん中の町だ。 飛行機は砂漠を抜けて、トルコの山岳地帯を抜けて地中海に出たようだ。モニターがないので確認出来ないのが残念だ。ひょっとすれば、ピラミッドが 見られるのではと期待したが駄目だった。雲間に入っている間にウトウトと眠る。 やがて、チュニジアの陸地が現れ、着陸態勢に入って行くと、田園風景が広がり、四角い建物が集まる街並みも見えて来る。チェニス空港には10分 遅れて13時05分到着する。着陸が上手だったので、アラブ人からは拍手が沸く。こんな習慣もあるのだと。無事、7時間の飛行を終え、 もう日本時間は夜の9時になっていると確認する集合して24時間経ったのだ。 入国申請書は機内で添乗員の手引きを見本に書いていたので、入国審査の列に並ぶが、チェックが遅く、40分位掛かるのには参ってしまう。 荷物もアラブ人の荷物が多くて、なかなか出て来ず、やっとのことで出て来たのが、14時30分と到着後1.5時間も経っているのだ。 両替所でチュニジア・ディナール(D)に換える。旅行記なのでは60円/Dだったが、円高の現在は約55円と有利になっている。1Dが60円と 考えておけば良いと。 全員集合して、迎えのバスに向かう。 ◎出発〜入国「紀行スライドショー」 ○ 第2日目・チュニス〜ケロアン(2011.12.05.<月>) チュニス空港の外に出ると大阪に比べると暖かい。19℃と同じ位だが、真っ青な空が暖かく見せてくれる。 車窓からみる光景も平穏な状況なので、ツァーの行程に合わせて楽しもうと。 今回は全てバス移動で、ドライバーのタヘルさんと可愛い現地ガイドのナベブさんを紹介され、拍手でこれからの案内をお願いする。女性ガイドは 日本語はダメで、英語ガイドを下江さんが翻訳することになる。 早速、行程変更が伝えられる。到着が遅れ、日没も早いので、予定のドゥッガ観光が日没になってしまうので、今日はチュニス観光に変更し、 後日、ドゥッガ観光を行うと。 バスはチュニス市街に向かう。車も多く、建物もそれなりに風格があるものが多く、エジプトで感じた様子とは大分違いヨーロッパ色が残っている。 青空の下、市庁舎や名前を忘れた建物を進むと、八角形の「シディ・ユセフ・モスク」のミナレットがそびえている。1616年に造られたトルコスタイルのモスクで、 グリーンの屋根とバルコニーは後世の建築家の手本になったと。 道の前方に立派な「グランドモスク」ののミナレットが望まれる。「オリーブの木のモスク」と云われ、次に行くケロアンのグランドモスクに次ぐ、チュニジア第2番目の 古いモスクだと。 道端でアラブ特有の水タバコを吸っている男性も いて、店の様子を見ながら進む。 やがて、フランス門が建つ広場に出て、ここで30分余りの自由行動になる。道に迷わないよう注意され、 元来た道の土産物屋を冷やかす。ブルーの扉の鏡をいくらだと聞くと40Dだと。15Dにと交渉すると30Dだと。ダメだと帰りかけると25D、23Dと 下げて来るが、そのままバイバイする。云い値の半分は下げられそうだ。 近くのスーパーマーケットに行き、水を買うことにする。1.5リットルの水が0.48D(30円以下)と安い。デーツ(ナツメヤシの実)も安いのに驚く。 16時30分に集合し、バスの待つ所まで、チュニス一番のメインストリートであるハビブ・ブルギバ通りを進む。 真ん中が遊歩道になっていて、歩道にはカフェのテーブルが並べられているが、まだ人は座っていない。 チュニスに戻って来た時に泊まる「ホテル・アフリカ」が夕暮れ迫る青空の中にそびえ建っている。 路面電車も走り、とてもアフリカとは思えない光景に驚く。少し進むと噴水に囲まれた「時計台」が堂々と建っているのもヨーロッパ的だ。 しかし、信号無視はエジプトと同じ位で、気を付けなければならないと。
17時にバスに乗り、ケロアンに向けて進む。チュニスの郊外に出ると薄暗闇の中に荒涼たる光景が広がる。高速道路に乗り、周囲の景色が暗闇で 見えなくなると添乗員の下江さんのお話が佳境になる。 バスがスタートすると共に話が始まり、その話は四方八方に飛ぶので、バスの中は笑い声で満たされる。受付の時の実直そうな印象は見事外れ、 チュニジアの歴史の詳しさ、イスラム文化への造詣、数多い添乗員経験等々から、親父ギャグが入って、予断を許さない話振りに眠る暇もない位だ。 鹿児島県指宿出身、サッカー少年、鼻血、世界貧乏旅行・・・と生い立ちも入り交じり、再開第一回目の添乗員としては申し分ない方だと 納得する。(旅の後半での話では、「地球の歩き方・チュニジア編」の文章も、彼の解説が多く用いられていると) 18時過ぎに「ケロアン・コンチネンタルホテル」に到着する。 我々の部屋番号がなく迷い、フロントに確認すると改装中の部屋で 番号が無く、入って荷物を待つ間に何気なくロック状態を調べる。自動ロックだが、外から開くのに驚き、添乗員に云って部屋を変えてもらう。 後から行った都市のホテルもそうだったが、クリスマス休暇にヨーロッパからの観光客が多いので、その準備に改装しているホテルが多いようだ。 19時から食堂で初めての夕食となる。スープ・サラダ・鶏肉のコース料理だ。ビールは小瓶で5D=300円と少し高いが仕方ない。ビールで乾杯し、 長旅の疲れを癒す。ビールもまあまあ、料理もこんなものかと美味しくいただく。 新しい部屋に戻り、シャワーを浴びる。今回のホテルは全て固定シャワーではなく、手持ちシャワーだったので使い易かった。 22時にぐっすりと眠る。 ◎「チュニス〜ケロアン」の「紀行スライドショー」
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