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「砂漠と遺跡の地中海リゾート・チュニジア 10日間」旅行記

「行程MAP」


○ 「ナブール観光」(2011.12.10.<土>)

6時15分モーニングコール、7時朝食・荷物出し、8時30分出発の予定を示されていたが、少し早目に食事が出来るようだ。 夜中に目覚めてテレビを点けると、ユーロ問題はまだ混乱しているようで、ゴルフのドバイ・オープンを放映していた。残念ながら石川遼君のことは 触れられず、同年代のマキロイが映っている。遼君の雄姿も海外のテレビで見たいものだ。
夜明け前
日の出の始まり
早目に起き上がり、荷物の部屋の外に出し、6時40分頃に レストランに行く。開いていたので簡単な朝食を食べ始めているとTさんも来られ、朝食を食べる。
早々に朝食を終え、2人で中庭を抜けて海岸に向かう。まだ日の出までは時間がありそうだが、夜明け前の輝きが地中海の海、 空を染めている。
温かい服装で来たが、風もなくそんなに冷たくはないのは有難い。今か今かと日の出を待っていると、一点が明るく輝き、小さな○が 現れて来た。太陽だ!!
一人旅のIさん、もう一人女性も来られて、地中海の日の出を観賞する。素晴らしい。
太陽が昇るに連れて、地中海の海面に光の帯が輝いて来る。朝日を背景に記念撮影をしてもらう。(今年の年賀状に使わせてもらった)
茜色の空と光の帯が輝く地中海の光景を堪能する。今後、地中海の日の出は見られないだろうと思いながら。30分以上、海岸で素晴らしい パノラマを満喫しているとさすが、体か冷えて来たので、ホテルに戻る。途中の中庭には可愛いゴミ箱が設けられているのも面白い。
地中海の日の出
朝日を背に万歳
輝く光の帯 ゴミ箱

画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

レストランに戻り、妻とTさん夫人が食べている所に合流して、ディジカメの画像を見せながら、日の出の美しさを語る。砂漠の日の出と地中海の 日の出を堪能出来たことは、本当にラッキーだった。
軽くコーヒーを飲み、部屋に戻り、出発の準備をする。日の出の時は晴れていたが、外に出ると青空は見えず、初めての曇り空だ。
8時、全員揃って、現地ガイドの「幸せですか」の挨拶で出発する。これまでの殺伐とした荒野ではなく、緑豊かな光景が続く。 チュニジアの国土は色んな顔を持っているのだ。 途中、ドライブインで休憩すると、朝食を食べる現地の人が多い。外食が主流なのだろう。
バスの車窓からは屋台の果物・野菜屋のカラフルな品揃えが目を楽しませてくれる。車窓からの景色ウォッチも面白い。途中、珍しく信号機を 見たりしながら、陶器の町・ナブールに向かう。
緑の多い平原
ドライブイン風景
路上の果物屋

下江さんの名解説が今朝も始まる。
ナブールの陶器のモニュメント
陶器店
店の前の壺 前の飾り
ナブールは陶器の名産地として有名で、その起源はバビロニアと古い歴史を持つ。17世紀、スペインからアンダルシア人が定住し、 緑・黄色のうわ薬を使った陶器作りの技術を伝えたと。
町の中の陶器店に案内される。通りの両側に陶器店が並ぶのを見ると、陶器の街なのが認識できる。
店は窓枠がブルーのチュニジアン・ブルーで彩られ、前には壺が飾られ、雰囲気は抜群だ。
店の中は高級な陶器から、手頃な値段のものまで、カラフルな陶器が陳列されている。タジン鍋も色々な形のものがあり、皿も豊富だ。
奥ではご主人がロクロを回して陶器造りの実演をされ、横では奥さん(?)が皿に絵入れをしておられる。
自由時間になり、珍しい陶器を品定めし、数点買い求め、少しサービスもしてもらい、ドルで支払う。良い記念の品になった。
再びバスに乗り、ナブールの町のシンボルとなっている陶器のモニュメントの見学に向かう。写真タイムで少し下車して、オレンジ満載のモニュメントをパチリと。 車窓からオレンジ並木を眺める。町の街路樹がオレンジなのは凄いと思い、その果実はそのまま食べるのは酸っぱいので、ママレードに利用される のだそうだ。
途中の集落を通る時に何処の集落でも見られる、男同士の茶会の前で停まったのでパチリと。
イスラムでは男性がたくさん集まり、昼間からティーを飲む姿が何処でも普通に見られる。お酒でもないのに、よく時間が潰せるなぁと思うのは 呑み助だけだろうか。その時、女性たちはどうしているのだろう?
店の中の陶器
絵入れする婦人 ご主人
男同士のティーパーティー オレンジ並木


◎「ナブール観光」の「紀行スライドショー」



○ 「ケルクアン観光」

ナブールからボン岬に向かって、次の目的地ケルクアンに向かう。
ケルクアン遺跡
右側に地中海を見ながら快適に進むが、昨日までのように青空が見られず、地中海も紺碧ではなく、灰色に見えるのは残念だ。
世界遺産「ケルクアン遺跡」について、添乗員下江さんの解説は熱を帯びる。
ケルクアンは、ボン岬の近くにあったカルタゴの都市で、このフェニキア人の都市は、第一次ポエニ戦争(BC264-BC241)の間に 放棄されたと見られており、ローマ人によって再建されず、ほぼ400年間そのまま存在した。
一部分しか破壊されなかったので、ケルクアン遺跡は古代のカルタゴの最良の遺跡である。
発掘の結果、この遺跡が、紀元前4世紀から紀元前3世紀のものであることが明らかになっていると。

12時に地中海を望む高台にある「ケルクアン遺跡」に到着し、バスを降りる。
遺跡の中に進むが、建物はなく、土台の石組が残るのみで、400年前そのままが残っているようだ。
他の遺跡はその上にローマ人が建物を 建てたりして、面影が残っていないが、その侵略がなかったので、カルタゴ時代の遺跡として保存されているのだと。
公衆浴場の跡、貯水槽、モザイク模様の床7、円柱等々史跡を巡って歩く。ガイドが少し話すと10倍位の量を下江さんが説明する方式には慣れて来て いるが、細かい歴史も詳しく知っておられることに驚く。
浴室
広い邸宅 石組の基礎
柱の遺跡

モザイクの床とタニトの印
モザイクの床に「タニトの印(○−△の印)」が描かれている。
「タニトの印」は古代フェニキア人が崇拝していた女神「タニト」を表すマークである。
タニト神は天と豊穣の神とされており、文献によれば、古代フェニキアでは、このタニト神に対して生きた幼児の首を切り、火中に投じるという形で の生贄をささげる風習があったという説もあると。

何となく可愛いマークなのに、恐ろしい言い伝えがあるのには驚き、地中海と遺跡のコントラストを眺めながら進む。
ここで青空があれば、 もっと素晴らしい光景だと思いながら。
自由時間があり、遺跡の見落とした部分や地中海の潮風を味わい、集合場所の入口に向かう。
入口には、地元の学生たちが、先生に引率されて遺跡の説明を受け、 見学をするようだ。今まで我々ツァーの独占だった遺跡で初めて他の団体と出会ったように思う。
入口の横にある博物館の見学に向かう。
博物館には遺跡から発掘したカルタゴ時代の貴重な品々が展示されている。個々の内容は覚えられていないが、400年前の珍しい図柄の陶器や 彫刻を眺める。
博物館 遺跡見取り図
壁画 ペガサス?
女神像
タニトの印
女神


◎「ケルクアン観光」の「紀行スライドショー」



○ 「ボーン岬〜チュニス」

1時間弱の見学を終え、12時50分、昼食のボーン岬のレストランに向けて出発する。
地中海の見えるテーブル
地中海の小島 レストラン
地中海に飛び出たボーン岬からはイタリアのシシリア島が見える程の36kmの距離だそうで、車窓から、少し霞みのかかった地中海を眺めるが、 その島影を確認することが出来ない中にレストランに到着する。
岬の海岸に面した立地条件の良い場所で、海の見える席に座り、魚介類を煮込んだオジャとのことで、白ワイン(ハーフボトル5D=300円)で乾杯する。
サラダにはイカやカニが入りなかなか美味しく、オジャもgoodだ。
食後は自由時間となり、穏やかな地中海の海岸の岩場に出て、遥かなるイタリアを望むが、そのシシリア島の姿は見えない。向こう側に見える 岬には風力発電用の風車が並んでいる。
海岸の一角に難破船に模した船が飾られ、地中海の風情を演出している。自然と人工の建造物が調和した穏やかな光景の中に身を置いて 地中海の潮風を胸一杯吸い込む。
海鮮サラダ オジャ
遥かシシリア島 風車
難破船

14時30分、今日の宿泊地であるチュニスに向かう。チュニスを出発してから、早くも5日間も経っているのだ。
風力発電
サッカー場
現地ガイドのナベブさんが、下江さんに教わった日本語の歌を披露する。
「幸せなら、手を叩こ」と歌うとメンバー全員がパチパチと手を叩く。その一致した拍手に、彼女はびっくり。同じことを数回繰り返し、 彼女は日本人の代表的な歌を理解したようだ。
初めての日本人ツァーのガイドとしてたくさんのことを教えてもらい、次のツァーに活かして行くことを期待したいものだ。
バスは先程見た風力発電の風車の傍を通り、緑いっぱいの草原を縫って進むと大きなサッカー場が見えて来る。
チュニジアと日本代表との試合は 確か、日韓W-CUPで対戦し、勝ったと思う。男性陣がゆっくりとお茶を飲みながら談笑しているノンビリ・ムードの国なのに、サッカーへの熱は 激しい国なのだ。

しばらく進むと前方に水道橋の赤茶けた遺跡が現れ、下車見学する。
水道橋の水路
この水道橋は、2世紀ローマ皇帝ハドリアヌス帝時代に造られた世界最大級の水道橋で、水源のザグアンから地中海に面した カルタゴまで全長132kmもあり、現在残る部分だけでも20kmもあると。
今まで、水道橋はイタリア・トルコで見たが、バスの車窓から見るだけで、初めて近くで見ることが出来た。凄い大きく立派なものに驚く。
所々は崩れているが、視野に入る範囲は延々と構造物が続いている。崩れた断面を見ると水が通る道がはっきりと分かり、当時の 土木技術の発展度合いが分かる。感激した遺跡の一つだ。目の前に道路標識があったので、アラビア語の標識を写しておく。
長い水道橋
レンガ積みの水道橋 道路標識














夕暮れが迫る中、最終宿泊地のチュニスに進む。
チュニスの市街地に近付くと街灯も明るく、ネオンも輝き、今までの都市とは違った雰囲気だ。
洒落たレストラン
ショルバ
今夜の夕食はレストランと云うことで、バスでレストランの前まで行き、洒落たレストランに案内される。今回が日本からの初めてのツァー客と云うことで 従業員の方も笑顔で出迎えて下さる。観光産業は革命騒動で、大打撃を受けていたのだろうと思いながらテーブルに座り、ビール(5D=300円)で 乾杯し、スープから始まる魚介類がたっぷり入ったショルバをいただく。なかなかの味に満足する。全体にチュニジア料理は違和感もなく美味しく 食べられ満足した。
食事を終え、20時前に5つ星ホテルであるアフリカ・エル・ムラディに到着し、部屋に向かう。13階の見晴らしの良い広い部屋で、バスも広く、さすが 5つ星ホテルだと満足する。 明日は連泊なので、荷物の整理もしなくて済むのは有難い。ゆっくりとバスに浸かって疲れを癒し、ぐっすりと眠る。

◎「ボーン岬〜チュニス」の「紀行スライドショー」


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