「行程MAP」 ○ 「ドゥッガ観光」(2011.12.11.<日>) 6時モーニングコール、6時30分朝食、7時30分出発の予定だが、連泊なので気分的には楽だ。ツァーの初日に行く予定だったドゥッガに行くために 少し早目の出発となる。 5時半頃に目覚めて、6時前からホテルの外に散策に出る。街の中なので、星が見えないが、どうも曇っているようで、余り寒くはない。 ホテルの並びに政府機関の内務省があるが、その前には鉄条網が 張られて、銃を持つ兵士がカメラを向けるとダメとゼスチャーで威嚇している。 少し離れた所から、前に停まっている装甲車をパチリと。 革命が一段落したようだが、まだ不満分子の暴動への警戒のようだ。 その一角を過ぎると夜明け前の静かなチュニスの街並みが続く。広いハビブ・ブルバギ通りは真ん中に遊歩道があり、その正面にロンドンのビッグ・ベンに 似せた時計台が輝いている。 街灯も明るく、歩道にはカフェのテーブルが並べられ、早朝なのにお茶を飲んでいるカップルもいる。とても、横に装甲車が停まってるとは思えない 光景だ。もう平穏なチュニスなのが良く分かる。 部屋に戻り、少し早目にレストランに向かう。バイキングの朝食は、さすが5つ星ホテルの品揃えと味でしっかりといただく。デザートの果物置場には、 枝に付いてデーツ(ナツメヤシ)も置かれている。チュニジア名物なのが良く分かる。 約100km、2時間余りかかるとのことで、ゆっくりと車窓からの景観を楽しむ。南では荒涼とした原野が広がっていたが、ここチェニス近辺は 緑の平野や山が見え、所々には牛・羊が放牧されている。 小さな集落を通ると、何処の場所でも暇そうな男性群がお茶をしている。この光景はアラブ・イスラム圏では当たり前の光景なのだ。 曇っているので、今まで見ていた空の色と違うのが残念だ。 ◎「チュニス〜ドゥンガ」の「紀行スライドショー」 約100kmある道中は、下江さんの弁舌が冴え渡る。その中で、面白かった話として、ローマ帝国が征服した都市には2つの特徴がある。 ドゥッガは北アフリカ最大の規模でかつ保存状態が最良のローマ遺跡。4世紀頃繁栄し、その当時は1万人の リビア人・フェニキア人・ローマ人たちが共存して住んでいたという。しかしその後ローマ帝国の衰退と共にドゥッガの町も衰退し、 この遺跡が発掘された時は、遺跡の上にアラブ人が暮らしていたという。標高600mの小高い丘の頂上に古代ローマの町並みが形成されていると。 平原の中の小高い丘に上って行く。バス駐車場は我々のグループだけで、貸切で見学出来そうだ。 撮影料1D(60円)を支払い、イヤホーンを付けて 遺跡の中に進むと眼前にローマで見たのと同じような遺跡が広がっている。 広い丘の上一帯がローマ遺跡が点在と云うより集中して残っている。 丘の上で青空であれば、遺跡がより一段と映えるのだが、曇天なのは残念だ。 遺跡に入ると直ぐに建物の柱が立ち、中に入ると丘の斜面を利用した19段の劇場が迎えてくれる。高さは15mあるそうだ。 遺跡の中を巡って行くと首のない彫刻像が残っている。ゲルマン人が頭部を破壊したと。 目の前に立派な建物が現れて来る。キャピトルと呼ばれる神殿が堂々と建っている。 保存状態が良く、柱や梁の彫刻が鮮やかに残っているのは嬉しい。 フォルムと呼ばれる広場に向かう。当時は35本の円柱で囲まれていたが、今は頭部を残すのみとなっている。その遺跡の片隅で、現地の労働者が モザイクの修復作業をゆっくりとしている。原住民の働く場所として、草刈りや遺跡の道の補修とたくさんの人が働いていた。 以前、「イタリア旅行」でローマのフォロ・ロマーノを訪れた時、その遺跡の発掘状態に 驚いたが、ここドッゥガの遺跡も遜色ない。特に、丘の上で広々としている点はローマ以上だとも思った。 遺跡の中をイヤホーンを通しての説明を聞きながら歩き廻る。広いので結構な距離のように感じる。 遺跡から出てオリーブ畑の中を進むとカエレスティス神殿の立派な円柱と梁が望まれ、近くには井戸の跡や貯水池と結ぶ水道跡が残っている。 緑のオリーブ畑の茂みに残る遺跡は新鮮な感じがする。 オリーブ畑の一角から貯水池に向かう地下道もあり、アレクサンデル・セヴェルスの凱旋門をくぐって進むと視界が開け、遺跡の群れが続いている。 遠くに初めに見学したキャピトルも望むことが出来、ぐるっと一周しているのだ。丘の中腹に緑の森に囲まれたリビコ・ブュニック廟が見られる。 この史跡はローマ時代以前の史跡で、高さが21mあると。 レンガの壁に囲まれ、円柱も立ち、浴場と小部屋も設けられているようだ。 床のモザイクも鮮やかに残っており、当時の浴場が社交場としても活用された様子も想像出来る。アーチ状になった入口からはキャピトルの建物も 望むことが出来、絶好のカメラスポットだ。 広い遺跡跡には、面白い遺跡も残っている。当時の売春宿も小部屋のレイアウトも含め、しっかりと分かる。 また、「トルコ旅行」のパムッカレ遺跡でも見た公衆トイレ跡も同じように残っていて、 古代ローマ時代から水洗トイレだったのだろうかと。モザイクも一部で残っていて、文化が良く分かる。 ぐるっと遺跡を一周して、もう一度見事に遺跡を振り返り、反芻しながら満足感に満たされる。 ◎「ドゥッガ観光」の「紀行スライドショー」 ○ 「チュニス観光」 14時40分、3時間余りの充実したドゥッガ遺跡の観光を終え、昼食のため、チュニス方面に戻る。 ローマ時代の遺跡が、ローマ以上に保存されているのに驚き、貸切状態で見学で来た満足感で空腹も忘れる位だ。車窓から、道路に面して 果物を売る店が点在する光景や緑の平原を見ながら、高速道路に乗って進む。 気が付くとチュニス空港の横を通過して海岸に向かっている。 昼食は海岸沿いの小洒落たレストランで魚のグリルを白ワイン(15D=900円)で美味しくいただく。食事が何処でも口に合うのは嬉しい。 昼食後、近くの海岸を散策していると子供連れの女性と身振り手振りで話す機会があり、この間の失敗から鞄に入れていた紙風船を 子供にあげると不思議そうに眺め、空気を入れてポンポンと突くと大喜びだ。お母さんも初めて見るおもちゃに感謝しておられた。 紙風船は現地の子供と接する小道具としては最適だと改めて思った次第だ。 途中の丘の上に立派な邸宅が建ち、これが大統領官邸だと。革命当時は警戒厳重だったそうだ。 バスの中では、下江添乗員からバルドー博物館の内容について詳しく説明を受ける。 バルドー博物館は「チュニジアのルーブル美術館」と云われる北アフリカ最大の規模の博物館。 ここはモザイク美術の宝庫で、かつてチュニジアがカルタゴ・ローマ時代に栄えていたころの遺跡から出土したモザイクなどが多数展示されている。 ギリシャ神話に出てくる神様たちのモザイクや彫刻が多く、3階に分けられて展示されている。 バスの駐車場から博物館の建屋を見ると、とても博物館とは思えない殺風景な倉庫の様な建物で、そんなに貴重なモザイク画が展示されているのかと 疑う程だ。 ガイドから撮影禁止と云われ、カメラを鞄に入れて入場する。 ガイドの説明を聞きながら見事なモザイク画を観賞する。大小のモザイク画が3フロアに別れて展示されている。一部工事中の場所もあったが、遺跡の 中で見るモザイクと違った趣がある。 しかし、説明を聞き、モザイク画を脳裏に焼き付けていても、HP作成時には忘れてしまう。何とか画像を掲載しようと サイトで検索すると4月に行かれた方は撮影されているのが分かり、メールで写真の借用をお願いし、 了解をいただいたので、その画像を活用させていただく。感謝!!
内容の説明と個々のモザイク画の名前は忘れてしまったが、モザイク画が一堂に集められているのは凄いと思いながら50分程度の見学を終える。 (後の自由時間を取るために、見学時間を短縮したのでは。そのため、撮影禁止としたのかも知れない?) 最後のチュニジア・チュニスを楽しもうと、もう一度メディナ方面にブラブラと散策する。 途中にスペインのZARAが出店しているので、立ち寄る。日本のユニクロと同じようなファストファッションの世界的有名店だそうで、若い人でいっぱいだ。 日本でも立ち寄ったことのない店にチュニジアで訪れるとは。 日曜日で人通りの多い歩道をメディナに向かうとカップルが手を繋ぎ、楽しげに歩いている。女性はベールも被っていないので、フランス的な街路樹 ・遊歩道に溶け込んでいるとヨーロッパかと思う程だ。革命の傷痕は全く見当たらない。 遊歩道の反対側にはライトアップされた大聖堂が輝いている。 時々、「こんにちわ」と声をかけられたりとフレンドリーな人たちと交流しながら、 メディナの入口になるフランス門に行く。ここもライトアップされ、昼間の雑然とした雰囲気を隠して、史跡としての貫禄を示している。 メディナの中に進もうかとも思ったが、閉まっている店も多いようで、用心のためホテルに戻ることにする。 歩道に張り出したカフェには、男性のグループが多いが、所々カップルも楽しげに語らっている。年初のツァー中止で心配していたが、平穏な街の光景に 安堵する。 ◎「チュニス観光」の「紀行スライドショー」 19時からチュニジア最後の夕食となる。親しくなったT夫妻、Iさんと同席でバイキングの料理をいただく。ワインとビールで乾杯し、楽しかった チュニジア旅行を思い起こしながら、話題が尽きることなく話し合う。 明日の最後の行程を楽しみましょうとお開きにし、部屋に戻り、荷物の整理に励む。結構、荷物が増えたので、バランス良く分けて、22時頃 休む。
|