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○ 「中山道No19」見聞録(松井田宿〜深谷宿)・(距離 50.5km(今回)/ 455.6km(累計)/ 77.4km(残距離)

前回まで
今回
残距離


19−7.(10)本庄宿〜(9)深谷宿・(10.6km) 2012.03.08 14:30〜17:40 曇り時々晴れ


中山道全行程.Map
「本庄宿〜深谷宿・行程MAP」

地図の左下の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(夢街道HPより)

昨日からの歩行で、少し足に疲れが感じられるが、スピードを落としてゆっくりと真っ直ぐな県道を進む。道幅も広く住宅街が続く旧街道は またまた国道17号線と交差して直進すると道幅も狭くなり、田園風景が広がり、元小山川を渡る。
新泉橋をを渡り、しばらく行くと四つ角に至る。この辺りに「天王様」と称する祠があるらしいが、分からず右折して田舎の家が建つ 旧街道を進むと左に内野歯科の「長屋門」の古い民家を見て、のどかな道を進む。
畑が広がり、久し振りに田舎道を楽しみながら歩む。この辺りから赤城山の山並みが見えるらしいが、曇っていて見えないのは残念だ。 左に祠と石仏が並んで祀られている。田舎道に「賽神・庚申塔」が祀られている旧街道の雰囲気が嬉しい。

元小山川

内野歯科の長屋門

賽神・庚申塔


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

車も走らない田舎道はうねうねと続き、郵便局の前には「小川家長屋門」が建つが、白壁が落ちて侘しい感じがする。その先には「宝殊寺」の 長い参道屋「牧西八幡大明神」の鳥居を見て進む。
藤田小学校を過ぎ田舎道を進むと前に県道が見える手前の細い道を右に入り、県道の下をトンネルで抜けるのだが、その細道を見落とし、 戻って確認して進むと階段があり、そこには懐かしい「中山道道標」が掛けられている。

小川家長屋門

宝殊寺 牧西八幡大明神

県道の下をトンネル


トンネルを抜けると一面に畑が広がり、誰も居ない1本道を進むと集落の中に入り、小山川の滝岡橋を渡る。川では何か釣っている人がいるが 声を掛けても返事がない。
橋を渡り直進すると何度目かの国道17号線と交差する。信号を渡ると有難い「道標」が細い道を進むようにと誘導してくれる。小高い丘への 坂を上る途中に「百庚申と八坂神社」が祀られている。庚申塔のほとんどは,万延元年(1860)の庚申の年に有志13人によって造られたと。 今回の紀行では庚申塔が多く、西で多かった馬頭観音に変わって,道端に祀られているようだ。
豊見坂を上り、下った角に東から来る人には見易い「百庚申案内板」が掲げられている。案内に従い、左に曲がり真っ直ぐに進む。

一面の畑 滝岡橋

道標

百庚申と八坂神社 説明


真っ直ぐに進み、広い県道を交叉する角に「島護産泰神社」の鳥居を見て歩むと国道17号線に合流し、そのままトラックが走る国道を歩く ことになる。歩道があるので助かるが、疲れ始めた足にはきつい行程となる。
普済寺交叉点の角には「馬頭観音」碑が他の石碑とともに祀られている。「庚申塔」が多く、「馬頭観音」がないと思っていたが、 関東圏にも存在していることを確認する。
「岡部神社」の参道と鳥居を確認して、 岡部北交叉点から右に入り「岡部陣屋跡」を探す。少し迷ったが、「岡部陣屋跡」と「高島秋帆幽閉地跡」の碑が立っている。 高島秋帆は幕末の砲術家,洋式兵学者で、日本最初の洋式砲術演習を行った。しかし、蘭学を嫌っていた幕府町奉行によって 天保13年謀反の罪を着せられ,投獄された人だと。

島護産泰神社

馬頭観音碑 岡部神社

岡部陣屋跡と高島秋帆幽閉地跡 説明


西の常夜燈 説明

騒々しい国道歩きにうんざりしながら進んでいると「漬物屋」の看板がたくさん見られるが、工場で販売はしていないようだ。土産に 買いたいと思いながら歩いたが、販売店は見つからなかった。
左に旧街道が分かれ、再び国道と合流する所に「瀧宮神社」が鎮座し、その前から旧街道に入って行く。
陽が傾き出して、歩を速めて進むと枡形の角に高さ4m、中山道最大級の「西の常夜燈」が立ち、その前の朱塗りの 「鐘楼」では子供たちがたくさん遊んでいる。隣には「呑龍院」が立つ「深谷宿」の入口だ。

鐘楼

呑龍院














「深谷宿」には造酒屋がたくさんあるようで、酒蔵やレンガ造りの煙突が建っている。風情のある街には古い民家も残っており、左右を眺め ながら歩いていると自転車に乗った地元のシニアの方に声を掛けられ、色々と説明をしていただく。
その先にある「七つ桜造酒屋」は映画館となっていて、古い映画を上映すると共に、「ゲゲゲの女房」等の撮影もされたと。中まで案内して もらうとカフェや居酒屋(?)や豆腐店もあり、ここに泊まるのであれば訪れて一杯やりたい所だ。

造酒屋

古い民家

七つ桜造酒屋


少し進んだ印刷会社が「本陣跡」で、奥には蔵が残っているが、面影は残っていない。
その方と話しながら深谷駅に通じる交叉点で、駅に向かおうとすると、もう一つ紹介したい所があると、細道をクネクネと進んだ「三高院」に 案内される。境内には徳川家康の甥にあたる松平康忠を祀っていると説明されたが、細かな所は理解出来なかったが、地元を愛する 方の熱い心に接し、知識のなさを感じながら、お礼を云って別れる。
薄暗くなった道をJR深谷駅に向かうと道を間違ったと思うような立派なレンガ造りの駅舎が建っているのに驚く。駅の探索は次回に廻して 今回の紀行はここで終えることにする。今日の歩行歩数は5万歩を越えて、57000歩だった。(17:40)

本陣跡

三高院 説明 松平康忠墓

JR深谷駅



「本庄宿〜深谷宿」の「紀行スライドショー」

2日間の群馬県から埼玉県への紀行は充実していたが、地道はなく県道・国道歩きで足腰に疲労が蓄積してきた。史跡も寺院・神社が ほとんどで、少し寂しかったが、距離は稼ぐことが出来た。
東京まで100kmを切った道路標識を見た時は嬉しかった。後80kmを切ったようなので、4日間で到達出来そうだ。タイミングを検討しながら お江戸・日本橋に到達したいと。

今夜は熊谷発の夜行バスに乗るので、JRで熊谷に向かう。もう真っ暗になった熊谷駅のバス停を確認し、疲れた足を引きずり、駅前の 焼き鳥や入り、近くに銭湯がないかと尋ねるが、昨年廃業してこちら側にはなく、駅の反対側にあると。疲れているので、駅の反対側に 行く意欲もなく、余り汗もかいていないので、風呂は諦め、ビールで乾杯とする。
親父さんと話しながら、鶏料理をしっかりと食べ、駅の待合室や本屋で時間を潰す。21時30分発の夜行バスは一番前の席で、ゆっくりと くつろぎ、直ぐに眠ってしまう。途中で乗って来る人も居たが、余り気にせず眠れた。SAでトイレ休憩もあり、6時前に京都駅に到着し、 7時30分頃に帰宅し、風呂に入り朝食を食べる。


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